未来の俺も俺なのだ(松岡昌宏)
私たちは1+1が2であることを知っている。多くの人が1+1=であれば2となると予測する。
そういう当然の帰結は予定調和の一種である。
しかし、認識される情報としてのそれは1+1=2として表象されるモナド(とある存在)なのである。
モナドには因果律は存在しない・・・つまり1+1が2になるわけではない。単に1+1=2なのである。
なぜなら・・・1+1が2になる瞬間には・・・時間の流れが存在する。
個人差はあるものの因果としての時間が流れているのである。これがモナドに対する人間の認識能力の限界である。
1+1=2は宇宙そのものである。とある存在は全体そのものなのである。
同様にとある時間は経過しない・・・なぜならとある時間は時間全体だからである。
こういう世界観に支配されればすべての事象は改変不能である。
あらゆる努力は無駄であり・・・意思さえもただの成り行きとなる。
だが・・・ライプニッツとは違い、私たちは思う。
予定外の不調和こそ・・・生きることの歓喜の源であると。
しかし、私たちは思う。とある存在のゆらぎが最初で最後とは限らない・・・と。
時には、1+1=0でありますように。
で、『13歳のハローワーク ・最終回』(20120309PM1115~テレビ朝日)原作・村上龍、脚本・大石哲也、演出・髙橋伸之を見た。ドラマの中にもルールがあり、そのルールは当然、反則によって破られる。たとえば「他言無用・・・他言した場合は死刑」というルールは「他言」で「死刑」にならないとルールそのものが無用となるわけである。まあ、法務大臣が死刑を執行しないというルール無用の国家なのでなんでもありといえばそれまでだが・・・あまりルールをやぶってばかりいると・・・ドラマそのものが見捨てられる危険性があります。
しかし・・・まあ・・・それもきっと試練なのかもしれん・・・それが言いたかったのかよっ。
さて、最終回である。ここまでフィールド、スケジュール、キャラクターと分析してきたので今回はテーマとなるわけだ。もちろん、それもまた予定調和の一種である。
神の予定調和にもの申す立場の悪魔がそれでいいのかと問われれば無視するわけだな。
テーマとはドイツ語で英語ならタイトルである。日本語では主題とも題名とも訳される所以なのだな。
というわけで・・・このドラマのテーマは「13歳のハローワーク」である。・・・以上。
ということなら簡単なのだが・・・結局、それでは分析にならないことは言うまでもない。
ここで問題となるのがテーマの表現ということである。
そして表現とは「たとえ」であり「くりかえし」であると言うことになる。
つまり、言いたいことは何なのか・・・と言うことが問われるのだな。
もちろん・・・それは一言で言えるのだが・・・それをあえて増幅していくのが・・・予定調和のなせるわざなのである。
①解題・・・テーマを解き明かしていくことにしよう。13歳のハローワークとは・・・人は13歳くらいで職業について深く考えるべきだという一種の啓示なのである。なぜなら・・・日本では中学生は義務教育の最終段階だからである。国家としては・・・中学を卒業した後の人生はご自由に・・・という態度を示しているのである。にもかかわらず人々は多数が卒業後の進学を選択し、さらにまた進学する。つまり、就職という段階への長いモラトリアム(執行猶予期間)が黙認されているのだな。キッドは四年生大学を卒業した後でさらに専門学校に進学した学生を指導した経験があるが・・・本心では・・・いい加減に働けよという気持ちでいっぱいだった。だが、それが仕事である以上・・・教えることは教えるのである。そういう意味で13歳のハローワークとは実にキッドの気持ちにフィットするテーマであるのだな。
②テーマのセリフ化・・・で、ドラマの場合、テーマのもっとも具体的な表現はセリフである。13歳のハローワークと叫ぶことはもっともシンプルな主張なのだが・・・なかなか、口にしづらいテーマではある。そのためにドラマでは「13歳の」少年少女が叫んだり、怪しい「ハローワーク」職員(滝藤賢一)が恫喝したりするわけである。これは言わばテーマの分離化でもある。その中から・・・13歳のハローワークには「仕事とは何か?」という問いかけが潜んでいることが明らかになっていく。
少年時代の鉄平(田中偉登 )は言う。「刑事ってなんだよ・・・人から未来を奪うのが仕事なのかよ」・・・もちろん、それは一つの真理である。
妖しいハローワーク職員は言う。「ここに来ても仕事はありませんよ。世の中に自分の望む仕事に就いている人がどれほどいるとお考えですか」・・・そういう側面もあるだろう。
「仕事とは何か」の正解を表現することは難しいため・・・とにかく、いろいろと例をあげて・・・たとえば「コック」たとえば「ホスト」たとえば「ナース」などと手を変え、品を変え・・・結局、「仕事にはいろいろある」という難解な正解を出したりするわけである。
③テーマの展開・・・で、結局は説明に説明を重ねていくのがテーマというものの本質である。「理想の仕事がみつかるといいね」「そのためにはかなり若い時から仕事について考えるといいね」「そしていろいろな仕事をためしてみるのもいいね」「それから一つの仕事にうちこむといいね」「仕事が楽しいとは限らないけど楽しいといいね」「さんざんなめにあってもさんざんなめにあっても」「金が欲しくて働いて眠るだけ」「こんな事いつまでも長くは続かないいい加減明日の事考えた方がイイ」・・・おい、冥界からのメッセージ届いてるぞ。
④テーマの帰結・・・で、最終回ともなれば・・・テーマのまとめをしなければならないのである。まあ・・・このドラマのテーマはあってないようなものなので・・・最後はわかったようなわからないような点に帰結する。まあ・・・「テーマについては各人がもう一度考えてください」というのはよくあるテーマなのである。
前回・・・目的達成のために手段を選ばないのは間違いである・・・というのと正しいのだというのを同時に表現しているのがこのテーマの複雑さを物語る。少年(中川大志)の暴力はNGだが、大人(松岡昌宏)の暴力はOKだったりするわけだ。
さらには「仕事とは金を稼ぐこと」「金を稼ぐことは楽しい」「金儲けは趣味と実益を兼ねる」という手段が目的化してしまう東(風吹ジュン)がかなり肯定的に描かれているのもこのドラマのテーマの一つと言えるだろう。
こうした様々なテーマの洗礼を受けて・・・主人公が到達するのは・・・「どんな仕事でも本人の気持ちひとつでやりがいのある素晴らしいものになる」ということなのだな。
突然、巨大化したように見える佳奈(沢木ルカ)が「やりたいことをやってみる」と言うのはそのためなのである。なにしろルカはもう14歳なのだ。
もちろん・・・ゲストが「希望の職種につけないからといって暴走したりするのは絶対にみとめられないこと」と釘を刺すために登場するわけである。
子供たちに教えたいから進学塾の教壇で警官から略奪した拳銃を片手に叫ぶ若松信也(細田としひこ)・・・「もうだめだ」という若松に「そんなことはない」と断言するタイムトラベラー小暮鉄平(松岡昌宏)・・・「そんなことはないことはないだろう」とも思うが・・・そういうテーマ外のことには言及しないのが大人というものなのだな。
こうして・・・小暮は「将来に悩む青少年の手助けをすることが・・・自分の本職である」という一つの結論に達する。だが・・・たちまち・・・さらに未来から小暮がやってきて・・・「老後のことを考えたら・・・もっと金を稼がなくちゃだめだ・・・」と主張するのである。
つまり・・・「13歳のハローワーク」は「生きがいとなる職業について高収入」を推奨するのだな。
そんなことは言われなくてもわかってる・・・というのは穢れた14歳以上が言うことですから。
まあ・・・どんな職業に就こうが・・・愛する人(桐谷美玲)がいればそれなりに幸せになれると高野(横山裕/古田新太)はこっそり言う。言わば裏テーマである。
そして・・・そうなると・・・このドラマがもっとも言いたかったことは「美味しいものを食べれば人は太る」ということなのだ。
ま、それでいいのかどうかは別として。
以上でテーマとしての分析を終了します。
関連するキッドのブログ→第8話のレビュー
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