獣みたいな口つきした俺たちは人でなしの血の色の旗を掲げる(松山ケンイチ)
平安時代の終焉がそこまできているわけである。
平安と名乗る都を一歩出れば、そこは修羅の巷である。
疫病は蔓延し、民草は飢餓にあえぐ。
赤い旗を掲げた平安の革命戦士たちはその地獄から生まれた仇花と言えよう。
昭和時代の赤軍派と異なるのは・・・彼らの革命がまがりなりにも成功してしまうことだろう。
しかし、理想はたちまち、腐敗し、偉大なる指導者が去った後には新たなる地獄の怨嗟が満ち溢れる。
平家赤軍派の革命の顛末があるからこそ・・・この国はそれから800年以上も革命の火が燃えあがることはないのである。
民衆は知っているのだ。権力を打倒せよ・・・と叫ぶものが必ず悪しき権力者になることを。
しかし・・・一方で平清盛の大成功があるからこそ・・・今もなお、革命の夢は細々と紡がれるのである。
で、『平清盛・第17回』(NHK総合20120429PM8~)脚本・藤本有紀、演出・中島由貴を見た。例によってシナリオに沿ったレビューはikasama4様を推奨します。今回は第二部突入記念・喪服に身を包んだ伊勢平氏新棟梁・正四位下中務大輔平安芸守清盛のイラスト大公開でございます。病床の画伯が精魂振り絞り気迫あふれる清盛像を見事に描ききってトレビアンでございます。おいたわしや~。地獄の底からご回復をお祈りいたしておりまぞ~。
平忠盛が死去して伊勢平氏が代替わりした仁平三年(1153年)、河内源氏の源為義の長男・源義朝は従五位下を叙位され、下野守に任じられている。この年、義朝は31才。相模から下野に至る関東の広大な領地を支配した実力を買われてのことであった。平清盛が肥後守に任じられたのは20才の時であるから・・・大分遅い任官であるが、清盛の父・忠盛がすでに伯耆守、越前守、備前守などを歴任している家柄であり、一国の国司にもなれなかった父・為義を持つ義朝としては破格の出世とも言える。正四位下鎮守府将軍まで登りつめた八幡太郎源義家の末裔である源為義の出世が遅れたのは義朝の祖父であり、為義の父とされる源対馬守義親が謀反人だったためである。義親の追討使は平忠盛の父、平正盛であったことは言うまでもない。伊勢平氏と河内源氏にはそのような因縁があるわけである。平安京朝廷は全国への国司派遣と土着化により、国土開拓を行ってきたわけだが、土着した武装開拓民が様々な事情から朝貢を怠るようになり・・・地方と中央の摩擦は深刻化していたのだった。平忠盛や源義朝の躍進は・・・都の東西で分裂しつつあった王家の民草を再編成し統率したことによるものである。当然の如く、それは支配するものにとって両刃の剣となるのである。虚構の権威に頼るものと実力者との軋轢は徐々に深まっていた。王家に代わって民を支配するものと民に代わって王家に解放を迫るものとは区別の困難なものだからである。こうして・・・王家、公家に続く第三の階級・武家は新たなる潮流となって時代を変革していく。しかし・・・前途は多難なのであった。
六波羅の平家屋敷は棟梁の相続の宴でにぎわっていた。
清盛は父・忠盛の喪に服しながら、清盛邸を長男・重盛に譲り、妻・時子と幼子を連れて本屋敷に居を構える。忠盛の正室・宗子は六波羅の池の別邸に移り池禅尼(いけのぜんに)と称した。早世した家盛の未亡人は幼い娘とともにこれに従う。20才になった正五位下常陸介頼盛も池殿に移った。頼盛の乳父は平宗清である。
忠盛の一の郎党とも言うべき、平家貞はそのまま家宰として本家に残り、清盛・一の郎党となるべく平盛国を指導する。
忠盛は全国各地の荘官に縁故を結んでいるために・・・菩提を弔うもの、新棟梁を祝うものが続々と平家屋敷を訪れるのだった。
その中に・・・源義朝の姿があった。一人の老武者を伴っている。
「これは叔父上・・・」と清盛は老武者を呼んで、忠盛の霊前に自ら案内する。焼香をすますと、三人は静かな内庭に出た。
老武者は河内源太と称された源経国である。義朝の父・為義は経国の叔父にあたり、義朝は従兄弟ということになる。
経国の父、源義忠は河内源氏四代目棟梁であったが、叔父にあたる源義光に暗殺されてしまったのである。そのために河内源氏の正統は紆余曲折の末に為義が継ぐ形になっている。経国は幼少時に母方の伯父・平正盛に引き取られ養育された過去がある。つまり、平家屋敷は第二の生家と言える。正室は正盛の娘であり、正盛の長男・忠盛とは義兄弟であり、清盛には叔父にあたるのである。
平清盛の叔父であり、源義朝の従兄弟・・・それが源経国という老武者なのである。
小柄だが弓をとっては天下一とも噂されるこの苦労人は半世紀前の浅間山大噴火の復興に力を尽くし、武蔵国にも勢力を持っている。義朝が関東に下向し、相模国に勢力を張ると、下野国に根を張った経国の叔父・源義国と摩擦を生じたことがあった。この時、叔父の義国と従兄弟の義朝の間をとりもったのが、経国であった。
その仲介の労があって・・・義朝は関東の覇者となりえたのだった。
清盛も父・忠盛から・・・経国の並々ならぬ政治手腕について聞かされていた。
「本来は・・・河内源氏の棟梁となるべきお人であった」と忠盛は言った。「武勇の誉れも高く・・・賢いお人じゃ・・・しかし、源家は兄弟相克がお家芸のようじゃからの。兄弟叔父甥殺しあって・・・為義殿の代には弱り果てておる・・・その中で関東にあって経国殿は立派に源氏を盛り返した・・・一つに神仏に頼らぬこと、一つに家の上下内外に和をもってあたること、一つに素早い決断・・・清盛もかのお人を見習わねばならぬ」
合理主義、統率の法、決断力は忠盛もまた優れた男であった。忠盛は己が信条を経国にたとえて清盛に伝えたのである。そして、清盛はその教えを忠実に守っていくのだった。
「都はあいも変わらぬことじゃのう・・・」と経国は言う。「我ら武家はわずかに油断すれば都のもめごとに巻き込まれてしまうもの。とくに藤原のお家には注意しなければならぬ・・・あっと言う間に足をさらわれるからの・・・源氏など摂関家の陰謀にかかっては赤子も同然じゃ・・・。我が舅の正盛様、義兄弟の忠盛殿はその点、要人深いお人であった・・・のう、清盛殿」
「は、肝に銘じておきまする」
「聞けば・・・清盛殿は・・・この義朝とは馬が合うと言うではないか」
じっと無言で控えていた義朝は顔に血潮を昇らせる。
「いや・・・弟のように思うておりまする」清盛の言葉に義朝は口元に微笑みを浮かべる。二人は比叡山山中で化け物退治をした仲である。
「よいことじゃ・・・源氏じゃの平氏じゃのと張りおうている時にあらず・・・今少しで・・・我ら武士の中から治天の君が現れる・・・」経国は声をひそめた。「我はそう願っておるのじゃ。そのためにこの老骨を捧げたいとな」
「亡き父も・・・そのように申しておりましたぞ」
気がつくと・・・清盛の頬には涙が伝っていた。経国も泣き、義朝も泣いていた。
三人の男たちは泣きながら手をとりあった。
都には夏の気配が・・・日差しとなって降り注いでいる。
関連するキッドのブログ→第16話のレビュー
| 固定リンク
コメント