闇を切り裂き、俺は燃えよう、俺は滅び去る者(山本耕史)
「台記」の作者である悪左府こと宇治左大臣藤原頼長が実在したことを疑うものはいないだろう。
「台記」が悪左府の日記であることを疑うものも少ないだろう。
たとえ、自筆原本が失われて存在しないとしてもである。
それほどに「台記」は人々に愛されてきたわけである。
だが・・・悪左府の日記である以上、それはフィクションに過ぎないのである。
しかし・・・悪左府が憤死して856年が過ぎ去った今、その真偽はどうでもいいという考え方もある。
ただ・・・死ぬ直前まで20年近く虚実とりまぜてあれやこれや書き残した悪左府が・・・そのすべてを何千、何万、何十万人に愛読されてしまうことになるとは・・・想像していなかったのではないか・・・と想像することはできる。
それは・・・ものすごく恥ずかしいことなのか、そこそこ誇らしいことなのか・・・よくわからない。
ただし・・・悪左府はもはや何も感じないので・・・心配することもないのだな。
彼はとっくに滅び去ったのだから。
で、『平清盛・第22回』(NHK総合20120603PM8~)脚本・藤本有紀、演出・柴田岳志を見た。例によってシナリオに沿ったレビューはikasama4様を推奨します。今回は宇治にて敗残の悪左府との対面を拒否・・・溺愛した息子を悶死させた藤原摂関家の長老・藤原忠実の号泣、遊びをせんとや生まれけり54才にして処刑された側近の妻(丹後局)を孕ませた大天狗の帝・後白河天皇の即位後のお姿、保元の乱の敗戦の将として身柄を清盛に託した平忠正近影の三大イラスト描き下ろし・・・まさに三者三様の喜怒哀楽三昧でございます。それにつけても松田翔太の雅びやかなこと・・・うっとりですな。
祇園精舎の鐘声、諸行無常の響あり、沙羅双樹の花色、盛者必衰の理を顕す。奢れる者も久からず、春の夜の夢の如し。猛心も終には亡ぬ、風前の塵に同じ。保元元年七月十一日未明、鴨川を挟んで対峙した天皇方、上皇方の軍勢であったが、南北から天皇方の軍勢が渡河に成功し、上皇方の本陣となっている白河北殿に攻め込んだために夜が明ける頃には決着していた。天皇方は周辺の法勝寺、円覚寺などにも放火し、鴨川東岸は火の手に包まれた。敗北を悟った上皇方は包囲の薄い東側から次々と脱出し、総崩れとなった。崇徳上皇は近臣とともに大内裏の北を輿に乗って逃走。平安京西部の仁和寺の異父弟・覚性入道親王を頼った。しかし、覚性は上皇の所在を天皇方に通報し、美濃源氏・源重成が十三日に上皇の身柄を拘束した。悪左府こと左大臣藤原頼長は脱出時に火矢を受け、重傷を負う。家司で従兄の藤原少納言成隆に抱えられ鴨川西岸に脱出、洛内を彷徨し、嵐山から桂川に出て、舟で宇治へ向かう。父であり、黒幕でもあった藤原忠実の元へ向かう。しかし、すでに忠実は大和国(奈良)方面に逃走しており、再会を果たせぬまま、無念の気持ちを抱いて十四日に失血死した。頼長に同行していた四人の男子は天皇方に投降し、全員が流罪となる。崇徳上皇と悪左府に従った武士たちはそれぞれの本拠地(任地)を頼って都落ちをする。源為義は敵対した長男・義朝の妻の実家、尾張を目指す。戦勝者である息子の情に縋ったのである。また、平忠正は一族とともに伊勢路をたどったが、忠正の長男・新院蔵人長盛が伊賀に僅かな領地をもっていたためにそこでしばらく潜伏する。武勇を誇った鎮西八郎為朝は乱戦のうちに郎党をすべて討たれ、自らも深手を負ったために騎馬にて近江国(滋賀県)へと逃げ去った。かくて・・・保元の乱は後白河天皇方の圧勝となったのである。
武士の警護を受けるために一時、北側に隣接する摂関家の屋敷・東三条殿に移っていた帝(後白河天皇)とその腹心・信西入道は再び御所である高松殿に戻っていた。臨時の最高会議として陣定(非公式の国会)が召集されており、高松殿の広間には主だった公卿が詰めている。東の控えの間には関白・藤原忠通が呼び出しをまっていた。西の仮御所には帝と信西が籠り、密議を続けている。信西は天皇の忍びと藤原の忍びさらに源平両氏の忍びを実質支配しており、情報はたえまなく届けられている。
帝が親王だった頃から寵愛を受けている二人の貴族は常に同席を許されていた。藤原北家経輔流の藤原武蔵守信頼は24才。父は鳥羽院の側近であった従三位藤原忠隆である。信頼は公卿の子でありながら武芸を好み、帝の警護役として任じられている。帝好みの肥満した体型からは想像もできない体術を習得していた。もう一人は平家と関係深い藤原中納言家成の三男・藤原左少将成親で19才である。二人の貴族は蔵人として帝と公卿たちの連絡役を務めている。
藤原の忍びの報告で悪左府の死を知った四人の男たちはそれぞれに心を揺らせる。
帝は勝利を確信した。信西は親友とも言える政敵の死を悼んだ。信頼は理が勝ちすぎた悪左府の武運拙きを憐れんだ。そして成親は最初の男である悪左府と過ごした甘い日々を思った。成親は帝の寵を受けながら、同時に悪左府にも愛でられていたのである。
(頼長様・・・)成親は悪左府の細やかな愛撫を思い返しつつ、冥福を祈る。
「死んだか・・・」と帝は率直につぶやいた。「祝言(のりと)せねばならぬな」
「まずは・・・関白どのにお悔やみ申し上げましょう・・・さて・・・後は前の関白忠実殿の処遇・・・」
「もはや・・・ただの隠居であろう・・・」
「しかし、藤原の長者の財はあなどれませぬ・・・ここは罪人として処断することが・・・肝心・・・」
「ほほう・・・藤原の財を関白に継がせぬのか・・・」
「さすがは帝・・・この際・・・摂関家は解体してしまうのがよろしかろう・・・もはや・・・無用の長物・・・」
「ふふふ・・・武者どもに配る恩賞も必要だしのう・・・」
「手順をふまえて、有無を言わせぬように即断即決が肝要でおじゃりまする」
「して・・・仁和寺の兄上はいかがする・・・」
「この際、島流しなどいかがでございましょう・・・」
「上皇を・・・遠島にか・・・面白いのう・・・」
「謀反した公家のものたちもそれなりに処断せねばなりますまい・・・さらに・・・上皇方についた武家にはさらなる・・・厳罰がふさわしかろうと・・・」
「どうするのじゃ・・・」
「三百年絶えていた死罪を申しつけまする」
「死罪とな・・・ハハハハハハハ・・・それはほんに・・・ほんに・・・面白きことよ・・・まさか・・・死罪とは思いもよらぬことであろう・・・その驚き呆れる様・・・思うだけで受ける~アッハハハハハ・・・信西・・・我が乳父殿・・・汝はなるほど面白きものよな」
そこに奥から知らせがあり、帝は座を立つと、一人御所の奥の間に入った。
奥には忍びの間があり・・・隠し道を通じて前斎宮・統子親王が訪れていた。
「これは・・・姉上・・・」帝は笑いを収めて神妙な顔になった。統子は美しく聡明であり、しかも遊び心がある・・・帝にとって姉であり、母であり、友でもある特別な女性だった。
「なにをさように浮かれておいでじゃ・・・」統子は微笑んで言った。
「なに・・・つまらぬまつりごとのことでごじゃりまする」帝は用心深く言葉を選ぶ。気の合う姉だが殺生に関しては帝とは趣が違うことを気遣ったのである。
「都を焼くなど・・・愚かなことじゃが・・・これも定めであろうな・・・いよいよ・・・魔物が本性を現したということじゃ・・・」
「それは・・・美しき我らが継母のことでおじゃりまするか」
「他に誰があろう・・・我らが父がこれまで押さえしものの・・・箍がはずれしことよ」
「しかし・・・その魔物のおかげで・・・朕はこのように帝になりましたぞ・・・」
「・・・雅仁殿・・・いや帝・・・それは名目上のこと・・・今や、父上の財も・・・権門もすべては美福門院の方の思い通りになること必定でございます」
「・・・それは・・・」帝は一瞬で心が覚める。
「いつかは対決しなければならぬ相手なれど・・・今はまだ準備が整いませぬ・・・最後の封印の解除に戸惑う卦が出ておりますゆえ・・・」
「そうなのでおじゃるか・・・では・・・朕はどうすれば・・・」
「父上様の霊力を呼び込み・・・大天狗の法を施すしかありませぬ・・・」
「大天狗の法・・・」
「父があの魔物を抑えていたのも愛宕山神、鞍馬山神の守護を得ていたからなのです・・・」
「なんと・・・そのような秘事があろうとは・・・」
「さあ・・・これを一服なさいませ・・・」
「なんですか・・・苦いのでは・・・」
「ふふふ・・・わが愛弟(いろこ)よ・・・かわりませぬなあ・・・さあ、おのみなされ」
促され・・・帝は秘薬を飲む。たちまち・・・帝の魂が消えうせる。
これこそ没我の境地にいたる皇家伝来の生薬だった。
すでに統子は霊移しのための古き真言を唱え始めている。古の卑弥呼女王から伝わる秘儀である。
やがて・・・霊的現象が物質化して具現しはじめる。
奥の間に統子の放つ七色の霊光が揺らぐのだった。ついにその光輝が帝を包む。
その時、帝は叫んだ。
「天狗じゃ・・・天狗・・・朕は大いなる天狗になりけりーーーーっ」
倒れ伏した帝の髪をそっと撫でる統子親王。
「これで・・・しばらくは時が稼げるであろう・・・」
統子は立ち上がると・・・音もなく高松殿御所奥の間から忍び去る。
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