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2012年12月27日 (木)

真に美しく舞うたらば華の園まで遊ばせん(深田恭子)

歴史が常に勝者のものである以上、敗者は汚される。

逆に言えば敗者を讃えるものには一種の美徳がある。

現在の東アジア諸国の下品さはこれを欠くものである。

いつの時代にも怨念はあるだろう。

生あるものが生きた証とは他者を貪り食った業そのものである。

しかし、時に荒々しく、時にもの哀しいその姿は喜怒哀楽に満ちている。

平清盛は神仏を信じなかっただろう。

しかし、この世ならぬのものを愛したにちがいない。

平清盛は家族や郎党を慈しんだだろう。

そして・・・この世に嘆きや悲しみがあることを憂うものであっただろう。

平清盛は偉大な英雄だった。

歴史を紐解けばその心は明らかである。

で、『平清盛・最終回(全50話)』(NHK総合20121223PM8~)脚本・藤本有紀、演出・柴田岳志を見た。例によってシナリオに沿ったレビューはikasama4様を推奨します。今回は史上最美な大河ドラマのフィナーレを飾る平清盛絶唱、平頼盛淡麗、平盛国忠心、平知盛咆哮、平時子&安徳帝可憐の五大イラスト大公開。拍手喝采の嵐でお得でございます。数々の名画の筆華繚乱・・・お疲れ様でございました。妄想点火にご協力いただき心から御礼申し上げまする。見事の一言に尽きる大河ドラマでしたな。キッドの心のベスト大河「信長」に勝るとも劣らない今作だったのでございます。松ケン清盛トレビアン!・・・深キョン時子最高!・・・でした。

Tairakiyomori48治承五年閏二月(1181年3月)、桜の花の綻ぶ季節に平清盛は入寂した。享年64である。以来、天皇家が政治の実権を握ることは絶えた。現在の象徴天皇制は平清盛によって創始されたのである。どのように口を拭おうとも時の帝・安徳天皇を弑逆した源頼朝が討伐されなかった以上、天皇家の実権は喪失したのである。帝位は高倉天皇の第四皇子・尊成の後鳥羽天皇が重複して受け継ぐ。高倉帝の母・平滋子の血は現在の皇室に公式的には受け継がれていることになる。治承五年は七月に養和元年にと改元される。清盛の死の直前、征東将軍に任命された平知盛は軍を返し平家は守勢となる。養和二年(1182年)は五月に寿永元年に改元される。寿永二年、平盛国の子で剛力と謳われた盛俊は木曽義仲軍の奇襲部隊に越中国般若野で敗れ、加賀国越中国の国境での倶利伽羅峠の合戦を招くことになる。平重盛の子平維盛は木曽義仲に壊滅的な打撃を受け敗走した。義仲は越前、近江と進軍し、平家は七月に都落ちをする。義仲は直後に入京を果たすが、源頼朝の弟・範頼、義経は寿永三年(1184年)に宇治川の戦いでこれを駆逐する。戦略の天才・源頼朝と戦術の天才・義経は西海に逃れて勢力を維持していた平家軍を一の谷、屋島の戦いで打ち破り、壇ノ浦の合戦でついに滅亡に追い込む。寿永四年(源氏方は寿永三年に元暦元年に改元したために元暦二年)、安徳天皇は海の藻屑と消える。元暦二年七月に大地震が置き平安京は壊滅する。もちろん、怨霊の為せることであった。この地震によって文治元年(1185年)に改元。文治五年、頼朝は藤原泰衡に命じ、義経を自害させる。続いて奥州合戦を行い勝利を収めた。これにて源平合戦の幕は閉じる。文治六年四月に建久元年に改元。建久三年(1192年)後白河法皇崩御。源頼朝は征夷大将軍に任じられ鎌倉幕府が開かれる。武士の世の始りである。建礼門院徳子は出家し、大原寂光院で安徳天皇と一門の菩提を弔い十三世紀まで生きたと云われる。

六条院は蝉の声に満ちていた。上西門院統子内親王は齢64になっていた。

表向きは頼朝の御家人であるが・・・実は天皇の忍びの棟梁である後藤基清は内裏の忍び道を通り、病床に伏せる統子の枕頭に侍った。

「仲清(藤原氏としての基清の旧名)か・・・」

「は・・・」

「いかがした・・・」

「兄が陸奥より戻りましてございます」

「達者なことじゃ・・・遠慮はいらぬ・・・通せ・・・」

「・・・御前に・・・」

基清の影から滲みでるように西行が姿を示した。

「西行法師よ・・・九郎判官の最後を検分いたしたか・・・」

「いかにも・・・」

「さぞや・・・華々しかったであろうな」

「しかり・・・義経公をはじめわずか数騎の武者たちに藤原勢五百騎、忍び武者千人が悉く討たれ申した・・・」

「さすがじゃのう・・・」

「最後は清盛公の御霊を封じた火炎玉によって休息中の持仏堂ごと焼き払いましてございます」

「それでは遺体も残らぬか・・・」

「鎌倉方には義経公の影武者の一人の首を持たせました」

「無残じゃのう・・・して・・・封印は・・・」

「申し訳ありませぬ・・・完全には成し遂げられませんでした。一部は乾(北西)に飛び去ったと思われます」

「北西か・・・狐姫も故郷が恋しくなったのかの・・・」

「・・・」

「鎌倉の軍は奥州を攻めるか」

「まもなく戦となりましょう・・・かの地には朱雀がおりますれば・・・合戦の報告も間もなく届きましょう」

「さて・・・それまで妾の命脈があるかどうかじゃの・・・」

「何を仰せになりまするか・・・」

「よい・・・妾もいささか疲れたわ・・・この国の御世のことも・・・そろそろ・・・徳子様にお任せしたい・・・」

「では・・・忍び頭は・・・」

「すでに伝授を終えてある・・・妾の命数尽きれば・・・皆は徳子様に従うのじゃ・・・まあ・・・西行殿は悠々自適の身・・・風任せで生きるのであろうがの・・・」

「拙僧も・・・いささか・・・つかれ申した・・・後の世のことは弟に任せ・・・最後の旅に出たいと存じまする」

「ふふふ・・・来年の桜を見ることは叶うであろう・・・」

「ありがたき幸せ・・・」

「あのものが去ったのも桜の季節であったのう・・・」

「もう遠き昔のような・・・つい昨日のような気がいたします」

「長い・・・長い戦であった・・・」

六条院に静寂が訪れた。

後白河法皇が見舞いに来ると知らせがあり・・・二人の忍びは姿を消していた。

統子は蝉の啼き声にしばし耳を傾けていた。

国家守護の姫巫女にも永い眠りが訪れようとしている。

文治五年の夏のことである。

関連するキッドのブログ→第49話のレビュー

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コメント

全50回もの記事アップおつかれさまです。
毎話ゾクゾクの連続のドラマ本体と、kidさんの歴史解説&妄想のおかげで、毎週楽しく幸せでした。(安徳帝死後すぐに大地震で平安京が壊滅したことも知りませんでした!)
ありがとうございました!!!

このドラマのおかげで自分の中では、清盛=白河院落胤説がすっかり定説になってしまいました。最初から最後まですごい説得力でした~

清盛VS鳥羽、清盛VS義朝、清盛VS後白河VS寺社+α滋子、清盛VS頼朝…挙げたらキリがないですが、最高にスリリングで深みがあって…もう高校の歴史教材にしてしまえばいいのに(笑)

どの登場人物も演者もすばらしいですが、終盤で一番感動したのは深キョンです(><) 深キョンはいつでも深キョンで、それでも余りあるほど魅力的な女優さん、と勝手に思っていましたが、中年以降の時子は時子でした。49話でしたっけ、源氏物語の紫の上?を朗読するところでウルッと。最終話の入水時の清冽な美しさ、忘れられません。(><)


ひとつ教えていただきたいのですが、脚本家があえて「王家」という呼称を使ったのは、当時院政だったことと、平安末期当時「天皇家」という呼称が実際にはされていなかったのかなと想像しているのですが、あっていますか? もしご存知でしたら教えてください。よろしくお願いします。

投稿: mi-mi | 2012年12月29日 (土) 08時39分

aDayinOurLife~ mi-mi様、いらっしゃいませ~アタラシイナニカヲミツケルネェ

ねぎらいのお言葉ありがとうございます。

歴史と妄想はいつでも紙一重なのでございます。

古を訪ねることには常に主観が介在し、
客観を求めることがすでに不条理なのですよねえ。

歴史は常に勝者のものですし、
記録に残ったからといって真実とは限らない。

故人の日記や・・・正史と呼ばれるものも
あくまで個人や団体の主観の産物でございます。

それでも全体としてはこうだっただろうという
推測は可能で・・・それはやはり妄想なのですねえ。

清盛落胤説に関しては
その異常な出世速度や
白河院と平忠盛の関係から
すでに清盛存命中から
まことしやかに語り継がれていたので
まさに虚実定かならずの領域です。
こうなるともはや・・・好みの問題です。

源平のあれやこれやは
日本史の核心の一つですので
もう少し、早期教育が必要だというのは
kidがいつも思うところでございます。

ふふふ・・・平時子は
誰が演じてもそれなりに
美しくなるわけですが・・・
なにしろ・・・滅びの美学でございます。
様々な思いをこめて
孫である天子と入水・・・
死んで花実が咲くのでございます。
まあ・・・夢のまた夢でございますな。

さて・・・「王家」の問題ですが・・・。

まずは
「大王」と「天皇」の問題から異説があると申し上げておきます。

大王は基本的に「オオ(ホ)キミ」と読みます。

「古事記」「日本書紀」に登場する
六世紀末の雄略天皇は
古墳出土の太刀銘に
「ワカタケルオオキミ」とあり、大王であったらしい。

七世紀に入って天智天皇、天武天皇になると
皇族の中に伊勢王(イセノオオキミ)が登場します。

王をオオキミと呼ぶわけです。

六世紀から七世紀にかけては聖徳太子が
登場し、外国に対して「天子」を名乗ります。

で、この場合の読みは「スメラミコト」です。

流れとしては
オオキミ
大王
スメラミコト
天子
という端境期がこのあたりにあったと思われます。

で、スメラミコトを漢字で書く場合。

天子

皇帝

天皇

陛下

と文書の内容によって使い分けられおりました。

このうちの天皇という号が定着したのが
七~八世紀ではないかというのが諸説あるものの
主流です。

ですから・・・
十二世紀の清盛の時代・・・王家というのは
あくまで・・・皇室側からみた呼称と
考えられるわけです。

ひょっとすると
「皇家」(オオケ)と表記されるニュアンスかもしれませんが

「オオ」の一族が自らの家を「オオの家」と呼称することはまったく問題ないことなのですな。


一部、天皇家信仰者では
王が・・・大陸帝国からの呼称ではないかとこだわる向きもあるようですが・・・。

それはすべて国際関係のなせる業ですからね。

どちらが「朝」(ミカド)であるかという問題です。
中華は中華で「世界に一つの国家」を主張する。
日本は日本で「独立した一つの国家」を主張する。
お互いの主張が・・・「皇帝」と「天皇」で
衝突しているにすぎないのですな。

この物語では

平家という・・・天皇の血を持つ臣下の家と
本家ともいえる天皇家の関係が主軸となるので
「平家が王家の犬」であるというセリフは
言い得て妙だと考えます。

「法皇」ではホウオウ、「上皇」ではジョウコウと
呼ぶのも慣習のようなものですから。

「天皇」をテンコウと呼ばないように
基本は「オウ」なのです。

現在の天皇は今上天皇ですが
正しくは

イマシカミマススメラミコトとでも読むべきかもしれないのですが
誰もそうは読まない。

あくまで・・・そういうニュアンスの問題と考えます。

まあ・・・なかなか諸説あふれる話ですので・・・
心に浮かぶままにお話しいたしました。
参考になりましたら幸いでございます。

投稿: キッド | 2012年12月31日 (月) 17時09分

こんなに丁寧にありがとうございます
ひっかかっていたものがすっきりとれました!

早期教育…
確かに。貨幣経済導入とか物流革命(言い過ぎ?)とか寺社勢力の強さとか奈良の大仏焼失とかとか…こういうのを義務教育で習っていたら日本史授業をもっと楽しめた気がします☆

投稿: mi-mi | 2013年1月 3日 (木) 03時13分

aDayinOurLife~ mi-mi様、いらっしゃいませ~アタラシイナニカヲミツケルネェ

いえいえ、お礼には及びませんぞ。
言いたい年頃なので・・・。

とにかく・・・スメラミコトが
統べる王なのか
澄める(聖なる)王なのかでさえ
諸説分かれる話でございますからーーーっ。

小学生が音楽室で
「祇園精舎の鐘の音~」と唱和する未来。
妄想の雅でございまする。

投稿: キッド | 2013年1月 3日 (木) 03時35分

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