教えて新しい時代を、聴かせて君の詩を、君よ君こそが反逆の天使(阿部サダヲ)
まさか・・・彼が大河ドラマのタイトルを飾る日がこようとは・・・。
出世したなぁぁぁぁぁぁぁぁっ。猫田のくせにぃぃぃぃぃぃっ。
しかし・・・信西は見事なまでの存在感。
かくて藤原頼長とともに急進的な改革者が時代の悪魔に葬られるシンボルとなったのである。
日本という国家が地方分権と中央集権の間を揺れ動きながら・・・形成されていく過程は今もなお続いている。
それは常に6:4の多数決で示される。
そして四を選択すれば常に敗北者となるのである。
しかし、六を選んでいたはずなのにいつの間にか四ということはありがちなのである。
時にはあえて四を選び死中に活を目指すものもいる。
まあ、この大河ではいつもピンロクの半ですがね。
で、『平清盛・第26回』(NHK総合20120701PM8~)脚本・藤本有紀、演出・渡辺一貴を見た。例によってシナリオに沿ったレビューはikasama4様を推奨します。今回は、武士たるもの常に戦場に在りの精神で標準武装携帯常備の大手柄、平家一の郎党・平筑後守家貞の老境・描き下ろしイラスト大公開でお得でございます。家貞・・・この年齢78・・・達者だなあ・・・でございますねえ~。いや・・・ある意味、化け物ですぞ~。足腰丈夫すぎ~、う、うらやましい・・・。
さあ、やってきました。このブログ愛読者ならおなじみ・・・西暦と元号のズレ問題発生です。キッドは今回の脚本は大絶賛なので・・・ツッコミたくはなかったのですが・・・そうせずにはいられないのですな。さて、西暦も様々あるのですが、基本は太陽暦、それに対し元号は太陰暦です。そのためにどうしても一年がぴったりかさなりません。で保元四年四月二十日に平治元年に改元された時は西暦(ユリウス歴)1159年5月9日なのですが・・・平治の乱勃発の平治元年十二月九日は・・・西暦1160年1月19日となっています。つまり・・・平治の乱が起きたのは平治元年(1159年)ではなくて・・・平治元年(1160年)なのです・・・あしからず。その日、反信西の名の下に後白河院の側近、源信頼を中心に、二条天皇親政派の藤原惟方を巻き込んだクーデター軍は後白河上皇とその妹・上西門院、そして二条天皇を内裏に軟禁すると・・・信西入道宅とそれに連なる後白河院の御所・三条殿を源義朝ら源氏武者に襲撃させる。狙いは信西入道の首である。信西を確実に殺害するために源氏武者には皆殺しの命令が下されていた。三条殿には平忠康ら北面の武士が警護していたが多勢に無勢である。火攻めが行われ、女官や童子までが惨殺され、三条殿の井戸は死体であふれたという。しかし・・・肝心の信西はすでに脱出していた。藤原信頼はただちに源氏武者に探索を命じる。熊野参詣のために紀伊の国にあった平清盛は急報を聞き直ちに京を目指す。
信西は息子たちをそれぞれ別方向に逃がすことで追手をかわす算段だった。その間に清盛が帰還すればカウンター・クーデターが可能となる。六波羅の平家に逃げ込むことを避けたのは万が一にも源氏が六波羅を急襲することを恐れたためである。しかし、翌日の10日には主な息子たちは捕縛され、大和路、近江路は封鎖されてしまう。南に向かっていた信西は伊賀に向かうために東に方向を変え、田原の山野に潜伏する。
55歳になる信西は疲れていた。郎党であり弟子でもある藤原師光はさらに逃げるように勧めるが・・・信西は拒絶する。
「このまま、東に抜ければ朝宮です、さすれば大津への道も開けます、あるいは南に進み伊賀へ・・・」
「いや・・・京から遠く離れすぎては時を逃す恐れがある・・・それに・・・我はもう動けぬ」
「この師光が背負うて参ります・・・」
「無理なことを言うな・・・それより・・・おそらく・・・伊賀より清盛配下の忍びのものが・・・京に向かっておるはずじゃ・・・汝はこれを迎えに出よ・・・」
「殿・・・」
「よい・・・いざとなれば我には土遁の術があるわ・・・」
「・・・」
師光が去ると、信西は自ら穴を掘りはじめる。信西自身も藤原の忍びである。しかし、入道となって以来、術の鍛錬からは遠ざかっていた。
(ふふふ・・・この年で土竜の術を使うことになるとはな・・・)
若き日に宋国への旅を夢見た信西は遁行の術も渡来のものを研究していた。
土竜の術の道具も自ら工夫している。
鉄匙で土を掘るのである。やがて、熱中した。
その時・・・背後に気配を感じた。
(清盛は・・・熊野の仕事を終えるまでは動けまい・・・早くて五日・・・遅ければ七日はかかるかもしれん)
清盛の熊野入りは妲己の封印の解除のためである。
それがなければ・・・三日で京に戻ってくる。
しかし・・・と信西は考える。藤原信頼は・・・人を苛むことに喜びを見出す変態であった。捕縛されれば・・・拷問されるであろう。
(あのブタ野郎にいたぶられるのは・・・いやじゃのう・・・)
信西は信頼を罵倒したことを後悔する。しかし・・・ブタにブタと言って何が悪い・・・と思いなおす。
気配は馬蹄の響きとなって迫ってきていた。
信西はあわてた。そして気を乱した。
「しまった」と叫んだ時には遅かった。心の臓が発作を起こしたのだ。
「ううむ・・・これはしくじった・・・」信西の姿はすでに半分、土に埋もれている。
「これが・・・天命というものか・・・」
土中で信西の手から鉄匙が滑り落ちる。
追手は・・・源出雲守である。彼は清盛から・・・事あれば信西を保護するように依頼されている。だからこそ・・・的確に信西の痕跡をたどってきたのである。
しかし・・・出雲守が信西発見した時・・・すでに土から半身を出した信西はこときれていた。
「憐れな・・・」
出雲守は仕方なく・・・信西の首をはねた。
それは平治元年十二月十三日の未明だった。
関連するキッドのブログ→第25話のレビュー
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コメント
暑中見舞いどうもありがとうございます
すっかり夏でございますな
こちらは
池禅尼、滋子がそれぞれ完成
どうにも女性は苦手です(; ̄∇ ̄)ゞ
当初は惟方でも描こうかと思ったんですが
なんか・・・登場シーンが少なそうなんで
テキトーに描いて
後に出てくる北条さんとか
宗盛とかそっちの方で頑張ってみようかなと
ふと思う今日この頃でございます
投稿: ikasama4 | 2012年7月 2日 (月) 23時58分
今日は東京も午後から強い日差し全開で
溶けそうでございました。
氷菓を食べ過ぎてしまうのですな。
年寄りのシャビィでございます。
池禅尼・・・滋子・・・楽しみです。
滋子はいったいなぜ・・・あのキャラなのか・・・
ものすごくじらされているので
ドキドキいたします。
この脚本家はそういうじらしがすごく得意ですからねえ。
女性が苦手の画伯におねだりして
申し訳ありません。
なぜか・・・上西門院をおねだりする気にならないのは
もう頭がニコロボ化しているものと思われ・・・。
惟方はとにかく・・・インパクトはありましたねえ。
キッドはとにかく・・・一休の肖像画ばかりが
思い出されてならないのですが・・・。
「風林火山」も少し思い出します。
平家一門の方々の画伯肖像画もそうですが・・・
やはり・・・清盛死後の物語がどうなるのかも
気になりますな。
キッドは冒頭に戻って終りだとしか思えないのですが・・・
義経や弁慶が活躍することを確信している方もいるし・・・。
まあ、12月から短期集中大河「源頼朝」がはじまったりすると
それはそれで笑いますけど~。(; ̄∀ ̄)ゞ
投稿: キッド | 2012年7月 3日 (火) 01時36分