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2011年6月27日 (月)

街は狂気をリンチする(キッド)

ここのところ、キッドのつぶやきタイトルばかりである。

なぜかというと・・・記憶力が減衰してテレビドラマからのパクリというか、いただき能力が低下しているのだな。

「これで誰が犯人かわかるまいBOSSの豪華共演キャスティングの秘密」とか「週刊江戸の売り上げに貢献か仁2か」とかそういうタイトルではなくて・・・なんていうか・・・ドラマに思い入れがあってそれなりに詩的なタイトルをスラスラと思いつけなくなってしまったのである。

もちろん、毎日、毎日、継続していた時はもう積み重ねでなんでもありだったわけだが・・・こうして不定期更新していると・・・ハードルが高くなりすぎて・・・簡単にドラマをものすごくたのしんでいるんだから・・・言葉泥棒を許してねという盗人猛々しさが半減するのである。

いわばなじみの店に久しぶりに行って常連客として振舞おうとしても「たまにきてなにいってんの」という空気に自分自身が耐えかねるのである。

悪魔というものは実に小心者なのだな。

一方、あれから108日たって大震災のうわさもさめつつある人の世である。

最大余震なんてもうこないと思っている人も多いわけだが・・・ミレニアム地震である今回の東北地方太平洋沖地震の恐怖はもっとものすごい結末になるはずである。

そう思うのは悪魔が小心者だからである。

部屋に地震計を設置して体感しない地震にまで震えている今日この頃に家のものは「臆病にもほどがある」と冷たく言い放つのだった。

とにかく、M8クラスの最大余震、それにともなうちょっとした大津波、南関東の断層のM7クラスの連動地震、それにともなう東京大崩壊、東海南海東南海地震、そして富士山大噴火とパニック映画のような流れがここ数年のうちにくりひろげられてもちっともおかしくないんだな・・・これが・・・うひひ。

なぜ、そこで笑うのか。もちろん怖いからである。

笑いというものは恐怖に連動しているのだから。

原発は必ずテロリストに襲われる・・・東京は放射能で汚染されると予感してから18年で空想は現実となった。だから・・・新鮮なお刺身を食べながら笑いが止まらないと言うことなのだ。

なにしろ・・・原発はうちてしやまん大和魂が世界に突きつけた一億玉砕のシンボル、やるならやってみろ自爆テロの巣窟なのである。

北朝鮮の核武装がなんぼののもんじゃ、うちの原発全部メルトダウンさせたらどれほど放射能撒き散らすか考えてものいえよという話なのだ・・・どんな話だよ。

とにかく・・・人は自分のあやまちには気がつかない。いくら原発事故後の処理が甘かったからこんな大惨事になったと主張しても長きに渡って原発を推進してきた自民党・公明党幹部は首をつったフクシマの牧場主、クスリを飲んだフクシマの農場主の墓前で割腹自殺してしかるべきなのである。

えらそうな顔して「総理大臣の無能」で口をそろえるテレビのコメンテーター、大新聞の記者たちもみんな土下座してからものを言うべきなのだな。「こんなことになるとはまったく予見できませんでした」なのだから。

まあ・・・とにかく・・その日その日のあれやこれやを飯のタネにして一生懸命生きているだけの人間に何を言ったって無駄なわけですけれども。

それはそれとして誤解されては困るのだが・・・キッドは原発反対の立場に立つ人を論破し続けた原発奉り論者である。

この期に及んでもまったく立場は変えない。最後の最後ででかい花火を打ち上げられる最終兵器を持っているということは実に誇らしいことであるからだ。

もちろん・・・そういう感覚が一般の人々にはあまり受け入れられないのは承知だし、原発推進論者だって一緒にしないでもらいたいと思うわけである。

しかし、そんな人々が「狂気」と感じるものが時には現実になるのがこの世の面白いところなんだな。

多くの人間はその禍々しいものから目をそむけ、時には封じ込めをはかるわけだが・・・数人はその狂気に魅せられうっとりもするものなのだ。

あの街を飲み込む津波の美しさ・・・終末の凄まじさを感じさせる原発の残骸の可憐さ・・・あれこそが神も仏もない・・・この世の真実というものだからである。

ま・・・そんなことを言ってると今や・・・万人単位でいるはずのテロリスト予備軍にふんだりけったりされる可能性は大なのである。

東北からは毎年・・・さくらんぼが送られてくる。

今年もたくさん来たので毎日食べているのだが・・・どれほど放射能汚染されているか・・・うひひなのである。

東北には音信不通の昔のツレもたくさんいる。

五月蝿いの季節にたくさん・・・やってきたハエはその御霊にちがいない。

ふと気がつくと閉め切った部屋で舞うハエに「親しみ」を感じたりいたします。

ひょっとして・・・津波に流されて・・・ハエてきたか・・・と思うのでございます。

ハエは生えである。言葉の神秘は真相と駄洒落が混然一体化しているところにあるのだな。

群がるから村だし、待ち合わせするから町なのである。

遠い村から捨てきれぬ恋心を抱いてこの街に飛んできた御霊をハエたたきでつぶす・・・それが人間の素晴らしいところなのだな。

錯乱坊主は甘酸っぱいのである。

で、『泣かないと決めた日』(2010年フジテレビ)で愛の呪文によりラトル・スネーク・アダマンテの呪縛から開放されて『名前をなくした女神』(フジテレビ)に転生してきた秋山侑子(杏)である。もちろん、続きである・・・キッド的には。

しかし・・・実際に魔法物語としては辻褄あってんだなぁ。魔法少女と魔女の戦いを描いて本年度ナンバーワンアニメのうわさも高い・・・一部愛好家的に・・・あのまどか☆マギカと同じくらいの緊張感が毎回あって・・・うならせたんだなぁ。

フィクションがノンフィクションにシンクロナイズするのはよくあることだが・・・まどかが大震災を呼び込んだように見え、「・・・女神」が震災後であろうがなかろうが揺らがないダーク・ファンタジーであったことにより・・・震災後もまったく輝きを失わなかったドラマであったことを特筆しておきたいのである。

やはりダーク・ファンタジーである「鈴木先生」もそうだが・・・現実世界がどうなろうとエンターティメントとして成立する作品というものは賞賛に値する実力を持っていると感じるのだな。それが4月12日の第一話で9.5%でスタートして最終話で15.7%をたたき出した形に反映していると考える。

もちろん・・・ママ友事件には現実世界でもいくつか記憶に残る大事件が起きていて・・・それを連想させるところもあるわけだが・・・何よりも東郷チャイルドスクールという魔女の館で百合子(夏木マリ)に魔女としての心得を習得する若き魔女たちの青春と友情の白書であると考えれば・・・さほど気にならないくらいの関連性なのだな。

「泣かないと決めた日」から「名前をなくした女神」へと作品をつなぐ脚本家・渡辺千穂にはものすごく「次」も期待するのである。

さてさて・・・各話のレビューはエリお嬢様方の素晴らしいレビューがあるので興味のある方は参照なさってくださいませ。

キッドが言いたいことはただひとつ・・・すべての恩讐の彼方で・・・お受験戦隊ママレンジャーが集合するラストの色使いだけである。

一番魔女っ子色の濃かった真央(倉科カナ)はモモママレンジャーだったのだな。娘の羅羅(谷花音)親子そろってピンク系だったものなあ。女の中の女だったのだな。

そして難しいところだがレイナ(木村佳乃)はママブラックだったようだ。フォーマル色の強い役柄とあわせて・・・純情可憐な人妻のよろめき具合も野武士の風格である。彩香(小林星蘭)も仏壇やお線香のCMが似合いそうな和風な顔立ちだったしな。

影の主役とも言えるちひろ(尾野真千子)は幼児誘拐未遂までしながらその母親と友情を深めるという不自然な役柄を見事に自然に演じきるという役者の階段のぼる女優魂である。その複雑さから・・・熱血のイエローとも穏やかなグリーンとも言える配色である。だが・・・まあ・・・友情オチという点からママミドレンジャーと考えておく・・・いや・・・やはりママイエローか・・・そんなことで悩むなよ。

ラスボスというか・・・アンチレッドということで利華子(りょう)は涼しげなブルーで決めてましたね。役柄的にもこの役そのものの顔立ちのズバリキャスティングだ・・・。まさしくアオママレンジャーなのだ。「別に・・・」といってさびしくわが道を行くのだな。

もちろん・・・侑子はヒーロー・レッドである。

魔界から転生した侑子はどんな困難にもめげない・・・ある意味、無敵キャラだったしな。

とにかく・・・真央ちゃん一家引越しで全員集合した五人のママたちはまさにゴレンジャーだったという妄想です。

いや・・・ただそれだけで他意はありません。

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2011年6月 1日 (水)

絶対に壊れてはいけない設備があるらしい(キッド)

人間は知恵を学ぶ動物である。

だからコメントのお返しも済んでいないのにまたもや新規更新をしているキッドを咎めないでください。

人を人間と呼ぶときには社会性を帯びるので、そこには「常識」とか「普遍的な真理」が介在するのである。

だから「人の気持ちがわからない」とか「言われたことができない」とかは最近では「発達障害」のカテゴリーに分類されるのである。

しかし、「個性」が尊重される時代には「発達障害者もまた人間である」という困難な主張もまかり通る。

たとえば、合法的な国家で国民が「原子力安全」を選択していた以上、何が起ころうが「自己責任だ」という主張だってできるのである。

ただ、みんな、そんなことを言ったら「バカ」と言うのだな。

なにしろ、あの小泉元総理でさえ、「歴代自民党政権も原子力政策を推進してきた以上、責を負うべきである」とコメントしているのだ。

それは「初期の処置が適切だったか」どうかを「結果論」であーだこーだと挙げ連ねるということではない。

より「適切な処置」があったにせよ、他の誰かがそれを実行できたかどうか「もしもの世界」を空想しても始まらない。

そして「自分たちが協力しないことで進まない事象」について「進まない責任」を追及したり、「自分たちが罪を問うた刑事被告人」と野合してとりあえず権力を奪取しようする徒党を・・・国民がどう考えるかもその国民の発達程度によるわけである。

とにかく・・・「鈴木先生」がエロいアニメになりそうな素材なのにドラマになって「妄想を正当化する運動」に一役買っていることは喜ばしいことだ・・・それが主題なのか・・・ま、仮記事だからな。

とにかく・・・人間の知恵のひとつに「形あるものは必ず壊れる」ということがある以上・・・「絶対に壊れてはいけない設備を作ろうとする人」にキッドは「バカ」って言う。

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