赤く染めた旗遥か越えて行くさよならの姫子待つ(松山ケンイチ)
三日天下といえば明智光秀の代名詞だが・・・平清盛の革命は安徳天皇の即位(1180年5月)から源義経による安徳天皇の殺害(1185年4月)までおよそ五年間続く。
しかし、実際には清盛は天下人のまま寿命を迎えたので革命の成功者と言えるだろう。
皇室の血を受けながら臣下の子として育てられ、ついに最高権力者となるまでに一生を費やしたわけである。
もちろん・・・歴史というものは個人の力だけで成立するものではない。
清盛が現れなくても平安京の構築した矛盾は火を噴き、世直しの騒乱の幕はあがっただろう。
しかし、そうした歴史の流れを加速するものはやはり個人の力量によるところが大きいのである。
名もなき民たちが力を示し、古くなって腐敗した国の形を崩す。
その為に流される血を厭う人々も多いだろうが、血で血を洗う抗争こそが人類の本源と考えれば・・・平清盛はその名の通り、清々しい人間だったのだと思う。
で、『平清盛・第45回』(NHK総合201201118PM8~)脚本・藤本有紀、演出・渡辺一貴を見た。例によってシナリオに沿ったレビューはikasama4様を推奨します。いよいよ、革命の終焉の始りで・・・その影の主役となる・・・平家の御曹司の代名詞・正二位前大納言平屋島大臣宗盛描き下ろしイラスト大公開でございます。最後の夏を過ごす清盛に残された時間はすでに一年もなく・・・「すべて」を宗盛に託すしかなかった・・・まさに憐れ極まるとはこのことでございましょう。まあ・・・期待に応えられなかった不肖の息子は敗者に与えられるすべての恥辱を一身に引き受け父親の偉大さを知らしめる孝行息子でもあったのでしょうな。勝者というものは本当に恥知らずでむごいものでございますから。
治承四年(1180年)四月、平清盛と後白河法皇の孫である安徳天皇が即位する。数え年で三歳、満1歳4ヶ月の帝の誕生である。この時、父・高倉上皇は二十歳。母・徳子は二十六歳である。直後に高倉上皇は病に倒れている。幽閉中の後白河法皇、病床の高倉上皇、そして幼帝と・・・朝廷の根幹は極めて不安定なものとなっていた。清盛は比叡山との関係は良好を保っていたが後白河法皇のバックアップする近江・園城寺、藤原摂関家との関係が深い大和・興福寺という巨大な寺社勢力が不気味な蠢動を始めていた。王家をめぐり水面下で競う公家、武家、法家の三勢力は次第に制御不能に陥っていく。清盛のクーデターで生じた公家の失脚による真空状態が新たな軋轢を生じさせるのである。一方で、後白河法皇の第三皇子であり、後白河法皇の異母妹八条院の猶子でありながら親王宣下さえ受けることが叶わなかった以仁王はクーデターにより自領を没収され、ついに決起を決意する。後白河法皇の血筋である以外に何の法的根拠もない「令旨」を発令した以仁王は全国各地での暴動を命じたのである。いわば、皇子によるテロリズム発令である。その背後には清和源氏頼光流で従三位源伊豆守頼政が控えていた。齢七十七となった頼政は一瞬の政治的空白に乾坤一擲の勝負を挑んだのだった。
出家して源三位入道となった頼政は家督を嫡男・仲綱に譲っていた。
「これは伊豆守殿」と小松殿に源三位を迎えたのは平重盛の未亡人である藤原経子である。源三位は美福門院の郎党であり、その従兄弟である藤原家成とも親交が深い平安京を代表する歌人でもあった。藤原家成は経子の父親だった。
平治の乱の後、源氏の長老的存在となった源三位は平家の風下に立ちながら、清和源氏としては格別の従三位まで昇ったのである。
時には平家の棟梁となった重盛と轡を並べ軍事に勤しみ、相談役として助言を与えたこともあった。
幼くして平家の嫡男の正室となった経子はまだ三十路半ばであったが・・・兄と夫を続けて失い顔に憔悴が現れていた。源三位にはそれが何故か艶めかしく感じられる。
「もはや・・・伊豆守は倅に譲りましたので・・・今はただの入道でござる」
「これは粗相をいたしまして・・・」
「いえ、咎めたわけではございませぬ・・・去りし・・・年は何かとあわただしく・・・重盛様を見舞うこともできず・・・不義理をいたしましたゆえ・・・至らぬ経など捧げたく伺いました次第・・・」
その言葉にそっと涙をぬぐう経子だった。
小松家には経子の産んだ三男清経の上に光源氏の再来と呼ばれるほどの貴公子で二十三才になる維盛、同じ年で和歌に優れた資盛などがいるが現在は内裏に出仕している。
小松殿に祭られた重盛の霊前に参った後で源三位は十七歳の四男・有盛を紹介され、恭子から宋茶のもてなしを受けた。
「入道様には我が子の弓などに教えをいただきたく・・・」
「これは・・・我などに教えることなど・・・いささかもござりませぬぞ」
そう言いつつ目を細めた源三位は重盛の面影の残る若武者に弓の形を教授し・・・小松殿を後にした。
晩春というよりは初夏を感じさせる風が頬を撫でる。向かうは・・・以仁王の待つ八条院である。
長らく苦楽を共にした平家と袂を分かつ決意は凛として固まっていた。
その頃、福原の仮宮には次々と白拍子たちが訪れている。
安徳天皇の即位以来、清盛は福原と京を忙しく往復していた。
京の清盛屋敷で、移動する平家舟で、福原の仮宮で清盛は白拍子と戯れることを欠かせない。
熱に浮かれたように白拍子の歌と舞を楽しみ、その肉体を貪る。
近江の妓王、妓女の姉妹、加賀の仏御前など当代一と噂される白拍子たちを侍らせた清盛だったが・・・その欲求は果てることを知らぬようだった。
警護にあたる朱雀は清盛の近臣中の近臣である平盛国に意見する。
「いくらなんでも・・・清盛様は・・・ことが過ぎるのではないじゃろうか」
「仕方ないのでございまする・・・」
「仕方ないとは・・・」
「清盛様に宿りし、両面宿禰の霊が供物を求めているのでございます」
「・・・」
「今や、清盛様は人の三倍の欲に責められているのでございます」
「それではお命を縮めることになるのでは・・・」
「すべては宿命でござりましょう・・・そして殿はお顔も知らぬ母君の面影を白拍子たちに乞い求めておられるのじゃ・・・」
その時、清盛の寝所から殺気が迸った。
「たわけが」
屏風が押し倒され、全裸の白拍子が胸に忍び刀を突き刺した姿で飛びだしてくる。
「くせもの」
朱雀は気色ばんで抜刀するが・・・龍女と名乗った白拍子はすでに息絶えていた。
「殿・・・ご無事ですか・・・」と盛国が問う。
「他愛もない・・・おそらく近江の青墓のくのいちであろう・・・」
老いの色の深い清盛だったが刺客を返り討ちにしたことで精気が蘇ったように眼光が鋭くなっていた。
「朱雀か・・・来るがよい・・・」
「清盛様」
朱雀は清盛の正室・時子の姪である。
しかし・・・くのいちである朱雀に逡巡はない。
「御慰め申し上げまする」
「・・・」
血の匂いの漂う寝所で清盛は朱雀を組敷いた。
清盛の命を燃やす最後の夏が始まろうとしていた。
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