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2012年2月22日 (水)

外面如菩薩内面如夜叉の如く紅蓮の炎に包まれた十一面観音菩薩が十一面荒神に退行し紅蓮菩薩と化した時、震えた乙女(木南晴夏)

原作では「水蜜桃」→「紅蓮菩薩」という順になっている。続編である「七瀬ふたたび」の萌芽がこの二作には色濃い。七瀬がミュータント(突然変異種)として人類に対して「生き残りをかけた戦い」を挑むからである。もっともそれはあくまで正当防衛のスタイルである。

「水蜜桃」では貞操の危機を回避するために強姦者をテレパシー能力を駆使して精神崩壊に追い込む。そして「紅蓮菩薩」では心理学者の追及を回避するためにその妻の秘められた嫉妬の炎に点火して母子心中に追い込むのである。

ドラマ化にあたって嫉妬に狂った妻が「赤ん坊を殺して風呂場で自殺した」という結末はやや難解かあるいは刺激的すぎると考えられたのであろう。ドラマの結末はやや曖昧な展開で余韻を残している。

原作中にも妻が夫に殺意を抱く描写があり、もう一つ別の可能性としては成立するラスト・シーンではある。

もちろん、描写はされないが、ドラマ版では妻は夫を刺殺した後で、赤ん坊も殺し、そして自殺するのである。

原作では夫は殺害されないが・・・母子心中というスキャンダルに追われて・・・七瀬を追求する余裕がなくなるのである。

「この子を殺して私も死ぬ」は古典的な妻の怒りの表明だがそれを伝える相手が夫であるために夫が生き残る・・・この理不尽さを納得できない・・・愚鈍なお茶の間のためにも無難な展開だったと考える。

ちなみに紅蓮は燃え盛る炎の色にたとえられるが・・・仏教における紅蓮地獄とは八寒地獄の一つで極寒により、皮膚が裂けて流血し紅蓮華の如くになるというものである。原作タイトルの「紅蓮菩薩」とは菩薩のような人が嫉妬による憤怒の炎に包まれて燃え上がっているような呪われた光景を七瀬が幻視することによるものである。紅蓮菩薩という菩薩は存在しませんので念のため。ただし、十一面観音菩薩は右手に数珠、左手に紅蓮を携えている。また菩薩は星の数ほど存在するので無名の紅蓮菩薩が存在しないとも断言できない。

現代社会では種の多様性を「善」とするのが生き残り戦略の主流であるが、種の存亡をかけて敵対することが「悪」であるとも断定できない支流もあり、七瀬をめぐる物語はもちろん、その悲劇的側面を内包しているのである。

で、『家族八景 Nanase,Telepathy Girl's Ballad・第五話・紅蓮菩薩(ぐれんぼさつ)』(TBSテレビ20120208AM0055~)原作・筒井康隆、脚本・佐藤二朗、演出・深迫康之を見た。再び、佐藤二朗脚本である。そうなると登場人物一同が佐藤二朗化してしまうので少しフィルターをかけないとちょっと気持ち悪くなるのである。普通の人に混じってこその佐藤二朗だからな。全人類が桜金造になった世界も不気味だけどな。

駅前から山手に登って五分ほどの新しい住宅地の中、アメリカ式に前庭へ芝生を植えた開放的な他の住宅地と違い、一メートルあまりの石垣の上に建てられ高いブロック塀に囲まれた」根岸家が家政婦・七瀬(木南晴夏)の新たなる住み込み先である。この描写で表象されるのは無論、根岸家の閉鎖性である。ドラマではシンメトリーな花壇がその変形として示される。鏡面的な左右対称もまた一種の閉鎖性を示しているからだ。七瀬が掛け金をはずして心を読む時の心象風景は今回、相手が水着になることで示される。そのスタイルはリゾート地におけるトロピカルなムードも込められており、解放を求めつつ、サングラスで眼を隠すという複雑な閉鎖性を視覚化していると思われる。

根岸家もまた「青春賛歌」の河原家と同様にインテリジェンスが高い家庭である。夫の新三(眞島秀和)は大学で心理学の助教授をしており、妻の菊子(井村空美)は原作では同期生と言う設定であった。ドラマでは新三(36)、菊子(29)になっており、おそらく心理学教室の先輩、後輩なのであろう。

実際には新三の1970年代にはまだ普遍的だった男尊女卑的な態度は同年齢でこそ際立つのであるが、男女雇用機会均等法以後の世界ではそのニュアンスは伝わりにくいのであろう。最初からこの点は放棄していると思われる。

本来は・・・夫が妻を・・・「女」としてバカにし、妻が夫を・・・「学者バカ」として見下すという軽蔑の応酬が本編の醍醐味である。しかし、その心理はお茶の間向きではないと判断したのであろう・・・「夫の浮気に嫉妬する妻」という低俗的な構図に終始するわけだな。もちろん、それもまたドラマ化の醍醐味なのである。

河原家との違いは生後十か月の赤ん坊の存在である。しかし、その存在は母親の愛の対象ではなく名前さえないのである。

新三には大学という職場を通じた社会の一員としてのアイデンティティーがあり、妻には良妻賢母というイメージで地域社会に認められるというアイデンティティーがある。お互いのアイデンティティーが尊重されれば家庭の平穏は守られるということである。

しかし・・・妻の菊子は「良妻賢母」を演じることに固執しすぎて、いささか常軌を逸した精神状態になりつつあったのだった。

菊子の「貞淑さや上品さや温厚さはすべてお芝居」であったのた。

菊子は夫を軽蔑していた。夫の学業を軽蔑していた。夫の学者であるための非常識さを軽蔑していた。彼女は結婚生活は夫を軽蔑することでしか成立しないと信じているのだ。しかし、夫が業績をあげ学者として出世することは望んでいた。高い地位の夫の妻であることを秘められた激しい虚栄心が渇望していたのである。この内部の矛盾に菊子はまったく気がつかないのである。

「あら、まったくこんなところに下着を脱ぎ散らかして・・・」

七瀬に家を案内しながら菊子は廊下で夫の下着を発見する。もちろん、七瀬に見せるために菊子があらかじめ放置しておいた下着である。

≪さあ、みなさい≫≪夫の下着を≫≪夫の間抜けな生活様式を≫≪そして良妻としていかに私が苦労しているかを知りなさい≫≪そして近所で語りなさい≫≪夫を道化者として≫≪私を苦労の絶えない良い奥様として≫≪いいふらしなさい≫≪それがあなたのレゾンデートル=存在価値≫≪私が良妻賢母であることのメディアたれ≫

「本当に学者というのは非常識で困っちゃうのよね・・・手のかかる子供みたいなものだわ」

七瀬は愛想笑いをした。

七瀬は新三が心理学の研究者と知り、自分自身の特殊な能力について何か、新たなる知見が得られるのではないかと期待していた。

しかし・・・新三が自分の研究について考えをめぐらすことはほとんどなかった。

夫婦で囲む夕食の食卓で新三が考えるのは基本的に研究室の研究生(河原実乃梨)との情事についてであった。

≪深夜の研究室のソファ≫≪ささやかな冒険≫≪冷たい皮膚≫≪若い尻≫≪若い足≫≪若い筋肉≫≪誰にも気づかれていない≫

しかし、菊子はすでに夫の浮気について知っていた。新三は妻に知性がないことを夢にも疑っていなかったが妻には充分な知性があったのだ。身の回りに無神経な新三の浮気が誰にも気づかれずにすむ筈はなかったのである。そう言う点では新三は実際にバカだったのである。

≪女のことを考えているんだわ≫≪今、女を抱いたときのことを考えている≫≪考えながらごはんをたべているわ≫≪あの顔≫≪おしゃべりな女にちがいない≫≪もしも誰かに知られたら≫≪浮気された可哀相な奥様≫≪同情を買える≫≪けれど女としての魅力を問われる≫≪あの顔≫

新三が大学に行く日の朝食では菊子は必ず「今日は何時にお帰りですの・・・」と訊く。

≪馬鹿なことをきく≫≪俺のスケジュールなど聞いてどうする≫≪無意味なことを≫

「今日は遅くなる」

≪講義終了の時間は午後3時50分≫≪それから情事をするのね≫≪この間は8時30分に帰宅した≫≪食事をしなかったから情事は4時から8時まで・・・4時間も・・・情事を≫≪私との時は10分≫≪おざなり≫≪私を女としてみていないのだ≫≪私を・・・≫

夫を軽蔑しているにも関わらず夫に抱く菊子の嫉妬は激しかった。

夫が情事をしている時刻を正確に把握しながら、菊子は赤ん坊を抱いたままあれこれ思いをめぐらせ、ひとり嫉妬に身を焼いていた。

どこにも発散することのできない激しい嫉妬は彼女の心を地獄と化していた。

七瀬は七という刺繍の入ったエプロンで家事をしながら・・・時々、その激しい嫉妬の放射に触れ・・・慄いた。

入浴シーンである。

その日、七瀬は新三の心に突然、≪火田≫という名前が浮かんだことに驚いていた。

≪火田≫≪どこかで聞いた名前だ≫≪いつ・・・どこで・・・≫

七瀬はいつもよりやや薄いようにも思える乳白色の入浴剤に裸身を沈めつつ考える。

明日・・・機会があれぱ・・・新三の書斎を捜索してみよう・・・。

風呂場を出た七瀬は夫との情事を終えた夫人が洗面所にいることに気がついた。

純白のガウンを着た痩せぎすで長身の菊子が、指先につまんだコンドームを眼の上の高さにさしあげ、電燈の明りにすかして夫の体液を凝視していた。量を目測しているようだった。

七瀬は鬼気迫る情景に腰がぬけそうになった。

≪少ない≫≪昼間の情事で何度も射精を≫≪殺してやろうかしら≫≪現場でふたりとも殺してやろうかしら≫

幽かに夫の心が伝わってくる。

≪菊子≫≪セックスだけが生きがい≫≪新鮮さがまったくない≫≪あの匂い≫≪年寄り≫≪婆さん≫≪あきあきする≫≪愛情をそそぐなら≫≪若い性≫≪明日≫

翌日、夫妻の留守を狙って新三の書斎に侵入する七瀬。

そこで七瀬は「ESP」と書かれた書類を発見する。

「extra-sensory perception・・・超感覚的知覚・・・彼は超心理学を研究しているのだわ」

さらに七瀬は書類の中に父親の名前が書かれたファイルを発見するのである。

火田精一郎・・・彼はなぜ・・・父の名を記憶していたのか・・・父が特殊な成果をあげたからではないか・・・遺伝的に・・・父も秘めた能力を持っていた可能性がある・・・私が父の娘だと知ったら彼はどうするだろう・・・危険・・・危険だ。

七瀬は恐慌に襲われ、思わずカードをファイルから引きちぎってしまう。

まずい・・・こんなことをしたら・・・あらぬ疑いを・・・。

しかし・・・間が悪いことに新三の意識が接近していた。

≪火田だ≫≪火田精一郎≫≪ゼナーカードによるテストですごい成績をおさめた≫≪珍しい姓だ≫≪縁者であるかもしれないと考えてよかった≫≪娘かもしれないと≫≪思いだしたのは幸運≫≪やはりそうだった≫≪あの家政婦≫

七瀬が書斎を脱出したのと新三が帰宅したのは同時だった。

「君のお父さんは、武部製薬の総務部長をしていた火田さんだね」

「はい、そうです」七瀬は観念して言った。新三が七瀬の身許(みもと)をすでに調べていることを知ったからである。

新三は七瀬をテストするつもりだった。

この後、原作では七瀬の亡くなった父のESPテストの統計学的に異常な数値に基づき新三が七瀬にテストを受けさせようとし、七瀬が拒絶するスリリングな描写が続き、いらだった新三の≪こんな非人間的な、動物みたいな女は死ねばいいんだ≫という心の罵倒で七瀬が不覚にも涙を流すことになるのだが・・・ドラマ版では愚鈍を装った七瀬が嘘泣きをするという展開となる。・・・まあ、いいか。木南晴夏には造作もないことである。

急場をしのいだ七瀬だったが、このままでは済まないと途方に暮れた瞬間、菊子が帰宅した。

七瀬の涙を見た夫人はたちまち誤解した。

≪あの男≫≪ついに家政婦にまで≫≪けだものだわ≫≪女中に手を出すなんて≫≪女中にまで

菊子の心の呪いの炎はあかあかと燃え盛る火葬場の火のようであった。

菊子の顔は紅潮し、紅蓮地獄の亡者のように血まみれになっていた。

人類原初の激しい怒りのイメージが圧倒的な勢いで七瀬に流れ込む。

七瀬は・・・菊子を利用することにした。新三に自分のことを忘れるような厄介事をあたえればよいと考えたのだ。

「奥様・・・私は見てしまいました・・・旦那様の浮気の現場を・・・旦那様は奥様をバカって言ってました・・・」

その瞬間、七瀬の心の掛け金がはじけとんだ。

見上げれば紅蓮の炎が赤ん坊を抱いた姿の菊子を包んでいた。

彼女の強力な呪いの心が七瀬を呪縛していた。

七瀬は震えながら叫んだ。

お、お暇を・・・お暇をいただかせてください

無理ないわね・・・さようなら

菊子は慈悲の笑みを浮かべていた。

早々に根岸家を辞した七瀬の背後。

根岸家の閉ざされた窓辺には新三の姿があった。さらに、その背後には包丁をかまえた菊子がゆっくりと近づいている。

七瀬はこうして難を逃れた。

関連するキッドのブログ→第4回のレビュー

シナリオに沿ったレビューをお望みの方はこちらへ→くう様の家族八景

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コメント

キッドさん こんばんは

ストーリーはほとんど覚えていないんですがBOSS 2の中で一つだけ印象的なシーンがありました。喫茶店みたいなところで木南さんと玉山鉄二さんがむかいあっていて 一見仲の良い恋人同士みたいな二人が水面下で駆け引きしているシーン… その時の木南さんの演技というか雰囲気にものすごく引き込まれ、より彼女が好きになりました
なので 今回のテストを回避するための新三とのやり取りを見るのが とても楽しみだったのですが 意外とあっさりしていましたね(^^)

ただ奥様が階段から見下ろすシーンは今までで1番強烈で紅蓮菩薩とはまさにこのことか と思いました。
私的に3話以降 ドラマが見やすくわかりやすくなりました。
次回も期待したいです

投稿: chiru | 2012年2月22日 (水) 22時04分

シンザンモノ↘シッソウニン↗・・・chiru様、いらっしゃいませ・・・大ファン

が難解でございました。
なんだろう・・・?
特に・・・朝鮮半島の漢字?

はタテガミが表示されるはずでしたかーっ?

さて、それはさておき。
キッド休養中でしたが
「BOSS 2ndシーズン」のCASE10ですな。

父親が犯罪に関わっていると考え
逃亡のために時間稼ぎをしようとする楓(木南晴夏)と
楓の恋人・片桐刑事(玉山鉄二)の苦悩の駆け引き・・・。
懐かしいですな。

あの時の楓の父親は西岡徳馬・・・一話の尾形久国でしたな。

今回のシリーズでは全体的に
七瀬の新人類としての孤独にまつわるサスペンスは
控え目なんですな。

やはり、超能力そのものがすでに浸透と拡散しているので
説明するのが逆に困難になっている・・・のかもしれません。

ですから・・・あの手この手でテストを受けさせようとする学者と
被験者になって正体がバレる恐れを感じる七瀬との駆け引きは
ものすごく表現し辛いのだと演出家が考えたようです。

ま、時間的な問題もあるので
今回はこれで充分だったかなと。
しめしめという木南晴夏も得意のフィールドですしね。

紅蓮菩薩の演出は良かったですね。

とにかく朱に染まる顔というアイディアは秀逸だったと思います。

奇抜な演出ですからねえ~。
慣れるまでが一苦労ですよね。

キッドもかなり期待しております。

投稿: キッド | 2012年2月22日 (水) 23時19分

そうか・・・紅蓮菩薩という菩薩は実在しないのですね。
それは初めて知りました。
あってもいいのにねぇ…

今回は、映像的にも大変面白かったですね。
原作と違えど、無人のゆりかごはなかなか不気味でした。
まるで赤ちゃんなんか最初から存在しなかったかのよう。
まぁ・・・おっしゃるように名前もない存在だから、家族が消えれば
「幸せ」の象徴である赤ん坊もいなかったも同じという事ですね。

七瀬の腰ぬけっぷりもなかなか素晴らしかったです。

入浴剤は薄くなっているんでしょうか^^;

投稿: くう | 2012年2月23日 (木) 20時40分

❀❀❀☥❀❀❀~くう様、いらっしゃいませ~❀❀❀☥❀❀❀

そうですねえ。
「紅蓮菩薩」(1949年)という江戸火消しが主役の
昔の映画もありますし、
ドラマ『眠狂四郎』(1967年)の第9回のサブタイトルは
「紅蓮菩薩」でございます。
原作者にはこのあたりが着想のヒントとしてあったかもしれませんな。

亡者を地獄の苦行から救う地蔵菩薩がおりますが
八寒地獄の紅蓮地獄担当者が紅蓮菩薩と
呼称されるかもしれません。

菩薩は教えを乞うものと教え諭すものの二重の意味を持ち
つまり師弟でひとつの存在でございます。

そういう意味では観音菩薩や弥勒菩薩に救いを求める衆生は
すべて菩薩であると言うこともできるのですな。

山口百恵も百恵ファンも菩薩であるということです。

今回はスケジュールたてこんだのかプロデューサーが演出してましたが
なかなか乙でしたな。

子は鎹と申しますが
そうならない「無縁社会」の前兆として
この作品を読み解くことも可能です。
夫のみではなく我が子にも
関係性を見いだせない孤独な人間。

人として生まれながら超能力者の七瀬は
人の心にふれればふれるほど
孤独になっていくわけですし。

顔真っ赤の女優と
へたりこむ女優
なかなかにシュールでございました。

入浴剤についてはもう少し検証して・・・
近い将来発表したいとかんがえますが・・・
心の眼でみる限りかなり透明になっているようです。
光より早い素粒子的にっ。


投稿: キッド | 2012年2月24日 (金) 03時31分

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「紅蓮菩薩」 主婦にとって大切なのは家庭の評価。 「賢い妻」である事が女の砦だったのに… 七瀬の言葉が1つの家庭を地獄に突き落とす。 「家族八景 Nanase,Telepathy Girl's Ballad」第5話 ...... [続きを読む]

受信: 2012年2月23日 (木) 19時52分

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