鴨川を渡ってから断ち切れ過去を・・・そして歴史から飛び出せ(玉木宏)
源義朝の絶頂はまさに・・・この保元の乱であっただろう。
これを祝してタイトル登場である。
まあ、このドラマでは平清盛と源義朝は革命戦士として一心同体。
いわば光と影のようなものであろう。
まさに義兄弟のようなものであり、常盤御前をめぐっては下世話な意味で兄弟そのものなのである。
歴史時代に入っているとはいえ、未だに陰陽師が幅を利かせ、鵺や鬼が都を跋扈する平安末期である。
本当にあった出来事は闇の彼方に消え去っている。
しかし、平家の御曹司と源氏の御曹司が肩を並べて闘った最初で最後の戦が保元の乱であったことは間違いない。
だから・・・武家の世の始りを告げるこの戦の主題が清盛ではなく義朝に冠されても・・・清盛公はそれほど目くじらをたてて怒らないだろうと考える。
実際、義朝は父や弟を敵に回して・・・下剋上を貫いたのである。
清盛はその苦渋を充分に察する年齢になっているのだ。
で、『平清盛・第21回』(NHK総合20120527PM8~)脚本・藤本有紀、演出・中島由貴を見た。例によってシナリオに沿ったレビューはikasama4様を推奨します。今回は息子兄弟相打つ藤原摂関家のご隠居・元関白太政大臣圓理入道・藤原忠実・・・涙の登場まもなく怨霊となって子孫に祟る勢い・・・、そして、上皇方唯一の頼みの綱・源鎮西八郎為朝武者ガンダム、さらに平家方郎党随一の武勇を誇る侍大将・マスターガンダム東方不敗伊藤忠清の三大イラスト大公開、まさに怒涛の描き下ろしで感激落涙でございます。バタバタ逝っちゃいますからな・・・ハード・スケジュールでございました。ご苦労さまです。あくまでマイペースでお願いします。・・・だから私信はコメント欄でしろと。
保元元年(1156年)七月十日。崇徳上皇の鎮座する鴨川東方の白河北殿に左大臣藤原頼長が合流する。崇徳上皇には藤原右京太夫教長、勧修寺盛憲(頼長の甥)、信濃平氏右衛門太夫家弘、信濃源氏村上為国などが近侍していた。崇徳上皇は長男・重仁親王の乳母・池禅尼の縁を頼りとして平清盛に使いを出したが返答はなかった。藤原頼長には近侍していた平忠正、源為義が従っていたが、平氏も源氏も主だったものは後白河天皇の御所となっていた高松殿に参集していた。平氏ではすでに清盛が棟梁として忠盛の跡目を継いでおり、その一族郎党は在京の者だけで三百騎を数えている。また、父と袂を分かち、源氏正当の名乗りを上げた源義朝の元には平家と縁深い河内源氏経国の廻旋により、近江源氏・佐々木秀義、下野源氏足利義康、美濃源氏八島重成、摂津源氏兵庫頭頼政など四百騎が参集している。新棟梁となった義朝の元へは乳兄弟・鎌田政清やその舅長田忠致などを中心に一族郎党が集い、直属の旗本だけでも二百騎を越えていたのである。その他傘下の藤原貴族の郎党を含めると後白河天皇の元にはおよそ千騎が集うことになった。一方、崇徳上皇に従うものは百騎に満たなかった。
悪左府・頼長は崇徳上皇の人気の無さに驚きを隠せなかった。郎党である源為義の子に一騎当千の鎮西八郎為朝がいるというものの・・・実際に千騎対百騎という十対一の戦力比は気を萎えさせるに充分なものであった。
すでに夕闇が訪れていた。本陣となった白河北殿には篝火が燃やされている。
西の空にはまだ明るさが残っている。その方角には敵陣となった高松殿がある。
藤原の忍びの一群は未だ頼長の支配下にあり、諜報活動は辛うじて行える。しかし・・・もたらされる報せは背筋を凍らせるものだった。高松殿に集う軍勢は、二倍が五倍に・・・そして今や十倍に膨れ上がっている。
老父・忠実の手のものからは・・・大和源氏の一党百騎が北上しつつあるというが・・・それと合流しても敵は五倍の人数である。
もちろん・・・頼長はすでに大和源氏勢が平氏の宇治防衛線にかかり平基盛によって殲滅されていることを知らない。頼長の諜報網は洛内で手一杯なのである。
「古(いにしえ)の聖徳太子様は・・・劣勢を護法童子の術で覆したという・・・吾にそれが為し得るだろうか・・・」
頼長はすっかり消沈してしまった気をなんとか奮い立たせようとする。
「とにかく・・・大和勢の到着を待つことだ・・・」
実質的に上皇方の主戦力である為義軍団は軍略を練っていた。
鎮西(九州)から馳せ参じた八男為朝は戦況逆転のためには奇襲しかないと意見する。
「多勢に無勢とはいえ・・・戦は機先を制したものが勝つが常道でござりまする」
「夜討ちか・・・そして火攻めじゃな・・・」
為義もかって叔父・源義綱に対して夜討ち・火攻めを行ったことがある。次男の義賢を孫の義平が殺害したのも夜討ち・火攻めによるものである。
源氏にとってというよりは武家にとってその戦術は常道であったと言える。
特に戦力差を覆すにはもっとも有効な手であった。
しかし・・・と為義はためらう。彼我の差があまりにも大きいのであった。源氏の棟梁としては参陣しない郎党たちがすべて敵にまわっていることがありありと分かるのである。為義の旗下には・・・四男頼賢や五男頼仲、六男為宗、七男為成・・・そして八男為朝などが従っている。それぞれの郎党をあわせてもわずか五十騎である。
奇襲に賭けても、待ち伏せされ、逆襲される目の方が大きいのである。
為義の決断は遅れた。心はあてどなく彷徨う。源氏一の弓取りとされた猛者の心には老いが忍び寄っていたのである。
後白河天皇(みかど)は乳父の信西を通じて源平の若き棟梁を軍議に招いた。
「清盛・・・このような日がくるとは・・・よもや思わなんだ」
帝は幼き日、清盛の家で過ごしたことを告げた。
「博打もここまでくれば何やらおそろしいの・・・」
「戦と博打は一味ちがいますぞ・・・」
「そうか・・・」
「博打なら身ぐるみはがされることはあっても命まではとられますまい・・・」
「ふふふ・・・朕の命もとられかねぬと申すか・・・」
「それが戦というもの・・・蘇我氏に弑せまつられた崇峻天皇を思い出されよ」
義朝は平伏しながら・・・まるで親族のように帝と言葉を交わす清盛の豪胆さに驚く。
「ならば・・・わが命・・・長らえるように・・・つとめよ・・・清盛」
「御意にございまする・・・」
「戦のことは信西を司として・・・よきにはからえ」
御所を下がった清盛と義朝は・・・信西と密議をはかる。
「で、どうするのじゃ」
清盛は義朝を見た。義兄弟に発言の機会を譲る阿吽の呼吸であった。
「今夜にも夜討ち・・・そして火攻めつかまつる」
「それでよい」
二人の武家の棟梁は策を練り・・・それぞれの陣営に戻る。
「都路は軍勢の移動には不向きじゃ・・・機を一にして臨まねばならぬ」
中核を為すのは義朝軍団である。およそ二百騎が先鋒として敵陣正面の賀茂川渡河を行う。その両翼を百五十騎ずつ南北二軍に分けた清盛軍団三百騎が進行する。さらに・・・足利義康旗下の百騎が北端の近衛路を抑えとして進むという手筈となった。
残り四百騎は高松殿に円陣を敷いて守護しつつ予備兵力とするのである。
まさに鉄壁の布陣であった。
「いざ、白河へ・・・」
準備を終えた源平の武者たちは闇に包まれたそれぞれの進撃路を駆ける。
崇徳上皇方は消極的な人員配置を終えていた。
北門守護に平忠正、南門守護に鎮西為朝、そして正面の渡河点には源頼賢を配置する。
賀茂川を挟んだ両岸に殺気が漲りつつあった。
わずか四時間で決着する保元の乱の戦が今、始る。
大炊御門大路を進んだ源義朝勢は鴨川渡河点に到着、対岸に源氏武者の姿を見る。
先陣を切ったのは義朝本人である。
「やあやあ、我こそは清和源氏源満仲の子六郎頼信の嫡流源為義が嫡男・源氏棟梁・源下野守義朝なり、帝の命を受け、謀反人の捕縛に参る。天にそむくことを恐るるならば弓矢をおきて降参せよ」
「笑止なり、わが父・為義は汝を嫡男と認めず。汝が息子に汝が弟を討たせる鬼畜の振る舞い、恥を知れば盗みし、友切の太刀を置きて都より立ち去りませい」
「小癪な・・・弟の分際で兄に逆らうか・・・四郎左衛門頼賢よ・・・身の程思い知るがよい」
義朝は源氏の弓で第一矢を放つ。
矢は源頼賢の兜を叩き、頼賢は脳震盪を起こし昏倒する。
郎党が駆けより、主人を助け起こす中、進み出たのは掃部助五郎頼仲である。
兄に向って矢を返す。
義朝はその矢を小手で払いのけた。
「修行が足りぬは・・・。者ども放て」
義朝の郎党が対岸に向けて矢を射る。
軽装の者が射ぬかれ、河原に倒れこむ。上皇方も矢を放つがその数は哀れなほどに少なかった。
水しぶきをあげて帝方の源氏武者が賀茂の流れに馬を入れる。
「義朝様、一の郎党、鎌田政清・・・先駆けつかまつる」
政清に続き、騎馬武者たちは続々と渡河を開始する。
たちまち、対岸は修羅場となる。
二条大路を進むのは清盛長男・重盛を主将とする平氏主軍である。鴨川には守勢の姿はなく、一気に渡河すると、白河南殿に向かう。白河北殿南門から白河南殿にかけては上皇方の伏勢があり、名乗りもなく射かけてくる。
先導する草のものが・・・その矢に胸を射られ即死する。
御曹司重盛をかばって前に出たの平家の侍大将・伊藤忠清であった。
「卑怯者が・・・名乗られい」
「汚い、卑怯は敗者の戯言よ・・・我は為義が八男、九州にその名を轟かし、鎮西竜王と恐れられし最強の武者・源八郎為朝なり、下郎、下がりおれ」
「院の御料を冒せし、痴れ者が・・・大言壮語は片腹痛し。清盛様より賜った稲妻の弓を馳走つかまつる」
忠清は稲妻の弓を急増の櫓の上に立つ為朝目がけて放つ。
電光とともに飛んだ矢は為朝の肩に突き刺さり紫電の雷光を輝かせる。
ぶすぶすと焦げる矢を無造作に引き抜いた為朝は口元を歪めて凄惨な笑みを浮かべる。
「やりおるが・・・まだまだじゃのう」
為朝は鎮西征伐で得た熊襲の大弓を引き絞る。
「兄者、危なし」
殺気を感じて射線に身を投げたのは忠清の弟。六郎忠直である。為朝の矢は忠直の鎧を貫き、身体を貫き、忠清の乗馬に忠直を串刺しにしてようやく止まった。
いなないて脚を折る馬から忠清が落馬する。
重盛はその背後から下知する。
「おのれ・・・あの者を射落とせ」
平氏の忍び射手たちは一斉に為朝目がけて矢を放つ。
その矢が数十本、為朝に突き刺さる。しかし、豪快に笑うと為朝は返し矢を放つ。
たちまち射ぬかれる忍び射手たち・・・。
「おのれ・・・鎮西八郎は化け物か・・・」
その頃、臣下や客将を率いた平清盛勢は中御門大路から渡河し、白河北殿の北門に到着していた。鬼門を守るのは叔父・平忠正である。
「叔父上・・・逆賊に組みするは一門に仇なすこと・・・御引きあれ」
「吾が甥よ・・・兄者の跡を継ぎ、平家を曳きうる器であるや否や、この右馬助忠正が吟味してくれよう・・・いざ、参れ」
忠正は、弓を捨て、刀を捨て、素手で構える。
「相撲を所望じゃ」
「お相手つかまつる・・・」
清盛は馬を下りると、両手を広げた。
ざっと音を立てて地を蹴った二人の武者は空中でがっぷりよつに組む。
「ぬおおお」
「どおりゃあああ」
気迫がぶつかりあい、二人はそのまま、門前の地に激突する。
先に起きあがったのは清盛であったが、忠正はすかさず、脚を腕で払う。
清盛が交わす隙に下から懐に潜り込む忠正。
清盛を抱えあげ、腰を締め上げる。
清盛はそのまま、忠正の顔面に拳を叩きこむ。
たまらず、清盛を放す忠正。
ふたたび二人は地上で両手を合わせ力比べの姿勢となる。
固唾を飲んで一騎打ちを見守る平氏一同である。
その激闘はその後一時間続く。
源氏勢は退却する上皇勢を追撃しつつ、白河北殿の西側の屋敷を打ちこわし、射線を確保する。
河内経国が風を読んで義朝を振りかえる。
「頃あいでござる」
「・・・火矢を放て」
殿内に火矢が撃ち込まれ、屋敷からたちまち火の手があがる。湧き上がる殿上人たちの悲鳴。
燃えあがる炎は天を焦がす。
「なんと・・・上皇のおわす場に火を放つとは・・・」
精魂つき果てて、腰を落とした忠正は背後を振りかえり、つぶやく。
朝日を受けて仁王立ちになった清盛は鎧兜を輝かせる。
「武士の世の夜明けでござる」
逃げ場となった東の道を火矢の直撃を受け火傷を負った悪左府を乗せ藤原の金銀の牛車が走り出す。
「護法童子は・・・どこじゃ・・・見えぬ・・・何も見えぬ・・・ごぼっ」
悪左府は己が血で藤原家伝来の牛車を汚した。
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