戦のない平和な世のために耐えがたきを耐え二夫にまみえん・・・むふふ(多部未華子)
正気も極まれば狂気であり、狂気も極まれば正気である。
理性の求める大義と情感の発する人情との間で揺れ動く人の心。
そういうものを問いかけるドラマ・・・お茶の間には高尚過ぎますな。
そして、ジェンダーという呪縛に支配された人々の心を揺さぶる男女逆転倫理。
貞淑を是とする人々は混乱し、淫乱を否定しない人々は万歳三唱である。
これだけの反骨を示すドラマ・・・ゆとりある人々には理解不能なのではないでしょうか。
ついに変態の森の果ての至福の地を指し示す今回・・・そこは地獄でございました~。
産む機械と孕ませる機械の純愛・・・なんて逆説的なロマンチシズム・・・。
聖母のように貞淑に・・・娼婦のように大胆に花開く女・家光(多部未華子)・・・純情可憐の一幕でございます。
で、『大奥 ~誕生~[有功・家光篇]・第4回』(TBSテレビ20121102PM10~)原作・よしながふみ、脚本・神山由美子、演出・渡瀬暁彦を見た。時は流れて寛永十八年(1641年)・夏である。史実では寛永十八年八月(1641年9月)に第四代将軍となる徳川家綱を古着屋の娘あがりのお蘭ことお楽の方(宝樹院)が出産している。しかし、逆転史では女・家光の寵愛を受けたお万(堺雅人)が一年を経過して受精を果たせずにいた。心を鬼にして徳川幕府の安泰を望む春日局(麻生祐未)の心の休まることはないのである。歴史の神の命ずるままに次の一手を打たずにはいられないのである。なにしろ、下手な鉄砲数打ちゃあたる式で同時並行出産の可能な大奥と、一年に一人が基本の女大奥では効率が違うのである。
そのような政治の世界を離れ、束の間の幸せに浸るお万。弓道の指南を受け、その腕前は誰もが認めるほど上達していた。また、その教養を生かし、書物の講義を行うことで表の大奥侍衆に喝采を受けていたのだった。
その講義は「伊勢物語/作者不詳(紀貫之とも)」など古典の中でも柔らかな類のものまで含まれていた。
伊勢物語 第六段 芥川
むかし、男ありけり。
姫を盗み出でて、芥川を行ききれば
草の上の露を「何ぞ」と問われ
行く先を思い答えず。
夜も更け、鬼に出会う。
鬼は姫を一口に食いてけり。
泣けども甲斐なし。
白玉か何ぞと人の問ひしとき
露と答へて消えなましものを
(宝石のようなものは何かと問われて露と答えそのまま死んでしまえばよかった)
一時の夢のような幸福も現実でははかなく過ぎ去る・・・できれば幸せな時に死んでしまいたい・・・理性があるゆえに束の間の幸せを受け止めることができないものが死を願うという感情に踊らせる。人の心の綺は平安時代から変わらぬものなのである。
一方、裏の大奥では実は春日局の一子・稲葉正勝(平山浩行)である偽・家光と女・家光という二人の三代将軍・家光の影が政治に熱中していた。
十一歳から将軍としての教育を受けた女・家光は天性の政治力を持ち、偽・家光に本・家光を想起させる。
「長崎の出島にオランダ商館を封じ込めよ」
「オランダ側が同意しましょうか」
「旧教のポルトガルを切り、新教のオランダと結んだは国に二つの異国の力を入れぬ家康公の教えなり。それは争いの火種となるからの。オランダとて独占貿易のうまみを捨てたりはせぬ」
「御意」
「大名家でも世継ぎに苦労していると聞く」
「いかにも」
「世継ぎなき大名家はとりつぶせ・・・徳川の直轄地を増やすのじゃ」
「御意・・・しかし養子を申し出るやもしれませぬ」
「養子縁組の許可を下さなければよい」
史実では出島でオランダ貿易が始るのはこの年である。
また史実では前年の寛永十七年、生駒騒動で讃岐高松藩生駒高俊が改易(かいえき)になっているが、実際に後継者不在のためとりつぶされた大名は寛永十八年の備中松山藩池田長常、翌年の下野那須藩那須資重、越後村上藩堀直定など多数に渡っている。
逆転史でもこのような大局は揺るがないのである。
裏の大奥に幽閉された女・家光と表の大奥から一歩も出られぬお万は短い愛の一時を過ごしていた。
しかし、正史では寛永二十年九月(1643年10月)に死去する春日局にとって将軍継承者を得ずに生涯を終えることは死んでも死にきれぬことであった。
天正七年(1579年)に明智家家臣・斉藤利三の娘として生を受けた春日局こと斉藤福は齢四歳で本能寺の変を迎える。続いて起こる山崎の合戦で父は敗北、六条河原で斬首される。以来、秀吉の日本統一戦争、半島侵攻戦争、家康の関ヶ原の合戦、大阪の陣と絶えることの戦争の日々を過ごしてきたのである。春日局ほど戦のない世の有り難さを知るものはいないのだった。
徳川将軍家に後継者なくば戦乱の再開は必至なのであった。
春日局にとって将軍家後継者問題は単なる妄執ではなかった・・・世のため人のため解決しなけばならない必修課題だったのである。
お万を確保したと同じように新たな子種を持つ男を選びぬかねばならないのだった。
春日局は探索の結果、古着屋の倅・捨蔵(窪田正孝)に目をつける。実家が古着屋である以上、この男は正史の宝樹院となる運命なのだろう。
「平家物語」では夫・平通盛の跡を追って自害した小宰相を「史記」の「忠臣は二君に仕えず、貞女は二夫にまみえず」の故事をひいて讃える。
このような感情は自然のようなものでもあり、また儒教教育の呪縛にすぎないものでもある。
時に人は「あなたに捧げる愛」に燃え、「禁じられたあちらこちらの恋」に萌えるものなのである。
どちらが先にあるのかはこの際、論じまい。
しかし、女・家光にとってお万は初めて心を許し、身も心も捧げた相手なのである。
その胸に抱かれることは他の男とは比べることのできない愉悦をもたらしたのだった。
その心を知るゆえに・・・「道具」としてチェンジされることに異議を唱えるお万だった。
しかし・・・ドラマは春日局の言動によってその心を語る。
史実の正勝の命日は正月二十五日だが・・・逆転史では家光は夏頃に死んだらしく、その日より身代わりとなった正勝の七回忌。
我が子の幸せを願わぬ母はいないであろうに・・・春日局は我が子から妻子という家族を奪い、家族から夫と父親である正勝を奪ったのである。
夫の死を未だ信じられる妻の雪(南沢奈央)に厳しい言葉を投げ、可愛い孫にも極力関わりを避ける。影となった我が子に「嫁も子らも息災」と告げるのみ。
そして・・・捨蔵を拾う時の老いの影を宿した暗い逡巡。
耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍ぶ老女なのである。
春日局に束の間の幸せを破られ懊悩しつつ、お万は女・家光の心を案じる。
女・家光も春日局の非情に裏切られた思いを抱くであろう。
「このような仕打ち、何より上様にとってむごすぎます。これではまるで道具と同じや!こないにしてまで血を繋げたとして、その後に何が待っているというのです。そうまでして守らねばならぬ徳川家とは、あなたにとって一体何なのですか・・・」
「それは、戦のない平和な世のことです」
殺し文句であった。民の救済を願うお万の心にたたみかけるのである。
そして・・・一人の少女の救済を決めたお万には・・・自らが・・・女・家光にこのことを受け入れさせる役目を負う他はないのであった。
愛の暮らしの絶頂にある女・家光である。
「これより一切、お褥を辞退させていただきとうございます」
「わしに・・・他の男と寝所をともにせよと申すのか」
「嫌・・・!嫌!それでお前は痛くもかゆくもないのじゃな・・・他の男になぶられるのはわしのほうだけじゃ・・・わしの体だけがいつも汚され、辱められ、血を流すのじゃ・・・。お万よ、そなた・・・春日に逆らえば身が危ないと思うたか・・・死ね! 死んでしまえ!・・・そんな腑抜けは死ねばよい!」
お万は女・家光を抱く。
「・・・殺してください」
お万の思いつめた言葉に女・家光は心痛むのは自分だけではないことを悟る。
「・・・駄目!殺すことなどできぬ・・・死ねなどとは嘘じゃ・・・お万・・・死んでは嫌!どんなにひどい男でもそなたが好き・・・好きなのじゃ!」
かわいいよ、上様かわいいよである。
ある意味・・・失楽園なのだな。
そして・・・人の上に立つ者の義務を知る哀しい男と女の話なのである。
「・・・わしは役目を果たせぬかもしれぬ・・・その時は・・・ともに相果ててくれるのか」
「果てましょうとも・・・」
そして・・・二人は愛の営みに突入、これ以上なく燃える一夜を過ごすのだった。
「上様~逝きまする~」
「お万、お万、ああお万、ともに果てようぞ~」
「上様」
「お万」
・・・そこまでにしときなさい。
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ごっこガーデン。大奥お褥の間セット。まこ「ぼぎゃああああんっとギャラリー多すぎ~。多部ちゃんだけに~。くしゅん・・・こんなにも好きあってるのに・・・玉ちゃんとか楽ちゃんともしっぽりなのでしゅか~。竹ちゃまもありでしゅか~ぐふふ。おっとヨダレが・・・。じいや~。お化粧直しでしゅ~。お金儲けならまだしも大義のために恋を捨てることなどできましぇぬ~。わかれろきれろは芸者の時に言う言葉~。美しくもはかなく萌え~なのでしゅ。嫌い嫌いは好きのうちの王道展開ばんじゃい~」くう「ラブラブモードから一気に破局へ・・・女大奥って大変そうだーっ。浮気性の人なら大丈夫なのかっ。ふたまたどころじゃない代もあるからな~。とにかく男の世継ぎの生存率低しだから・・・女将軍の御世になっていくのね~・・・ガスター重盛からチャラ男へ・・・おもてをあげよが意味不明の町人(史実では武家くずれの前夫の娘)に大奥務まるのかしらね~」ikasama4「堺さん・・・多部ちゃん・・・二人とも冴えわたってますな」シャブリ「大学生・南沢ちゃん・・・出まくり~ですーっ」
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