平清盛の自分探しが止まらない件(松山ケンイチ)
時代というものは恐ろしいものなのだな。
平安時代の末期に「自分探し」なんて・・・と思うのは教養のない証拠である。
人々がみんな貴族のように生きたいと願って到達したのが現代なのである。
現代の人々が一般的に自分探しをしているなら・・・血縁的には天皇の血筋であり、実質的に11才で従五位下の位階についた平清盛は貴族のはしくれである・・・当然、自分探しはおてのものなのである。
キッドにしてみれば庶民が「自分探し」などという高貴な振る舞いをしている現代の方がにわかに信じがたいのである。
そんな身分なのか・・・みんな・・・と唖然とするのであった。
で、『平清盛・第2回』(NHK総合20120115PM8~)脚本・藤本有紀、演出・柴田岳志を見た。実の父・白河法皇も育ての父・平忠盛も悪平太・清盛を猫可愛がりしているわけだが・・・愛人を無慈悲に殺したり、罪人の子を跡取りにしたりする殺伐さと整合性がないと感じる人もいるかもしれないが・・・白河法皇は最高権力者で、平忠盛も親衛隊長なのである。たとえ・・・女狐に産ませた子供でも見どころありと思えば面白がるし、器があると思えば目をかけるのである。
ただの駄々っ子に見える平清盛は11才にしてすでに青年男子のような異相の持ち主なのだから白河法皇は目の中にいれても痛くないと感じるし、平忠盛はこの男に賭けてみるかという気分なのである。
実に微笑ましい雅な男たちなのである。
その掌で華麗に暴れ、優雅に舞う清盛。この子供を自由に遊ばせ、戯れさせることこそ・・・大人の醍醐味なのである。
その世界観・・・その哲学・・・まさに平家物語の世界に酔いしれる日曜日なのである。
君よ君こそが日曜日よりの使者なのか。
このまま、ずっと遠くまで連れていってくだせ~。
さて・・・清盛が位階についた1129年は元号では大治(だいじ)四年である。この年の夏に白河法皇こと貞仁は逝去する。1086年に堀河天皇に譲位して以来、元号で言えば応徳、寛治、嘉保、永長、承徳、康和、長治、嘉承(ここまで堀河天皇在位)、天仁、天永、永久、保安(ここまで鳥羽天皇在位)、天治、大治(崇徳天皇在位)と43年間も権力の座についていたのである。元号が変転するのは天変地異や疫病の流行ごとに世直しを迫られるからだ。大治も天然痘の流行によって天治3年に改元されたのである。
毎年、首相の変わる現代の我が国とは違うのだ・・・ということを一考されたい。
しかし、最高権力者の地位というのは諸々のしがらみによって拘束されている。
衰えつつあるとはいえ・・・王家のバックには藤原氏という影の実力者が控えているのである。藤原鎌足の死後500年を経て脈々と生き続ける魔族藤原氏もすごいものなのだ。
おい・・・そろそろ、妄想に突入しているのか。
さらに・・・清盛を不吉の子と予言した陰陽師などの貴族にとりついた魑魅魍魎も跋扈しているわけである。過去には安倍晴明などの真の実力者もいたが・・・この時代には妖術も満足に使えないものが陰陽師面をしているのである。真の実力者なら天然痘など種痘で治療できるのだが・・・この時代にはなぜ牛車があるのか・・・その意味さえ忘却されているのだ。・・・もう完全に妄想文脈なのだな。
そういうこみいった権力構造の中・・・王家の血を持ちながら・・・下賤となったわが子を法皇は憐れむのである。
そして・・・愛人を殺させずにはおかないしがらみをもった主を平忠盛は憐れむのである。
そういう大人の世界なのだな・・・清盛を愛する男たちの世界は。
そうした大人たちの一種のせつなさを受けて・・・清盛は世直し大明神の一人として成長していくのだ。
源頼朝が物語るのは・・・そういう英雄神の物語なのである。
そもそも頼朝が祈る八幡神にしても・・・英雄神の神なのである。本当にたわけだった応神天皇、妻としてのアマテラス、母としての神功皇后の三身合体神である。ものすごい神霊パワーなのであるな。
頼朝にとってそういう古の神よりも・・・平清盛という生き神がいかにインパクトがあったか・・・恒例のイントロダクションにはそういう神語りが秘められているのだな。
できれば・・・あやかって・・・キッドも妄想全開のタマ(善なる神仏)とモノ(悪しき邪神)の源平忍者妄想を繰り広げたいものだなあ・・・機会があれば。
例によってシナリオに沿ったレビューはikasama4様を推奨します。
関連するキッドのブログ→平清盛(松山ケンイチ)を待ちながら。
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