不幸せなのは忘れかけた男(豊川悦司)と忘れられる女(芦田愛菜)です。(中谷美紀)
メモか・・・メモすればなんとかなると思うんだよな。
記憶喪失の素人は・・・。
もちろん、若年性アルツハイマー病に限らず、記憶喪失にまつわる病は様々な症例の個人差がある。
なにしろ、健康な人間の記憶機能そのものが様々な個人差によって構成されているわけだしねえ。
たとえば・・・暗記が苦手な人や得意な人というものがある。
キッドは十代の頃は一度聞いたことは忘れないスペックを持っていたので、授業中にノートを取ったことは一度もない。しかも、別の作業をやりながら耳を傾けていても聴取録音可能の性能である。ところが・・・成人した頃に突然、その能力が失われてしまい、愕然としたものだ。
で、ノートを取り始めたのだが・・・不慣れなので大変難儀したものだ。
しかし、たとえば「ソクラ」と書けば・・・即座に「古代ギリシャの哲学者、ソクラテスの無知の知についての論理学的アプローチ」と言った講義の内容は再生されるわけである。
ところが・・・聴取から一週間くらいでそうした再生機能が働くなってしまう。「ソクラ」では「サクラ」を連想するだけになってしまうのだ。もちろん・・・「ソクラテス」くらいは想起できるが・・・具体的な講義内容となるとかなり曖昧な雑音入りのものになってしまう。
結局、記憶にとどめるためには・・・再生可能なうちに仔細を書きとめなくてはならなくなってしまった。
ある意味、「二十歳すぎればただの人」という奴である。
これはおそらく記憶の容量あるいは処理能力の劣化に関係しているのだろう。
さて・・・ノートというのはメモの一種である。このようにメモとは・・・忘れていることでも思い出すきっかけになる便利なものだ。
で、たとえば「山田さんから電話があり仕事の件で明日会いたいとのこと」との伝言の用件があったとする。
で、「山田さんから電話あり」とメモを書けば・・・用件を思い出せるのが健康な人だとしよう。
ところが・・・認知症的な病の人は・・・思い出せないのである。
そして・・・メモを書いている時にはそれでは思い出せないということを思い出せないのである。
場合によっては「電話あり」だったりするのである。もう誰から電話がかかってきたかも思い出せない。
さらに言えば、メモを書いたことも忘れてしまうのである。
さらにさらに言えばメモを書かかねば忘れてしまうということを忘れてしまうのである。
さらにさらにさらに言えば忘れてしまう病気だということも忘れてしまうのである。
そうなのだ・・・やがて「メモ」という手法さえ忘れてしまう場合もある。
それほど忘れてしまうのに・・・自分では忘れているのに気がつかないというのが何よりもおそろしいところなのだな。
そして・・・いやでも忘れない周囲のものは・・・そういう病気だから仕方ないとはなかなか思えないものなのだ。
なんでそんなことを忘れてしまうのか・・・基本的には理解できないからである。
こういう感じだ。
「せんたくものを干し忘れてますよ」
「せんたくものなんてあったっけ」
「洗濯機に入れたままです」
「あら・・・変ねえ。二回目をしたのかしら」
「一回目ですよ」
「じゃ、どうして干してないの」
「干し忘れたからですよ」
「洗濯物はすぐ干さないとだめでしょ」
「だから干してください」
「なんですって?」
「洗濯物を干してください」
「そんなのとっくに干したわよ」
「干すの忘れてますよ」
「そんなこと忘れるわけないでしょ・・・」
「洗濯機の中をみてください」
「あらあら・・・だめじゃない・・・洗濯したらすぐに干さないと」
「干し忘れたでしょう」
「そんなこと忘れるわけないでしょう」
もうどこまでも会話が終わらないのである。
記憶を失いつつある人の恐ろしさはまだまだ・・・こんなものじゃありませんよ・・・。まだまだ・・・これからですよ。
どうせなら全部忘れてしまってくれと思わず呪詛する日がやってきますよ。
そして患者も周囲の人も鬱になるのです。
それを微笑ましく描いていくこのドラマ・・・実にエレガントですな。
で、『ビューティフルレイン・第3回』(フジテレビ20120715PM9~)脚本・羽原大介、演出・小林義則を見た。ほとんどの人は記憶を失うことに不慣れである。ドラマで見慣れ、実生活で認知症患者に相対していても実際に記憶を失うとなると思いもかけない状況に追い込まれる。認知症患者はよく激怒するのだが・・・それは記憶を失っていることを指摘した時などに顕著である。なにしろ・・・本人は記憶を失っているという自覚がないのである。で・・・記憶を失っていることについて説明され・・・どうやら本当に記憶を失っているらしいと本人が思い出すと、今度はつい今しがた激怒していたことを忘れていたりするのである。その点を指摘するとまた激怒するのである。人によってはこの間隔がどんどん短縮化され・・・意識がある間はずっと激怒していたりする場合も生じる。穏やかな性格だった人が一日中激怒し続ける悪夢である。
喫煙による認知症発症のリスクの増大は何の科学的根拠もないが、統計的医療研究ではリスクが倍増するというデータもある。そのために消極的治療方法として禁煙は気休め程度にはなるらしい。喫煙によるストレスと禁煙によるストレスは数量化が困難であり、結局・・・どちらがストレスを感じないかと言う問題になるだろう。ストレスもまた統計的医療研究ではリスクを倍増させるからである。
食習慣ではEPA・DHAなどの脂肪酸、ビタミンE・ビタミンC・βカロテン、さらにはポリフェノールなどの摂取が発祥のリスクを軽減させると言われる。
そのために・・・木下圭介(豊川悦司)は禁煙を決意し、βカロテン含有量が高いと言われるカボチャを食べ始めることにしたのである。
基本的に気休めです。
ちなみに・・・アルツハイマー病の原因物質としてのアミロイドベータ の脳内蓄積は睡眠不足により増量されることが確認されている。
今回・・・禁煙でストレスプラスマイナスゼロ、嫌いなカボチャを食べるでプラスマイナスゼロ。睡眠不足でプラスと病気を確実に進行させている圭介が笑いどころであることは言うまでもないだろう。
脳内の神経伝達物質のアセチルコリンを活性化させるためのコリンエステラーゼ阻害薬が投薬の基本である。おそらくアリセプトを服用することにしたのだろう。一定期間、症状の進行を遅くする効果が期待できるのである。しかし・・・失われつつある機能を回復するまでには至らないと考えられる。
こうして・・・圭介の孤独な闘病生活が始まるのだが・・・ガンなどの告知と違い、発病初期に重要なのは患者周辺の関係者への周知の徹底である。
しかし・・・やがて認知症を発するものが周囲にそれを知らせることはかなりのリスクを伴う。
どんな悪意が潜んでいるか・・・分かったものではないからだ。
つまり・・・すべては周囲に善良な人々がいるかいないかにかかってくるのである。
その点・・・これまでのところ・・・圭介の周囲の人々はミラクルに善良である。
圭介は・・・「神様は不公平だ」と嘆くが・・・ものすごく、圭介有利の人材配置がなされていると言う点で不公平なのである・・・それは本人の気持ちとは真逆だろうがっ。
そうした圭介の素人丸出しの自宅療養ぶりに・・・女の直感で不自然さを嗅ぎつける美雨(芦田愛菜)だった。
「また、禁煙とか言って・・・どういう風のふきまわし・・・」
「お前・・・何時代の人間だ」
「それにカボチャ嫌いだったでしょう」
「健康にいいんだって・・・」
「じゃ・・・不健康なの・・・」
「だから不健康にならないためだよ」
「明日の授業参観大丈夫?」
「もちろん・・・ちゃんと手帳に書いてある」
「手帳?」
「手帳さ・・・」
「なんで急に・・・手帳なんて」
「万が一にも忘れないためにだよ」
「あのさ・・・お父ちゃん・・・昨日・・・難しい本を読んでたでしょう」
「本って」
「ハイムさんだかタイマーさんだかの本」
「・・・」
「あれは何の本」
「し、仕事の難しい本だよ」
「・・・」
圭介の挙動不審ぶりに不安を感じる美雨だった。
その日・・・美雨には作文の宿題が出た。授業参観の時に発表するためのものである。
お題は「わたしのたからもの」である。ジェンダーの問題があるが・・・小学生低学年だと「ぼくのたからもの・わたしのたからもの」という出題だった可能性もある。
ちなみに美雨の担任は柏原崇と離婚し鈴木啓太と再婚した畑野ひろ子演ずる小柴先生です。
美雨はバレエ教室で松山青果店の看板娘で成長著しい中学生・菜子先輩(吉田里琴)に質問するのだった。
「菜子ちゃんのたからものってなにかな~」
「わたしだったら・・・お母さんが縫ってくれた浴衣かな・・・」
普通の女の子の菜子先輩、母子家庭の後輩に対する気遣い一切なしのストレートな回答である。しかし・・・美雨はアドバイスを素直に受け止めるいい娘だった。
「そっかあ・・・うちだったら父ちゃんのことかけばいいのかあ」
一部愛好家の至福タイム終了である。
その頃、圭介の務める金属加工工場「中村産業」には「急ぎの仕事」が入っていた。
明日の朝までに納入しなければならない特注品である。
中村社長(蟹江敬三)の陣頭指揮で突貫作業に入り・・・なんとか夕刻までに作業を完了することができた。
その間に大阪の嫁ぎ先から出戻っている一人娘のアカネ(中谷美紀)には夫からの郵送物が届く。
その中には・・・何故か「アルツハイマー病」の解説本が封入されている。
もしも・・・アカネも発病なら「アルミニウム病因説」に有力な症例となる。何しろ・・・金属加工業で二名連続発症である。
ともかく・・・アカネの帰郷にも「アルツハイマー病」が関わっているのだろう。おそらく老人介護の問題ではないのか。
そして・・・若年性アルツハイマー病発症中の圭介は症状のひとつである注意力散漫という認知障害により・・・担当していた加工のサイズを間違ってしまうのだった。
それに気がついた圭介は周囲には黙って徹夜で修正作業に挑む。
そこへ・・・アカネがやってくる。
「大変じゃない・・・どうしてみんなに言わないの」
「俺のミスだから・・・」
「じゃ・・・私が手伝う」
「そんな無理だよ」
「何言ってんの・・・私は中村産業の一人娘なのよ・・・基本はできてるの」
アカネは圭介の症状について明らかに何かを悟っている。
翌日は美雨の授業参観である。
スーツで行くと予告していた圭介を徹夜で書き上げた作文を持って教室で待つ美雨。
前座として・・・小料理屋「はるこ」の女将・春子(国生さゆり)の一人息子・小太郎(高木星来)は作文「貯金通帳こそわがいのち」を発表する。
結局、社長や出勤してきた同僚たちも手伝ってなんとか作業を終了する圭介。
作業服のまま、教室に乱入し・・・たったまま居眠りする不始末である。
怒り心頭に達した美雨は作文発表を拒否するのだった。
二週連続、娘に叱咤される父だった。
アカネはついに圭介にそれとなく忠告する。
「病気なら・・・一番大切な人には伝えないと」
「・・・」
「若年性アルツハイマー病なんでしょう?」
「・・・」
そして・・・娘の追及は鋭さを増していくのだった。
「お父さん・・・病気なんでしょ?」
「そうだ・・・」
「どんな病気?」
「忘れん坊になっちゃう病気」
「まじめにこたえてよ」
「本当だよ・・・だから父ちゃん・・・忘れることが多いだろう・・・そういう病気なんだ」
「なおるの?」
「・・・なおるさ・・・そのために薬を飲んでるんだもの」
「そうなんだ・・・よかった」
「・・・」
あなたから私へと
さしのべられた 腕に身を委ねて
こみあげる哀しみに
この魂を激しくゆさぶるの
圭介は眠りについた美雨の本当は完成していた作文を読む。
お父さんは私のたからもの。
私にはお母さんがいないので
お父さんは二倍大変です。
朝、ごはんをつくってくれます。
昼間は仕事をしてお金を稼ぎます。
夕ご飯もつくってくれます。
夜は眠るまでお話をしてくれます。
お父さんがいなかったら私は生きていけません。
だから、早く大きくなって、お父さんのお手伝いをしてあげたい。
ずっとずっと大切にしたい。
お父さんは私のたからものだから。
圭介は泣いた。
そして、神を呪うのだった。
ひとすじのキャンドルが
瞳の中で燃えつきてゆくのを
見つめ合い照らし合う
この耐えがたい心の暗闇を
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