わがままは御曹司の罪、それを許さないのは御家人の罪(松山ケンイチ)
基本的なことだが、血族的集合体が力を持つためには一致団結が不可欠である。
そのために絶対的なリーダーが求められる。
治世ではそのリーダーの実力は問われない。しかし、乱世では実力だけが問われるのである。
しかし、治世と乱世の境界線はいつの時代もそれほど明瞭ではない。
だから・・・リーダーに求めるものに個人差が生じるのである。
リーダー絶対主義の場合、後継者を決めるのは基本的にリーダーである。
しかし、血縁絶対主義の場合は氏素性が問われるのは言うまでもない。
そこで問題となるのが本家と分家の力関係なのである。
一般的に農耕民族は長子相続、遊牧民族は末子相続が是とされるが、それはあくまで後継者指名に問題があった場合である。
血縁絶対主義であっても絶対的リーダーが指名したものを構成員が拒絶すればそれは即ち反逆なのである。
それを丸く収めるのが本家と分家のシステムである。
平氏は桓武平氏と称される時点で要するに大王家の分家なのである。
分家は続き、平氏にも坂東平氏もあれば伊勢平氏もあることになる。
そうなれば分家同士が本家争いをすることにもなる。
しかし、伊勢平氏に限れば、たとえば本家・平正盛の子である忠盛と忠正は兄弟であるが・・・忠盛が本家の後継者となった時点で・・・忠正はその臣下となるのである。つまり、分家だ。そして・・・清盛が本家の後継者となれば・・・忠正は分家として清盛の命を受ける立場となるのである。
忠正はそのために鬱屈しているようにも見えるが・・・後のリーダーである清盛に上に立つ者としての教育的指導を行っている側面があることも充分に理解できる。
なぜなら・・・清盛は・・・超本家(父が大王)の血筋なのだ。血族的には分家の分際で口をはさむのはかなり覚悟のいることなのである。
このあたり、忠盛と忠正の間には阿吽の呼吸があるのである。
今年の大河ドラマの素晴らしさは・・・そのあたりが充分に感じられるのである。
視聴者によっては「えらい言われよう」で清盛が傷心したように見えるかもしれないが・・・実はあの伯父の言葉が清盛の心に沁み入っているのである。
「上に立つものは下の心を知らねばならない」
伯父は心を尽くして・・・兄が認めた後継者に言葉を与えているのである。
だから・・・後にたとえ伯父の命を奪うことになろうとも・・・清盛は憎しみではなく・・・リーダーとして苦しみながらそれをするであろうことが充分に予感できるのだな。
ちなみにあたかもただの漁民に見える鱸丸も実は平家の一門なのである。超分家すぎて本家筋の人からは身分の差を問われるのだが・・・そこには「後継者の直属だからっていい気になるな」という注意が与えられているのだな。
まして・・・この頃は・・・戦は吉凶でするもの・・・勢ぞろいの場で不吉を口にするのは斬首されても文句が言えないところなのである。
それを忠正は苦言を呈することで救っているわけだ。
このように・・・隅々まで神経の通った脚本は・・・実に恐ろしいほどである。
大王家、藤原家、平氏、源氏・・・それぞれの分家関係とこの時代の主要登場人物・・・およそ百人ほどを人間関係的に把握している節があります。おタクだな・・・平安おタクのなせるワザだな。なにしろ、親を考えるとそれはあっという間に三百人になる世界なのである。まして、子孫ともなれば・・・。
で、『平清盛・第5回』(NHK総合20120122PM8~)脚本・藤本有紀、演出・柴田岳志を見た。例によってシナリオに沿ったレビューはikasama4様を推奨します。今回は天真爛漫な正妻に翻弄される王家純情鳥羽院の書き下ろしイラストに加え、伊勢平氏の末端に名を連ね、もうすぐ鱸丸から平盛国に出世するので見おさめになるかもしれない汚い衣装の書き下ろしイラストがついてくるのでお得でございます。
平忠盛の西海海賊追討は1135年であるが・・またも改元が立ちはだかる。長承4年は飢饉、疫病などを理由に夏に保延元年に改元となる。忠盛は春に出征し、秋に凱旋するのだが・・・行く時は長承4年、帰ってきた時は保延元年になっているのである。まあ・・・任務完了が秋と考えれば・・・保延元年の海賊征伐と言ってもさしつかえないな・・・。
さて・・・西海とは狭義には九州周辺の海を指すのだが、この場合は・・・京都から西にある海は基本的に西海ということである。だから・・・安芸国(広島県)の海賊を西海の海賊と呼んでも問題ないのである。日本が島国であるにも関わらず騎馬武者のイメージが強いためか・・・一般の人々は合戦と言えば陸戦を想像しがちだと考えるが、六世紀には朝鮮半島遠征をしている大和朝廷である。水上戦闘のための戦船(いくさぶね)はすでに相当な水準に達していたことは言うまでもない。この時代から100年後の蒙古襲来では元・高麗連合軍という大陸と半島の巨大海軍を二度に渡って撃退しているほどなのである。神風などという迷信を信じてはいけないのだよ。ヤマトの諸君。
さて、この頃の西海の水軍力はおよそ、九州の松浦水軍、瀬戸内海の河野水軍、須磨の村上水軍に分割されている。各水軍はすでに独立勢力として王家にまつろわぬ民としての性格を持ちだしていた。これを追討するのも王家の伝統なのである。
平氏に動員令が下るのは・・・伊勢平氏もまた水軍を持っていたからである。忠盛の代には後に九鬼氏を生む志摩の水軍、熊野別当氏が統べる熊野水軍などを傘下におさめている。そのまとめ役を務めるのは伊勢平氏の一族、平忠康である。鱸丸はその長男である。
しかし、戦舟の主力となるのは須磨の村上水軍である。村上水軍は河内源氏の一族であるが、朝廷の命という前提の渡り(交渉)によって・・・平氏一族にレンタルされることになったのである。海には海の交際があるのだ。
平氏の主力部隊は忠盛が率いて熊野水軍によって水上輸送され、海戦の主力となる村上水軍には清盛が名代として乗り込んでいる。
先行した村上水軍の戦舟で潮を読んでいた清盛に「若大将・・・」と声をかけたのは・・・目付としてついている忠康である。
「なんじゃ・・・」
「いま、小舟にて知らせがまいり・・・熊野衆が須磨に到着したそうでございます」
「鱸丸か・・・」
「いえ・・・わが一の姫の波音(はね)と申すものが知らせてまいりました」
「知っているぞ・・・鱸丸の姉姫じゃな・・・えらいぺっぴんはんと名高いであろう」
「ほっほっ・・・これは・・・したり」
「安芸に着くまでには間があるので一手、お手合わせ願いたいの」
「くのいちでございますが・・・よろしゅうございますかな」
「望むところよ・・・」
「これ・・・波音よ・・・若大将が・・・」
ゆらりと船が揺れた。その刹那、初夏の日差しで出来た清盛の影がこそりと動く。
清盛がはっと気がついた時には清盛は女人の手で握られていたのである。
「おう・・・これは・・・手早いことよ・・・さすがは志摩の女海賊・・・う・・・」
「しかるべく」
清盛はあまりの面白さにあっと言う間に有頂天になったのだった。
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