止めど流る清か水に身を捨つる人(松山ケンイチ)
出家というものを武士がするのには様々な理由がある。
王家の血脈から言えば・・・佐藤義清(のりきよ)は公家のそれも支流の支流の支族である。
それでも・・・藤原鎌足の血を受け継ぐ貴族の末裔には違いない。
王族の護衛官ではあるが従七位上相当の左兵衛尉である。
そうした現世の地位を一切捨てて、自らの意思で出家するのは・・・ある意味、自殺行為なのである。
「死にたいけれど死ねない」・・・仏教とはそういう現実逃避をしたい者のためにある宗教であるといっても過言ではない。
なにしろ・・・創始者のブッダが・・・親を捨て、妻子を捨てて没我の森に逃げ込むことからスタートするわけですから。
つまり・・・出家とはそういう非情のライセンス獲得の道であり、けしてきれいごとではございません。
そのぐらい・・・義清の失恋の痛手は大きかったわけです。
そして・・・失恋したら髪を切るのは定番なのですな。
こういう青春の彷徨は現代なら庶民でも可能ですが・・・当時は貴族だから許される特権でございます。
そこはどうかお含みおきください。
失恋くらいで大袈裟な・・・という人は本当の失恋を知らないだけなのですな。
さて・・・あれから一年である。彼岸の彼方にさったものを供養することは惨事ゆえではないだろうが・・・時には量は質を圧倒する。未だ癒えぬ傷跡に何かを思うのは生あるゆえである。非業の死を遂げたものに恥じぬ生き方を捜して・・・今日がまた始まる。
で、『平清盛・第10回』(NHK総合20120311PM8~)脚本・藤本有紀、演出・中島由貴を見た。例によってシナリオに沿ったレビューはikasama4様を推奨します。今回はついに待賢門院璋子様描き下ろしイラスト大公開でございます。まさに男殺し・・・魔性の女・・・しかしてその実態はただの美女・・・。まさに恋とは幻想そのものなのでございますな~。はたして・・・いと惜しいのは・・・セクサロイドなのか・・・童女のような熟女なのか・・・素晴らしい役柄を次々に与えられ・・・人はいつしか大女優と化していくのですな。
時は保延(ほうえん)五年(1139年)である。この年、平家は興福寺宗徒の強訴に対応して、大和国山城国の国境である宇治に出動。僧兵の平安京侵入を阻止する防衛線を展開する。ちなみに興福寺は藤原宗家が檀家の寺である。このような暴挙の裏には藤原一族が暗躍しているのは言うまでもない。しかし、分家に分家を重ねた藤原氏はもはや・・・一族内の内紛が日常茶飯事になっている。たとえば藤原宗家を自任する摂関家は村上源氏の保護者である。傍系である閑院流が藤原璋子によって鳥羽帝を継ぐ崇徳帝を生む以前に村上源氏の末裔である源顕仲の娘・六条局を璋子に出仕させる。これが待賢門院堀河なのである。つまり、堀河局は摂関家の目付なのだな。堀河が必ずしも璋子の味方をしないのはこのためである。璋子の父閑院藤原公実は三条実行、西園寺通季、徳大寺実能の父親でもある。藤原北家傍流である秀郷流の佐藤義清はこの閑院分家の徳大寺家の郎党なのである。いわば、璋子は主家の姫君なのである。大河ドラマで登場人物の年齢を問うのは禁じているのだが、今回は未登場の人物紹介のために・・・元号と世代をまとめておくことにする。
康和(死者数万人の大地震発生と疫病流行のために改元)三年(1101年)藤原璋子誕生。
康和五年(1103年)鳥羽院誕生。(つまり璋子は年上の女である)
おそらく康和地震の余波が続き、天変により長治に改元(1104年~)・・・またもや天変で嘉承(1106年~)に改元。
高階通憲は嘉承元年に誕生。
藤原家成は嘉承二年(1107年)に誕生。
鳥羽天皇即位(数え年で六歳)により天仁(1108年~)に改元。
彗星が出現したために天永(1110年~)に改元。
天変、怪異、疫病、戦乱など大混乱で永久(1113年~)に改元。
永久三年(1115年)、藤原璋子の兄の子であり、佐藤義清の主でもある徳大寺公能が生誕。
永久五年(1117年)、藤原得子(美福門院)生誕。この時、璋子は数え年で17歳。
元永(天変、疫病流行で改元)元年(1118年)、平清盛誕生。同年、佐藤義清誕生。(つまり二人は同級生なのである・・・そして璋子は数え年で18歳である)
元永二年(1119年)崇徳天皇誕生。(つまり平清盛の異母弟である)
保安(御厄運御慎・・・つまりあまりにも運気が悪いので人心一新のため改元)元年(1120年)、藤原頼長誕生。(平清盛、数えで三歳である)
保安四年(1123年)、源義朝誕生。(平清盛、数えで六歳)
崇徳天皇即位のために天治(1124年~)に改元。
大治(疱瘡流行のために改元)元年(1126年)統子(むねこ)内親王(璋子の娘)誕生。
同年、平時子(平清盛後室)誕生。
大治二年(1127年)、後白河天皇(雅仁親王)誕生。
日照りにより天承(1131年~)に改元。
疫病・大火により長承(1132年~)に改元。
そして保延(洪水・飢饉・疫病により改元)五年(1139年)に近衛天皇(体仁親王)が生誕である。この時、母の得子は数え年で23歳である。
璋子は39歳。
鳥羽上皇は37歳。
高階通憲は34歳。
平清盛と佐藤義清は22歳。
崇徳帝は21歳。
藤原頼長が20歳。
源義朝は17歳。
統子内親王が14歳。
雅仁親王が13歳である。
・・・ということである。佐藤義清の失恋相手は璋子とされるのが一般的である。璋子が絶世の美女であり、義清は年上の女が好きだったということだな。
しかし・・・璋子の娘である統子内親王が母を上回る絶世の美少女だったので義清は統子内親王に惚れてしまったのだという説もある。この場合、義清は年下の女の子が好きだったということになるのである。・・・それが言いたかっただけなのかよっ。
鳥羽上皇の側近である藤原家成は保延五年八月・・・春宮権大夫(みこのみやのつかさ)となった。父・長保の兄・長実の娘・藤原得子の産んだ体仁親王が崇徳帝の中宮・藤原聖子を准母(身分の低い生母に代わる養母)として皇太弟となったからである。
一方で、藤原家成の母は藤原道隆流の藤原隆宗の娘・宗子である。宗子の兄に藤原宗兼がいて、その娘がまた宗子と言う。平忠盛の正室である。
高貴なる王家に父方の従妹がいて、実力ある武家に母方の従妹がいる。出世した藤原家成の公家としての地位は絶妙なバランスの上で成立している。
宇治での平安京防衛戦を無事、終えて戦果報告をした従妹の夫・平忠盛を春宮の執務室に呼んだ家成は浮かぬ顔をしていた。
「何用でございましょうや・・・」と忠盛は10歳ほど年下の貴族に尋ねた。
「・・・後宮のことです・・・」と口重く家成は答える。
「それは・・・」
「恐れ多くも末は国母となられる・・・わが従妹の得子のことなのです」
「・・・」
「どうも・・・別人のようなのです」
「なんと・・・」
「確かに・・・我が従妹は藤原氏の娘として末茂流という傍系ながら・・・寝屋の術には長けておりましたが・・・最近ではほとんど・・・妖術めいておるのです」
「しかし・・・それは修練の賜物というものではありませぬか・・・」
「いや・・・こなたさまの奥方同様・・・得子様にも幼い頃より親しんでいたこの家成には理屈抜きでわかる・・・と申した方がよろしかろう・・・あれはもはや・・・得子様ではない・・・いや、人ですらないかもしれませぬ・・・」
「それは・・・一体・・・」
「どうやら・・・もののけにとって代わられたようなのです」
「・・・」
「しかし・・・もはや・・・雲の上に登られたお方・・・たとえ・・・正体がもののけであろうともうかつに手出しはできませぬ・・・ただ・・・武門の長たる忠盛殿にはお含みおきいただきたくお伝え申し上げたのです」
「・・・」忠盛と家成は無言のまま、互いを見つめあっていた。
その頃、清盛は内裏では中御門屋敷と称される待賢門院に招かれていた。
応対するのは・・・璋子ではなく・・・ひめみこながら聖徳太子の再来と噂される璋子の産んだ皇女・統子(むねこ)内親王である。さすがの清盛も入室ははばかられ、板の間で平服する。
「顔(かんばせ)をあげなされ」凛とした声が聞こえる。その鈴やかさに清盛は痺れるような快感を覚えた。御簾ごしに後光がさしており、顔をあげた清盛はまぶしさに顔をしかめる。
「お初にお目にかかります」
「ふふふ・・・先日は弟の雅仁がお世話をかけたそうじゃな。あれはスサノオのようなもの・・・宮の者たちも手をやいておる・・・」
「いや・・・なかなかの豪のお方にて・・・」
「そなたは・・・我が兄・崇徳帝にとっては異母兄じゃ・・・そのように礼を尽くさずともよい・・・我ら姉弟にとっても大伯父にあたるお方であろう・・・等しく白河帝の血を引くもの同志・・・面白おかしく参ろうぞ・・・」
「・・・ははは・・・これはこれは噂にたがわぬ姫様よのう・・・」
「そなたも・・・噂通り・・・けだもののような気迫に満ちておいでじゃ・・・さもたわむれも過ぎ遊びも過ぎる日々をお過ごしなされたのじゃろう・・・機会があれば・・・ゆっくりと話などせがみたいものじゃ・・・」
「それがしの話など・・・さして・・・」
「まあ・・・いい・・・ところで、にしの海の彼方、からの大陸の彼方には・・・花に言の葉があるそうじゃ」
「ほほう・・・」
「水仙の言の葉は・・・うぬぼれ・・・だとか」
「それはまた」
「なんでも・・・昔、若者が水鏡に映る自分の顔にうっとりばかりしておると・・・妖魔に水辺の水仙に変えられてしまったと言い伝えがあるらしい」
「それはまた・・・小憎らしい妖魔がおったものですな」
「まあ、わが母やわが父を見ていると・・・水仙の魔は洋の東西を問わぬと思えてくる」
そこで・・・ひめみこは言葉を切り、しばらくもの思いに沈む。だが、それは一瞬のことで・・・鈴音のような声は再び清盛の耳を熱くする。
「さて・・・そのように王と后が見果てぬ水仙を追ううちに・・・いつのまにやら宮に妖異に入りこまれてしまったようなのじゃ・・・」
「なんと・・・」
「童の占いでは心もとないが・・・それによると・・・あやかしは・・・古くからの国から渡ってきたもののようなのじゃ」
「それは・・・まさか・・・妲己(だっき)とか妖狐(ようこ)とか申すものでしょうか・・・」
「おやまあ・・・さすがじゃ・・・よくご存じであられたな・・・」
「いや・・・博多の湊で小耳にはさんだ程度やけど」
「そうですか・・・さて、さすがに千年の昔より・・・人とまじわるもののけだけに用意周到で・・・人に化けるために・・・格別なる護符を・・・各地の鎮守の森に秘めてきたようなのじゃ・・・」
「つまり・・・術式に結界を張っておるというのですか・・・」
「話が早くてよいの・・・そういうわけで・・・もののけの正体を見破るためにはその・・・護符を破棄しなくてはならぬ・・・」
「それをそれがしにお命じになるのか・・・」
「いや・・・さすがにそれは清盛殿の自由にはなるまいて・・・あれに控えておるものに命ずるつもりじゃ・・・」
清盛は背後を見た。いつの間にか忍びよっていたのか。そこには清盛の見知った顔のものがいた。北面の武士の一人、佐藤義清である。
「これはいにしえの忍びの頭領で大伴の服部半蔵と申すもの。今は母上のご実家の分家、徳大寺家に、佐藤義清と名乗り、仕えておる」
「・・・なるほど・・・大伴忍びの頭領でござったか・・・」
「で、清盛殿には手の者を召し出されるなど・・・援助をお願いしたいのじゃ・・・」
「この清盛・・・出来る限りのことをいたしまする」
清盛は再び平服した。
こうして、武士・佐藤義清は歴史の表舞台から姿を消すのだった。
その頃・・・源義朝は・・・関東で武名を馳せていた。すでに戦乱の兆しをみせていた相模国や上総国などで叛乱勢力をあたるをさいわいなぎ倒し・・・着々と源氏の勢力を広げていたのである。
そして・・・行く先々で女を犯し・・・源氏の血を広めているのだった。
やがて・・・その青春の因果が後の世にいろいろと応報するのである。
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