ああ、だから今夜だけは君を抱いていたい、明日の今頃は僕は船の中(松山ケンイチ)
清盛は二十歳前の若者である。最初の妻を熱烈に愛していたのである。
保延四年(1138年)には長男・重盛が誕生。保延五年(1139年)には次男・基盛が誕生する。
やることはやっているのである。
ちなみに・・・ドラマではうだつの上がらない風の清和源氏当主の源為義だって・・・。
長男・義朝を筆頭に・・・帯刀先生義賢、志田三郎義広、四郎左衛門頼賢、掃部助五郎頼仲、賀茂六郎為宗、八幡七郎為成、鎮西八郎為朝、九郎為仲、新宮十郎行家、十一郎泰綱、加賀十二郎有朝・・・その他男女あわせて十九名、あわせて31回以上、やっているわけである。
為義を見る目を少し変えてください。
王家ばかりでなく・・・その他のラブ・シーンはないのでしょうか・・・。
王家は祖父孫どんぶり、女性上位、同性愛となんでもありになっているのになあ・・・。
この勢いで山岸凉子の「日出処の天子」もドラマ化しないかしら・・・。厩戸王子のキャスティングが問題だけどな。本木雅弘も悪くなかったけど・・・「日出処の天子」となるとちょっと骨太すぎたしな・・・。今なら山田涼介が女装もできることを証明しているが・・・やはり男装の美少女っていう手か・・・いやいや・・・もう、いいだろう。
で、『平清盛・第8回』(NHK総合20120226PM8~)脚本・藤本有紀、演出・渡辺一貴を見た。例によってシナリオに沿ったレビューはikasama4様を推奨します。今回は後の西行こと佐藤義清の描き下ろしイラスト大公開でございます。鳥羽院の北面の武士であった藤原北家秀郷流の風雅に優れた武士が何故、出家したのか・・・様々な憶測があるわけですが・・・松尾芭蕉の例を想起するまでもなく・・・彼が諸国巡礼の旅に出たのは忍者だったからに他なりません。歌人として名を残したのはほんのついでのことなのでございます。
藤原頼長が内大臣に就任したのは保延二年(1136年)の暮れのことである。その時、頼長は弱冠17歳である。太政大臣、左大臣、右大臣に続く二位の官位を持つ令外官である。今ならさしずめ、総理大臣代理であり、ある意味、最高執政官なのである。高校生が総理大臣・・・すでに充分、来るところまで来ている感じがいたします。それというのも白河院が排除していた藤原摂関家を鳥羽院が復権させたことによるもの。摂関家の兄・忠通は関白・太政大臣までのぼりつめており、同じく、関白太政大臣だった父・忠実の後押しを受けての登場だが・・・一種の天才だったことは間違いないだろう。なにしろ、高校生総理大臣なのである。さて、鳥羽院と崇徳帝の寵愛を受けて身悶える佐藤義清も実は摂関家と同じく、藤原北家の流れである。しかし、藤原秀郷という武家藤原家の流れに分かれ、今や、佐藤という支流に位置するわけで・・・北面の武士として侍るのが精一杯の身分なのだった。天皇家を王家と称することが物議をかもしているようだが・・・要するに古には王家は無数にあったわけである。やがて、その中から王の王たる大王が生まれ、聖徳太子がその呼称を天子と名乗ったに過ぎない。天皇家は大王家であり、王家とは大王家の略称なのである。なぜ、物議を醸すのか全く理解不能だな。要するに本家と分家の話なのである。ただし、中臣鎌足が藤原氏を発足して以来、大王家と公家という特殊な関係が延々と続き・・・中世を経営してきたのである。そのために・・・王家の分家の方が公家より下位に置かれるという奇妙な事態が発生するのだな。天武天皇は七世紀の大王だが、その子孫が高階家なのである。だから、貧乏貴族の高階家も広義には王族なのである。清盛の室となった高階基章の娘は父が九世紀の醍醐天皇の血統である醍醐源氏の末裔であり、天武天皇・醍醐天皇のブレンドといえる。醍醐天皇の四代前の清和天皇からは清和源氏が発祥している。もちろん、清盛のライバル源義朝はその末裔である。八世紀には桓武天皇があり、桓武平氏を生んでいる。つまり、伊勢の平氏は桓武天皇の末裔であるが、清盛は白河天皇の直系でもあるわけだ。崇徳天皇が白河天皇の直系である以上、このドラマでは平清盛と崇徳帝は異母兄弟なのである。まさにこれから血で血を洗う抗争が勃発するわけで・・・王家の血脈は大騒ぎなのである・・・本当に面白いなあ・・・。
清盛は博多津にいる。安芸の水軍を支配下におさめたことにより、瀬戸内海ルートは完全に平氏のものとなり、南宋との密貿易はほぼ平家の独占事業となっている。清盛は略奪した宋船を「軍船・伊勢」と改名し、平氏交易船団の旗艦と定めた。兎丸の話によれば、元の持ち主は一族郎党皆殺しにしたので・・・他の南宋商人との商売には差し支えないということである。
博多津の唐人街は後の世ほどの規模ではないがすでに清盛に異国情緒というものを感じさせるほどの発展をしている。
上陸した清盛は平家の交易担当官とも言える平家貞(平正盛の父の代の分家系統である)の案内で花街にのりこんでいる。主人の周大人は清盛の人柄にほれて愛娘に接待を命じた。一戦終えて清盛はくつろいで寝物語を楽しむ。
「ウチは父が博多の女に産ませた娘やけん、大和姫子と申します」
「そりゃ、たいそうな名であることよ・・・」
「きよもり様は・・・帝さまのご落胤であるそうな」
「ふふふ・・・人の口に戸はたてられぬな」
「都は博多よりもにぎわっていましょうか」
「都は大きいが・・・博多のようにきらきらしくはないぞ・・・暗い大きな寺のような街だ」
「まあ・・・大きな寺ですか」
「ほんまや。我にはこの街の方がずっと性に逢うことよ」
「都には昔、大陸を追われた妖狐が棲んでいるとか」
「ほほう・・・初めて聞いたわ・・・妖狐とな・・・まあ、都は確かにもののけの棲家ではある」
「まあ、恐ろしい」
「しかし、妖狐とはいかなるものかいな」
「二千年前から生きている狐で尾が九本あるそうな。ほんで、時々、世に現れては男衆をたぶらかすのや」
「ならば・・・汝もその一族かいな」
「まあ、お口が悪い。妲己様はこんなおへちゃやのうて・・・絶世の美女に化けるらしいと」
「ふーん」
その頃、都では鳥羽院が快楽に溺れていた。美福門院藤原得子の愛戯は際立っている。大和撫子では得られない奥深い快楽に鳥羽院を誘うのである。今、果てたと思ううちに高ぶってくる衝動に鳥羽院は恐怖を感じるほどである。
「得子、そなたは・・・まるで魔性のもののようである」
「ほほほ・・・法皇様・・・これはお戯れを・・・そんな無碍なことをおっしゃるのでは・・・今宵はもうお休みになられましょうや」
「いや・・・やめてはならぬ・・・もっと・・・もっとじゃ・・・」
雪洞の明りが揺れる。御所の壁に女御の影が映る。
それはけだものの姿のように見える・・・そしてその尾はいくつにも枝分かれして・・・。
「教えてたもれ・・・そなたの真名(まな)を・・・」
「玉藻と申しまする・・・」
「たまも・・・たまも・・・おお、おおー」
その頃、相模の国で夜盗を狩っていた源義朝は郎党の鎌田政清と野宿をしていた。
二人とも熊の毛皮を身にまとっている。鎌田正清(政家)の母は義朝の乳母であった。そのために二人は乳兄弟である。鎌田氏もまた藤原北家秀郷流の一族である。この一族は奥州藤原氏とも言われみちのくとの関係が深い。熊の毛皮は先祖から伝わる防寒具である。北面の武士である佐藤義清の祖父、季清の弟が首藤助清を名乗り、相模に根を下ろし、その孫が鎌田通清を名乗った。それが正清の父であり、源為義の郎党となっている。つまり、佐藤義清と鎌田正清は遠い親戚と言える。佐藤義清は文武両道のつわものであったが、鎌田正清は豪勇のもののふであった。
二人は鎌田家の本領を襲った夜盗の群れを追跡して相模野に分け入ったのである。
「若殿・・・」
「なんじゃ・・・」
「のぶせりどもが・・・逆襲に転じたようです」
「ふふ・・・逃げ疲れたか・・・」
「10人ほどが忍びよってまいります」
「半分はまかせたぞ」
「御意」
はねおきた正清は弓をひきしぼる。
「たーっ」
太矢が飛翔し、一度に二人の盗賊を串刺しにする。
その時には義朝が抜刀して、駆け去っていた。
闇夜に盗賊たちの断末魔の叫びがあがる・・・。
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