ふざけるんじゃねえよ、いつかぶっとばしてやる(松山ケンイチ)
しびれるような展開である。
平忠盛の逝去まで残り四年。
藤原家成の逝去まで残り五年。
近衛天皇の崩御まで残り六年。
鳥羽天皇の崩御まで残り七年。
その後に起こる乱の予感がみなぎる久安五年(1149年)である。
平家盛は生年不詳のために実際の年齢は不明なのだが、この頃、20代前半と思われる。
衆道の相手としてはやや年が行っているのだが、藤原頼長は稚児趣味ではなく、なんでもこいの人だったと思われる。
なにしろ、妻の藤原幸子の弟、徳大寺公能も抱いちゃってるのだ。
家盛との関係はあくまでフィクションであるが、源義朝の弟・義賢(木曽義仲の父)との関係は史実である。
ともかく、清盛も義朝も弟を頼長に抱かれちゃっているので間接義兄弟になってしまったのだな。
だから・・・保元の乱とは弟を奪われた兄たちの復讐劇なのだと言えるのだ・・・言えるのかよっ。
ま、実際のところ、頼長は権力者である。源氏も平氏もお尻を差し出さずにはいられない悲しい追従者であったとも言えます。
で、『平清盛・第14回』(NHK総合20120408PM8~)脚本・藤本有紀、演出・中島由貴を見た。例によってシナリオに沿ったレビューはikasama4様を推奨します。今回はお待たせしました何を考えているのか一切読ませない藤原のくのいちにして平忠盛夫人の藤原宗子描き下ろしイラスト、そして伊賀のしのびで平家家来筆頭・平家貞描き下ろしイラストの二大描き下ろし大公開でお得でございます。なんだかんだと平忠盛・清盛親子を影から支える二人ですが・・・二人とも忍者なのでその腹はまったく読めないという共通点がございますな。
平家盛が鳥羽法皇の熊野参詣に従ったのは久安五年(1149年)春のことである。出発前から病を発していたとも言う。兄・清盛が謹慎中であったために代行の役を務めていたわけであり、実母の藤原宗子にしてみれば・・・清盛に複雑な感情を抱いたことだろう。義理の息子である清盛が失脚したことはうれしいが・・・そのために我が子が病をおして旅立ったくやしさがある。しかし、くのいちなのでポーカーフェイスなのである。さて、平忠盛の息子たちもそろって登場の今回。ご落胤設定の長男・清盛は別として、次男・家盛と五男・頼盛は宗子の子である。三男・経盛(次男説もある)は村上源氏源陸奥守信雅の娘・定子(仮名)の子。四男・教盛は摂関家・藤原忠実の弟・家隆の娘・澄子(仮名)の子となっている。家格というものは父系だけでなく、母系も重視される。経盛と教盛は共に母の母の身分が低く、一門の中では気があったのだろう。壇ノ浦では兄弟仲好く、入水したことで有名なのである。忠盛にはこの他にも無賃乗車で有名な熊野の女に産ませた七男・忠度、生母不詳の六男・忠重などの息子と少なくとも五人の娘がいることが知られている。平忠盛は少なくとも12人の子供の父親なのである。うかつに現代の男性と比較してはならないのだな。
藤原頼長は自分大好き人間である。現在で言えばライフログをやるだろう。なぜ、頼長が様々な男を抱いちゃっているのが現代に伝わっているかといえば、本人の日記に書いてあるからである。「今日は公家の~を抱いちゃった」「今夜は武家の~を抱いちゃった」なのである。「あやわかと呼ばれし幼少のころは母親の身分が低いので父親にもうとんじられたが、九書五音を学びに学び、ついには漢書さえ読み下し、酒も飲まず、博打も打たず、勤勉の甲斐あって父親に藤原家の家宝とまで呼ばれるようになっちゃった」などとせつない胸の内まで書き記している。ここでも、「飲む、打つ、買う」のうち、女色、男色については控えていないことが忍ばれる。
そんな頼長に菊紋を愛でられた平家盛は裂傷から細菌に感染し、臀部が化膿して発熱し、病床に伏していた。
藤原のくのいちである母・宗子は薬法を心得ており、懸命に看病し、なんとか熊野参詣の護衛任務に息子がつけるようにと願ったのである。
出発前に小康状態を得た家盛は尻の痛みをこらえて馬上の人になる。
しかし・・・尻の病が騎乗に適さないことは言うまでもない。
「兄上・・・もはや・・・これまでじゃ・・・」
熱に浮かされて朦朧となりながら・・・家成は清盛の名を呼んで宇治川が淀川と名を変える辺りで馬から堕ちた。
その頃、清盛は謹慎中であるのを吉として統子内親王の密命を果たすために比叡山の西側の山中に入っていた。道案内を勤めるのは元・延暦寺の僧侶・鬼若である。都で暇をもてあましていた義朝も同行している。先行している西行法師こと大伴の服部の忍び半蔵との連絡役であるくのいち波音も加わった四人組である。
四人ともに野獣のような身ごなしである。周辺の堂塔を警護する比叡山の僧兵たちの目を盗むなどわけもないことだった。
道案内をかってでた鬼若は二人の御曹司と、女である波音の山行の見事さに舌を巻いた。
「若君たち・・・そのように急かれますな・・・」
「なんじゃ・・・鬼若だらしないぞ・・・」
「修行が足りぬな」
清盛・義朝に叱咤されて鬼若は鼻白む。くのいちの波音は無言だがその目に嘲笑の色を感じ、鬼若は発奮せざるをえない。
やがて・・・道なき道を進んだ一行は三石岳の南の斜面で西行法師と合流する。
西行法師には疲労の影が宿っていた。
「お待ちしておりました」
「待たせたな・・・なんぞあったか・・・」
「妲己の封印の地の一つがこの先にある古の紀氏の墓地周辺にあることが判明いたしたので・・・郎党ともどもに探索に入りました。清盛殿にお借りした伊賀の郎党、それがしの手下、そして呪術に優れた陰陽家のものども総勢二十四名でございます。それが・・・ことごとく討ち死に・・・問題の若藻の墓という結界には魔物が潜んでいたのでございます。それが・・・鳳のような化け物で・・・」
「ふむ・・・どうやら鵺の一族のようじゃな・・・」
清盛は待賢門院殿で討ち果たした怪異を想起する。
「封印を解くには月光を必要としますが、夜になれば魔物が現れまする」
「承知した。昼のうちに若藻の墓に乗り込み・・・夜を待つとしよう。封印はおぬしにまかせ、魔物は我らがひきうけた」
山中の樹木に覆われた若藻の墓は八世紀の吉備真備の頃から300年ほどを経て苔むしている小さな石碑であった。
五人が都の噂などをするうちに陽がくれる。その夜は十三夜である。早くも月が昇りだす。
西行は統子内親王の指示通りに結界破壊のための真言を唱えだす。
ぐえええーーーーっ。
突然、鵺が啼き、月光の彼方から怪鳥が姿を現す。
「ひえっ・・・」と鬼若は叫んで腰を抜かした。
鵺は一羽ではなかった。
義朝も驚きを隠せなかったが、さすがは源氏の鬼武者頭殿である。源氏伝来の鬼切丸を抜き放つ。
「ひい、ふう、みい・・・三匹じや・・・一人、一匹とは造作もない」
と清盛は鬼若を見下ろしてニヤリとする。
「波音・・・弓じゃ」
「はっ・・・」とくのいちは背負った弓矢を差し出す。
清盛は鏑矢王の矢を降下してくる先頭の鵺に射ちこんだ。
「ぎょえぇぇぇぇぇ」
矢が命中するや鵺は青く燃え上がった。
矢に潜む霊力による幻の炎である。
次の瞬間、舞い降りて義朝を襲った鵺の首が夜空に舞いあがる。義朝も一振りで魔物を仕留めていた。
腰を抜かせて後退りする鬼若を狙った最後の一羽に清盛は腰に吊るした天国の小刀、小烏丸を抜き放ち擲った。羽根に突き刺さった小烏丸に苦悶する鵺に跳躍した義朝の鬼切丸が一閃した。
「さすがじゃ・・・」呪法を続けながら二人の武者ぶりを眺めた西行は舌を巻く。
呪法が終了すると・・・若藻の墓は一瞬、燐光を放ち、比叡山山中に静寂が戻る。
・・・御所の奥では美福門院藤原得子が目を覚ます。
(ほほう・・・結界が一つやぶられたか・・・)
その一瞬の衝撃で飛び出た一本の尾を収納しつつ、古き魔物は闇の中で謎の微笑みを示すのだった。
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