もう準備はできたかよ、火蓋を切るのはもうすぐだぜ(松山ケンイチ)
平安京は延暦十三年(794年)に桓武天皇によって定められた都である。
その名は「たいらのみやこ」と呼ばれた。
それからおよそ360年の歳月が過ぎ去り・・・桓武天皇の子孫で平の氏を持つ者たちが平安京の終焉に立ち会うことになる。
その間、戦とは地方における叛乱の鎮圧を意味する言葉であり、また、地方における縄張り争いについて語られる言葉であった。
しかし、今、都の中央で・・・政治が武力による決着を待つ時代となったのである。
それを為したのは誰であろう。
治天の君による院政という独裁政権を樹立し・・・北面の武士という親衛隊を組織した白河法皇だったのだろうか。
それともそれを受け継いだ鳥羽法皇だったのか。
あるいは・・・藤原摂関家による理想の政治を追求した左大臣藤原頼長の反動政治が原因だったのか。
それとも玉藻の前こと美福門院得子の傾国の妖気がみやこびとの心を乱したためなのか。
もちろん、歴史の歯車は回るべき時に回るのである。
荘園公領制性と知行国制度・・・この水と油の制度が矛盾を蓄積し・・・ついに引火の時を迎えたのか。
実力で土地を支配するものたちが・・・権威による支配にとまどいを感じるのは必然である。
平清盛も源義朝もその声なき声の代弁者なのである。
しかし、その声は弓矢と太刀と炎を伴っていたのだ。
鳥羽法皇の崩御から十日間で・・・長らく続いた公家の時代は終焉し、武家の時代の幕があがるのだ。
で、『平清盛・第20回』(NHK総合20120520PM8~)脚本・藤本有紀、演出・佐々木善春を見た。例によってシナリオに沿ったレビューはikasama4様を推奨します。今回は源為義の郎党にして源義朝の乳父・相模国鎌田権守通清、平清盛の叔父にして新院蔵人平長盛の父平右馬助忠正、そしてついに登場、摂政関白太政大臣藤原忠通の三大イラスト描き下ろしでお得でございます。大量描き下ろしキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!! 滅びの美学に彩られた悪左府組の・・・為義家臣に平家の裏切り者・・・そして、摂関家正統派の巨頭・関白忠通・・・役者がそろいましたなーーーっ。万歳、万歳、ヽ(´▽`)/バンジャーイ。
保元元年(1156年)七月二日鳥羽法皇は54年の生涯の幕を閉じた。その日、崇徳上皇は鳥羽殿を訪れたが対面は叶わず空しく田中殿に引き返す。鳥羽法皇の殯(もがり)の儀は鳥羽殿を殯の宮として密やかに行われた。七月五日には後白河天皇による勅命で都に戒厳令が引かれ、清盛次男の平基盛(18)ら検非違使が平安京周辺の警護のため召集される。七月六日には宇治路で警戒中の基盛が崇徳上皇方に味方するため上京を図った大和源氏の源親治と遭遇し、合戦。源親治は平基盛の捕虜となっている。七月八日には摂関家による荘園からの徴兵を禁じる綸旨が後白河天皇により発せられる。この日、摂関家の東三条殿は源義朝により一時接収される。隣接する後白河御所および信西入道屋敷を含め王城を形成するためである。すべては後白河帝の乳父・信西による画策であり、崇徳上皇および左大臣・藤原頼長に対する挑発行動である。頼長は洛北の土御門殿に籠り、形勢を伺う。七月九日、崇徳上皇は田中殿を脱出し、洛東前斎院統子内親王(崇徳の異父妹)御所に入所した。統子と相談の結果、崇徳上皇はより広い白河北殿に移る。七月十日、宇治の摂関家郎党と合流した左大臣頼長は白河北殿に伺候する。集った顔ぶれは崇徳上皇の側近と左大臣の側近のみ。いわば、ひとにぎりの私兵たちが屠殺場に追い込まれたも同然だったのである。一方で・・・後白河天皇陣営には西国武士団を領する平清盛と東国武士団を領する源義朝を始め、摂津の多田源氏、美濃の八島源氏など近隣の有力武士団の長が続々と集結していた。保元の乱とは言わば多勢に無勢の戦だったのである。
「巷では・・・朕が悪左府と心を同じくして帝に仇なすなどと騒がれているそうだ・・・」
崇徳上皇はか細い声でそうつぶやいた。疲れた顔の異父兄のために統子親王は女房に命じて酒を用意していた。
「朕はただ・・・我が子を帝につけたかっただけ・・・帝の子が帝になるになんの障りがあろうか・・・」
数えで三十路となっている統子親王は七歳年上の上皇を見て労しげな表情を浮かべた。
(この兄は・・・歌作りにはあれほどの才を見せるのにまつりごとのことは何一つおわかりではない・・・それにくらべ・・・あの弟は・・・)と統子親王は同母弟の今の帝の顔を思い浮かべる。
(あれは・・・今様狂いをしながら・・・どこか醒めた目を持っていた。今、思えばすべてはかりそめのころものごとき・・・うつけをよそおっていたのだわ・・・)
「上皇様・・・ほどなく・・・お味方がおそばに参りましょう・・・この屋敷ではいかにも手狭でござりますれば・・・白河殿にお移りあそばされませ・・・お子であり妾の甥でもある重仁親王様の乳父は亡き平忠盛公・・・乳母は池禅尼殿・・・その縁を頼って六波羅に使いを出されるがよろしゅうございまする」
統子親王の言葉にすがるような目をしながら耳を傾けた崇徳上皇は幽かに頷いた。何事かを自ら決めるということに慣れていない上皇にとって妹の言葉は優しく響く。
「そうか・・・その方がよいか・・・」
「牛車をご用意いたします」
統子親王は左右のものを連れ、南にある白河殿へ移る上皇の牛車を見送った。
牛は統子親王のお気に入りの一頭をつけている。せめてもの手向けであった。
奥の間から源義朝の正室であり、斎院の女房である藤原由良が現れる。
「お支度が整いましてございます」
「そうか・・・」
斎院の裏手には大伴の忍びの一群が控えていた。先頭にいるのは西行法師である。
「では・・・参ろうか」
新たなる牛車を曳くのは忍牛である。特別の訓練を受けた牛は統子親王が乗車するのを確かめると走り出す。牛車は最初北へ向かい、やがて西に向かった。そして南に進路を変える。その先にあるのは大内裏だった。
今は荒廃して・・・わずかな番人の他は人気の絶えた王宮である。
その番人もここ数日の都の騒動で己が屋敷での合戦支度に忙しく、不在であった。
幼い日々にこの禁裏で遊んだことを統子は想起する。
(結局・・・父上の治世は宮の荒廃を招聘しただけであったのか)
統子は漠然とした寂寥感を覚える。
(しかし・・・このような感傷に浸っている時ではない・・・)
統子と忍びの者たちは大火のために焼失した回廊、荒れ果て生い茂る庭を抜け・・・かっての奥の院に入る。そこは美福門院と鳥羽院の愛の巣であった。
黄昏が近づいていた。樹木に囲まれた奥の院はすでに薄暗い。
統子はかねてより陰陽師として仕込んだ二人の女房、藤原由良と平慈子に神籬(ひもろぎ)の箱を開かせた。携帯用の簡易結界装置である。
統子は神招きの準備を整えると真言を唱え始める。二人の女房も印を切りながら唱和する。西行と大伴忍びのものどもは固唾を飲んで警護にあたっている。
やがて・・・奥の院の破れた扉の向こうの闇に白い人影が現れた。
西行はその姿に胸を突かれる。その顔立ちは待賢門院璋子その人のものであった。
統子もまた予想外の御霊の出現に心を乱していた。
その乱れに応じるようにそっと心に忍びよるものがある。
統子は甘い香の匂いを嗅いだ。
(お母様・・・ここではないと・・・おっしゃるのですか・・・)
白い人影はすっと日の落ちる方角を指差した・・・・。
(最後の結界は・・・西・・・出雲・・・・ですか)
その問いに答えることもなく・・・出現した時と同様に御霊はふと消えた。
「西行・・・ここではなかった・・・美福門院様の骸はすでにうつされている」
「出雲でございますか・・・」
「そうじゃ・・・さて・・・陽が落ちる・・・夜になる前に内裏を出るのじゃ・・・」
「御意・・・」
一行は日没と競うように来た道を戻っていく。すでに暗がりでは怪しのものが蠢きだす気配があった。
六波羅の平家館には煌々と明りが灯っていた。館の南にある池禅尼の隠居所・池殿には武者装束の清盛が渡っていた。
母は清盛に鎮静の茶を立てる。
「御馳走になりまする・・・」
「基盛が手柄立てたそうじゃな・・・」
「大和源氏の一党を討ち果たし、大将はとらえて獄舎につないだとのこと・・・」
「それはよき働きじゃ・・・」為さぬ仲とは言いながら・・・生母を失い幼少より目をかけて育てた孫は池禅尼のお気に入りだった。
「白河北殿より・・・上皇様の使いが参りましてござりまする」
「不憫なこと・・・吾の乳子、重仁王子も気にかかる。しかし・・・応じるわけにはまいらぬぞ・・・」
「心得ておりまする。しかし・・・叔父上は・・・左大臣に殉ずる御覚悟かと・・・」
「・・・さようか・・・」
左大臣の名に池禅尼は法要を終えた亡き愛児家盛を思い出す。
「七年か・・・早いものじゃ・・・」
「・・・」清盛は義母の連想を読み取って間を取る。
「忠正殿は・・・義理固き男・・・平家の義理を示すものがいてもよかろう・・・」
「しかし・・・戦ののちに」
「謀反じゃ・・・死は免れまい・・・しかし・・・誰かが死なずにはすまぬのが戦じゃ・・・」
池禅尼宗子は清盛をそして自分を励ますように言う。血はつながらずとも・・・我が子清盛が情に篤い男であることを育ての母は知っていたのだ。
「左大臣には一族近侍の者の他に・・・為義殿の一党が賛じたのみでございます。後は摂津の源氏も、近江の源氏も、美濃の源氏も・・・・すべて義朝殿の傘下に入ったとのこと・・・すべては武蔵河内の大叔父殿(源経国)の采配かと・・・」
「さすがは甥御殿(経国の母は忠盛の姉)じゃ・・・西国や・・・伊勢や伊賀のものはどうじゃ・・・」
「平氏も続々と上京しておりますが・・・もはや・・・無用の兵数でございましょう」
「いや・・・戦の後のことを考えねばならぬ・・・武者の人手は源氏よりも平氏が上回るように心掛けるのじゃ・・・」
「は・・・」
「清盛殿、常陸介(頼盛)のこと・・・頼みましたぞ」
「なんの・・・母上、お気遣い召されるな・・・頼盛は高松殿の守護役にいたしまする・・・」
「かたじけない・・・」
清盛は微笑んだ。義母の望みを叶えることは・・・彼にとって何よりの喜びだったのである。
血のつながらぬ母子はしばらく・・・乱の後の謀について密言を交わす。
翌日は高松殿にて公家たちを相手に最後の段取りを決めねばならなかった。
清盛は夜の闇にまぎれ、義朝より贈られし騎馬黒夜叉にて平家館を出発する。
明ければ七月十日であった。
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