弓をとって叫べ!子供だましの伝説にゃもうごまかされやしない(松山ケンイチ)
(波岡一喜)でもよかったのだが、二週連続主役じゃないタイトルになっちゃうからな。
ついに牙を剥く武士たちの魂の叫びである。
どうせ・・・血を流さずにすまぬなら・・・自分のために血を流したい。
どんなバカにも分かる道理なのである。
しかし・・・どんな世にも血の呪縛が存在する。
すめらみこともいぬのこもみな父母があって生まれるもの。
情けがあればこそうらめしく、慈しみがあるからこそ鬼となる。
父が子を裏切れば、兄は弟を討ち、母が子を騙せば、弟は兄を侮る。
運命に操られ・・・天下太平を願えば願う程、天下大乱の道を招く男の宿命の旅が今・・・始りました。
で、『平清盛・第19回』(NHK総合20120513PM8~)脚本・藤本有紀、演出・渡辺一貴を見た。例によってシナリオに沿ったレビューはikasama4様を推奨します。今回は意表をついて藤原道隆流従三位皇后宮権大夫・藤原忠隆の四男にして、従四位下武蔵守信頼のブー頼な描き下ろしイラスト大公開でございます。そうきましたかーーーっ。まあ、家成(佐藤二朗)逝去の後にこの枠を背負って立つは信頼(塚地武雅)しかないかもしれませんなーーーっ。どんな枠なんだ。なにしろ、信西がスマートに見えてきますからなーーーっ。それにしても家成の子・成親はともかくとして後白河天皇の寵愛を受ける信頼を妄想することは阿鼻叫喚の地獄絵図でござりまするねえ。
近衛天皇の崩御は久寿二年(1155年)七月のことである。その直後、源義朝の命により、長男・義平が義朝の弟で源氏嫡流の旗を掲げる源義賢を殺害する大蔵合戦が発生する。すでに左大臣派に属する父・為義と鳥羽法皇・美福門院・関白派に連なる源義朝は決裂したのである。王家の相続、公家の相続、武家の相続が混然一体となり・・・血で血を洗う時代の幕開けとなった。後白河天皇が即位し、九月には美福門院の養子となっている守仁親王が立太子される。久寿三年(1156年)四月に新帝即位の儀式が行われ、保元に改元され・・・いよいよ・・・保元の乱の開幕である。前の前の天皇である崇徳上皇は皇位継承の政治から締め出され・・・あなにくしの歌を残される。そして、新体制の主導権を握った信西により、左大臣・藤原頼長もまた朝義から遠ざけられてしまう。摂関政治復活の夢は断たれ、後白河天皇の左右には鳥羽法皇の寵臣の子息たちと・・・自由貿易主義の信西が台頭するのだった。崇徳上皇と悪左府藤原頼長・・・二人の巨大な生ける怨霊を残して・・・三人の息子を帝位につけながらも祖父・白河法皇との相克に苦悩し続けた鳥羽法皇は保元元年七月・・・この世を去ってしまう。
鳥羽法皇が辛うじてつなぎとめていた平安の糸はついに切れたのだった。
大火により、大内裏の修復は遅れ、御所はさびれていた。鳥羽法皇は鴨川下流の鳥羽殿で院政を行っていた。所謂、里内裏である。鳥羽法皇と距離を置きつつ、崇徳上皇はその近在の田中殿に居を構えていた。吉報を待ちつつ・・・ついにそれを聴かぬままに時は流れて行った。かって・・・不遇の身を寄せ合っていた同母弟が今や今上天皇である。
系譜上の父の父の父である白河法皇を実の父とする崇徳上皇は系譜上の父である鳥羽法皇とは叔父と甥の関係になる。鳥羽法皇は崇徳上皇を叔父なのに子であるということから叔父子と呼んで忌み嫌った。
そのもつれた関係の果てが今である。父の父の父と父、二人の男に寵愛された待賢門院が世を去って十年。異母弟に譲位し名ばかりの上皇となって十四年・・・。崇徳上皇は重苦しい気持ちで北の空を仰ぐ。
田中殿の北・・・藤原摂関家の屋敷である東三条殿の間近に後白河院は高松殿御所を開いている。その北には美福門院の屋敷があり、西には後白河天皇の乳父・信西入道の館、南側には鴨川をはさんで東に平氏の六波羅館、西側には源氏の堀河館がある。
「みな・・・肩をよせあって・・・睦まじいことだ・・・」
崇徳上皇は胸にせまる寂寥感に唇をそっと噛んだ。
その頃、堀河源氏館では修羅場が繰り広げられていた。
「なんじゃと・・・もう一度申してみよ」
「先ごろ・・・武蔵国比企の地で謀反いたした弟・義賢を我が子・義平が討伐せしおり・・・取り戻した源氏伝来の友切の太刀が届きましたゆえ・・・これより、河内源氏の棟梁をこの義朝が務めまする」
「そんなことは・・・子であるおのれが決めることではないわ」
「父上・・・義賢を失っただけでは気が済まず・・・四郎義頼を信濃の国より上野の国に送り出しましたな・・・鳥羽の法皇様の崩御で義頼が引き返したから事無きで済みましたものの・・・もはや・・・猶予なりませぬ・・・隠居なされよ」
「何を申すか・・・」
「父上の頼みとされる・・・悪左府殿ももはや・・・なんの権限も持たぬただの公家となりはてましたぞ」
「黙れ・・・」
「聞き分けられぬか・・・ならば・・・是非もなし」
義朝は父の身体を抱えあげた。
「八卦よい」
「う・・・」
義朝は為義を釣り上げたまま、有無を言わせず、館の門へと向かっていく。
そして、放り出した。
「いずこなりとも、出ていかれませい」
土煙を上げて背中から着地した為義はうめき声をあげる。
源氏の館の郎党たちは息をひそめていた。
「このようなことが・・・あってよいものか・・・」
しかし・・・為義の声に応じるものはない。
「おのれ・・・おぼえておれ・・・」
為義は唾を吐くと・・・よろよろとたちあがり、とぼとぼと北へ向かって歩き出した。
もはや頼るべきは土御門殿に籠る藤原頼長しかなかった。そこで・・・四郎頼賢をはじめとして各地に散っている郎党を呼び集める他はない。
ぽたり、ぽたりと、子によって家を放逐された男は都路に血の涙を落としている。
その果てにある土御門院では「なにもかもけしからぬ」と独り言をつぶやきながら、左大臣・藤原頼長が唇をかみちぎる。つーっと堕ちる悪しき鮮血。
その頃、武蔵の国での任務を終えた西行と波留は信濃路をたどっていた。
その背後から・・・騎馬武者が一騎、山道を駆けてくる。
咄嗟に忍びの頭領とくのいちは身を消す。
行く手に人影を見た・・・と思った騎乗の武者は殺気を放つ。
しかし・・・道なき道に人の気配はない。
「もののけか・・・」
騎馬武者は背に幼子を背負っていた。源義賢の遺児・駒王丸である。
騎馬武者は義平の郎党である・・・畠山重能が討つに討てなかった駒王丸を預かり・・・信濃国の中原一族に届ける任を引き受けた武蔵の国長井庄の武将・斉藤実盛だった。
甥が叔父を討つ修羅の世界にも・・・人の心は残っていたのである。
後に源義仲となる駒王丸を背に斉藤実盛は昼なお暗き森を駆け去っていく。
樹上から西行と波音はその姿をしばらく見送っていた。
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