喜びも悲しみもみんな夢の中(松山ケンイチ)
1161年、金の五代皇帝・世宋、1162年、南宋の二代皇帝・孝宗が帝位に就くと金と南宋の戦争状態は休戦模様となった。言わば、中国大陸は金と南宋による南北朝となったのである。
変則的ではあるが、大陸が安定したことは日本列島にも大きな影響を与える。
ひとつには交流の活性化であり、同時にそれは大陸国家の諸島への影響力の浸透を意味する。
平家の興亡はこれと無縁ではない。
また、鎌倉源氏の興亡もこれと無縁ではない。
1181年に清盛が逝去し、1185年に平家一族は壇ノ浦に沈む。
しかし、およそその100年後の1279年、南宋はモンゴル帝国によって滅ぶ。
その前後に源平の後継者である北条政権が本土防衛戦を展開することになるわけである。
清盛の晩年の偉業を考察する時には1274年~1281年の対蒙古戦争(元寇)を考慮しなければならないだろう。
軍事独裁政権の誕生がなければたとえ、神風が吹けども列島国家の独立は危うかったはずである。
決戦の地となった博多の開発も平清盛の功績と言えるだろう。
軍事力の集中も源平合戦の成果なのである。
備えあれば憂いなしとは・・・こういうことだ。
で、『平清盛・第34回』(NHK総合20120902PM8~)脚本・藤本有紀、演出・柴田岳志を見た。例によってシナリオに沿ったレビューはikasama4様を推奨します。今回はついに来た藤原中納言成親、源伊豆守頼政の二大謀反人描き下ろしイラスト大公開でお得でございます。まあ、二人とも、建春門院滋子が病死する安元二年(1176年)まではつつがなく過ごしていたわけで・・・まさに平家の春とはこの間の10年を指すのですな。清盛と滋子・・・平家と後白河院の確執を治めていた二人だったわけでございます。言わば滋子の建てた春の門だったのです。35才・・・美人薄命ですな。同じ美人でも上西門院は64才、八条院は75才まで生きるわけですがーっ。いえいえ、別におねだりしているわけではありません。だから、私信はコメント欄でしろと・・・。
仁安三年(1168年)に平清盛は寸白(寄生虫感染)により一時重篤な病状を呈する。当時の日本人と回虫は切っても切れない縁で結ばれていたのだ。抵抗力が落ちたり、回虫が体内で異常繁殖すればたちまち命にかかわったのである。輸入野菜の生食には現代でも注意が必要なのである。オエッとなって白い虫を吐き出すようになったら愛国無罪である。すでに絶大な権力を握っていた独裁者・平清盛の生死は各方面に甚大な影響を与えていく。孫の六条天皇の後継者として愛児憲仁親王(母・平滋子)を指名していた後白河上皇としては平清盛は欠くべからぬ後ろ盾であったし、摂関家の復権を目論む摂政・藤原基房にとっては千載一遇の好機到来を感じさせた。もちろん・・・平家一門に恨みを抱く不遇の者たちは期待に色めきたったのである。しかし、遠い東国で配流生活を送る源頼朝は失意の日々からは立ち直れなかった。ただ西にそびえる富士山の偉容に親の仇であり、命の恩人である清盛を思うばかりだった。源頼朝は22才だったのだ。そして・・・牛若丸は10才である。翌年、牛若丸は鞍馬寺に預けられ五年の歳月を稚児として過ごすことになるのである。そこで、牛若丸は軍事的天才児として何かに憑依されるわけだが・・・それは後の話だ。
西行の弟である佐藤仲清は北面の武士・後藤実基の養子となり、後藤基清と名乗っている。後藤家も佐藤家と同様、実は天皇の忍びの一族である。同時に後藤家は藤原北家中御門流の一条家の家人でもある。源義朝と由良御前の娘・坊門姫を上西門院の密命により養育し、一条能保に嫁がせ、後に一条高能を生ませている。滅びたとはいえ、源氏の血脈はこうして受け継がれていくのである。
一条能保と坊門姫の最初の子は娘であった。後に摂政・九条良経の妻となる女である。
母子の安泰ぶりを確かめた基清は義父・実基に報告に参った。
「母子ともに健やかでございました」
「亡き、由良御前も草葉の陰で安堵しておろう・・・」
「さて・・・次は常盤御前のことじゃ・・・」
「はっ・・・」
義朝の愛妾である常盤御前は清盛の愛妾として過ごした後に藤原北家道隆流の一条長成の継室となっている。常盤と義朝の間の子のうち、今若丸は醍醐寺で、乙若丸は園城寺で出家してすでに仏門に入っていた。
「牛若丸様も御年10才になられる・・・」
「あれから・・・十年ですか・・・」
「平治の乱も遠くなったの・・・」
「よって・・・年明け早々に鞍馬寺で御出家していただくのじゃ・・・」
「牛若丸様は異常な才を見せているとか・・・」
「忍びになれば・・・恐ろしきものになるであろう・・・」
「惜しいものですな・・・」
「しかたあるまい・・・定めというものじゃ・・・仏門にお入りいただき・・・鬼才を鎮めねばならぬ・・・」
京に潜む天皇の藤原の忍びの頭領父子は暗黙の了解をした。
その頃、後藤基清の兄であり、天皇の大伴の忍びの総帥である西行法師は四国にあった。
陰陽師狩りである。
琵琶湖を挟んで東西には西に平安京があり、東に青墓がある。
青墓の里はスサノオの墓に他ならない。活目尊(垂仁天皇)が伊勢神宮をアマテラスの廟所として定めた時、山城国、近江国、美濃国を経由して伊勢国に入ったとあるように青墓はその通過点にある。スサノオの荒ぶる魂を鎮める地が青墓なのである。
古来、青墓には優れた資質の術者が生まれている。忍びの里なのだ。また、信長が天下布武を唱えた岐阜城、秀吉が出世の糸口をつかんだ墨俣城、戦国時代の終焉を告げる関ヶ原・・・皆・・・この青墓の周辺の土地なのだ。それもまたスサノオの魂のなせる術なのである。
その土地で修行したはぐれ陰陽師の安倍陣内が四国に渡り、崇徳院の霊に悪戯を仕掛けたと読んだのは上西門院統子であった。
安倍陣内は蟲を清盛に飲ませた上で・・・封印された崇徳院の怨霊を一部開放し、蟲を通じて清盛に呪詛をかけたのである。
そのために清盛は体内を蟲に荒らされ生死の境を彷徨っていた。
西行は愛人である老くのいち波音とともに安倍陣内を探索しているのである。
「おぬしの頭領は世話をかけさせることだ・・・」
「あいすみませぬ・・・」
「ま・・・そこが捨て置けぬところだがな・・・」
西行は愛人の昔の思い人であり、旧友でもある清盛の面影を思い浮かべる。
二人は平時子から借り受けた「秘本・源氏物語」にて妖力を追跡している。
安倍陣内の妖力はさほどではないが盗み出された崇徳院の白骨は大いなる力を示していた。
山中にてその所在を掴んだ二人は火攻めの仕掛けを作る。
「愚か者め・・・呪詛に力を注ぎすぎ・・・我らの存在を気付きもしない・・・」
「南無阿弥陀仏・・・」
「・・・」
火の線が走り・・・森の中は炎に包まれる。
絶叫がこだましていた。
ふと・・・清盛は目覚める。
枕元に時子が正座していた。
「殿・・・」
「・・・」
清盛は長い夢を見ていたような気がしたが・・・今はすべてがうつつであった。
「朝か・・・」
「祇園祭の朝でございまする」
六波羅の庭に笛の音が流れていた。
関連するキッドのブログ→第33話のレビュー
| 固定リンク
コメント
どうもです
本当は八条院も藤原兼実も西光も
以仁王も描きたいんですが
公式HPの画像がちっちゃいし
西光に関しては師光のままだし
どうせなら高倉天皇みたいに
新しい登場人物として紹介してほしいのに
そういうのもないし
イラスト描くよりも
イラストの構図探しが大変で
視聴率のせいで
HPがかなり手抜きになってるんじゃないかと
変な勘ぐりをしてしまい
もうこうなったら「義経」から
適当に見繕って描こうかと思っている今日この頃
で、そのフラストレーションを発散させるために
最近は雲霧仁左衛門を描いてますけど ̄∇ ̄ゞ
やっぱこの手の陰陽は楽しいですなぁ
それにつけても源頼政
都から伊豆まで何日で移動してるのでしょうね
神行法でしょうかね ̄∇ ̄
投稿: ikasama4 | 2012年9月 5日 (水) 12時59分
高視聴率を謳歌する「梅ちゃん先生」
低視聴率に苦心する「平清盛」
日本の歴史教育の賜物ですな。
ほとんど戦後日本とは無関係なサザエさんの世界と
史実にかなり寄り添った幽玄なる平安絵巻の世界が
受け入れられたり
受け入れられなかったり
一同哄笑の展開でございます。
電撃作戦で3点を失ったヤングなでしこ同様に
大河ドラマスタッフも低視聴率の連打で
動揺を隠せないのでしょうねえ。
まあ・・・開き直って
とことんやるしかないんですけどね。
嵐はいつしか過ぎ去るわけですから・・・。
八条院は別として
清盛の足を引っ張る
悪役たちが続々登場する終盤戦。
あくまでマイペースでお願いします。
作者的には「ちりとてちん」組を
かなり愛情持って展開させていく気配がありますな。
さらにいにしえのミニモニ・ドラマからも
高橋愛をフィーチャーしてますし・・・。
その他大勢の姫君役でつじかごも
まぜてこないかと期待しています。
画像倉庫に西光が収納されていたので
例の場所
http://kid-blog.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/hc_1c98.html
に期間限定でアップしておきましたので
ご参照くださりませ。
ふふふ・・・雲霧仁左衛門ですか・・・。
池波正太郎三昧ですな。
仲代達矢、天知茂、松方弘樹、萬屋錦之介、山崎努と
歴代仁左衛門・・・そそりまする。
まあ、キッドとしてはどうしても仲代達矢のイメージが
強いのでございますけど~。
宋帝国が宗教的にはかなり
なんでもありだったので
仏教、儒教、道教のどれもが
それなりに隆盛いたしました。
日本オリジナルの陰陽は
言わば・・・神道に儒教と道教を加味したものと
考えることができます。
で、仏教と土着の信仰のひとつの対立軸に
なっているわけです。
天皇家は神道の頂点でありながら仏教派で
藤原家は寺院を建立しつつ神道派という
ねじれ現象が一種の伝統となっているのですな。
その空白に陰陽師の跋扈する素因があったと考えます。
平清盛は織田信長と同様のリアリストだったので
神仏は基本的には信心の対象にはならなかった。
迷信深い当時の人々とのギャップは
かなり深刻なものだったと推測します。
だからこそ・・・
妄想の世界では
楽しい闇の戦いが成立するわけですけれども~。
ふふふ・・・金に滅ぼされた
北宋の英雄たちの子孫が
何人かは列島に漂着しているはずで・・・
忍びの中には戴宗の血縁者が
いたりして・・・ε=ε=ε=ヘ(;゚∇゚)ノ旧500里
投稿: キッド | 2012年9月 5日 (水) 16時40分