いつも目の前で青い鳥が歌っていたんだよ(生田斗真)ジョリジョリとするゴーイング・マイ・ホーム~我が家路を往く(阿部寛)
先発した「ゴーイング マイ ホーム」が全十話で最終回を迎え、次週は「遅咲きのひまわり」が最終回である。
2012年の秋ドラマも次々とフィナーレを迎えて行く。
今季の火曜日のフジテレビのドラマは実に見事なアンサンブルだったと思う。
「ゴマホ」も「遅ひま」も「心の拠り所」の話である。
大雑把に言えば、「ゴマホ」は「家」、「遅ひま」は「故郷」がその核心にある。
「ゴマホ」は裏表になるNHKの「シングルマザーズ」(脚本・永井愛)というやや刺激的なホームドラマと競合し、視聴率的には苦戦したが日本のドラマ史上に残る傑作ホームドラマに仕上がっている。
「人は親から生まれ、一人で死んでいく」というシンプルなテーマをこれでもかとたたみかけ、ほとんど茫然とするほどである。
一方の「遅ひま」はそのシンプルなテーマさえ、実現することが難しくなってしまった・・・とある世代を淡々と描いていく。
情報が過多になり、自分が何者かを見失う時代なのである。
もちろん、自分は自分に決まっているのだが・・・人々はついそれを疑い不安になる。
どちらのドラマも昨年、異常な視聴率を獲得した自分が家族を愛しているかどうか自信がない父親を描いたホームドラマ「家政婦のミタ」(日本テレビ)の回答編にもなっていることは言うまでもない。
信じようと信じまいとあなたは今、生きています・・・ということである。
で、『遅咲きのひまわり~ボクの人生、リニューアル~・第9回』(フジテレビ20121218PM9~)脚本・橋部敦子、演出・植田泰史を見た。四万十市から見ればまぶしいほどの大都市が高知市である。先週は・・・不倫の玩具として我を見失った市会議員の娘の今井春菜(木村文乃)と実家の金物屋の廃業が決まり切羽詰った四万十市地域おこし協力隊隊長・藤井順一(桐谷健太)が心の憂さを捨てるために高知市に旅立ったのである。旅の恥をかき捨てるためだ。こういう田舎者を見て見ぬふりをするのが都会人の努めなのである。捜索を担当した異邦人(栃木県出身)である三年契約の四万十市役所臨時職員の小平丈太郎(生田斗真)は都会の闇に遭難しかかった二人を無事救助して四万十市に連れ戻すのだった。
そして・・・今回は・・・残留していた四番ピッチャー松本弘樹(柄本佑)が高知市の病院で飲んだくれの父親(日野陽仁)の手術に付き添い、二階堂かほり(真木よう子)は自分を地方に追いやった大学教授から呼び出され、高知市出身の看護師・森下彩花(香椎由宇)はついに謎めいた過去を示すために高知市行きなのである。
もちろん、丈太郎は何故か、お供をするのである。
なぜなら・・・丈太郎はみんなのアイドルなのである。
主要登場人物で・・・一番よろめく危険を犯していた島田さより(国仲涼子)は高知にはいかない・・・なにしろ・・・四万十市にすでに家庭がある身の上なのである。
さよりはゴールを決めているくせにそのボールをもう一度入れなおそうとする不届き者なのである。
しかし・・・その迷いの嵐は過ぎ去り、さよりは新たな生き方を模索し始めている・・・それはおそらく最終回で明らかになるのだろう。
丈太郎は流れ者である。宇都宮~東京~四万十と流れてきたのである。
東京ではついに花開かなかった丈太郎の隠れた才能がここ四万十では咲こうとしているらしい。
地域おこし課課長の日下哲也(松重豊)は丈太郎を早朝の川釣りに誘う。
「寒いでしょう」
「四国にも雪が降るんですね」
「降りますよ・・・毎年ね・・・」
「日下さんは岡山からここにきて・・・ずっと四万十市に住もうっていつ決めたんですか」
「さあ・・・もう忘れましたね・・・何十年も前のことですから」
丈太郎の中にこの土地にいる居心地の良さが芽生えていた。
それはたとえば・・・足を負傷してしまい一時的に農作業ができなくなった大河内欣治(ミッキー・カーチス)の代行をしている時にも感じる。
素人の丈太郎が大河内の指導で曲がりながらも作物を育てることができた。
そして「世話になったな・・・」と感謝される。
近所の人々は無料で農作物を分けてくれたりする。
人の顔色をうかがって生きて来たわけではない丈太郎だが・・・ここでは人の気持ちがよくわかるのである。
それは・・・長い下積み生活が丈太郎に優秀な「使用人」の能力を開花させたかのようだった。
丈太郎は何のとりえもない男から「使える男」になってしまったのだった。
自分では自分が見えないので自覚はないのである。
しかし・・・今回・・・ずっと引っ張ってきたナース森下の秘密も・・・丈太郎は特別に教えてもらえるのだった。
不治の病で逝った素晴らしい恋人の思い出という「難病映画」のその後を語りだすナース森下。
「素晴らしい外科医が彼氏だった・・・でもガンで死んじゃって・・・心にポッカリ穴があいちゃった・・・それから心機一転しようと四万十市に行ったけど・・・涙がとまらないし、彼のことも忘れられない・・・でもね・・・あなたがきてくれて・・・ようやく・・・誰かに話そうと思った・・・あなたがきてくれて・・・本当によかった・・・」
呆然とする丈太郎。しかし・・・東京のオフィスで何年も派遣社員として働いた丈太郎は四国の人間にとっては貴公子も同然なのである。
神にも等しい存在だから告解が可能なのである。
男たちで鍋を囲み・・・丈太郎が「ただで野菜をくれるなんてみんないい人だよな」と言えば、弘樹も順一もニヤニヤしながら口をそろえるのだ。「誰もがもらえるわけじゃない・・・お前が特別だからさ・・・」
同様に・・・四万十市出身ながら・・・出世したヒロインがかほりなのである。
ナース森下も「王子様」と「王女様」は結ばれるべくして結ばれると信じている。
だから・・・「過去の告白」のために丈太郎を「彼氏の月命日の墓参り」につきあわせることについてかほりに了承を求めるのだった。
かほりと丈太郎はそれほど自分たちが特別だと思っているわけではないが・・・周囲がそうなので知らず知らずのうちに接近していくのだ。
高知市行きの車に同乗した弘樹は・・・実はかほりと交際したいと願っているのであるが・・・自然体でイチャイチャするかほりと丈太郎を見て出る幕なしと恨みっこなしで引き下がるのだった。
・・・これを見て四国行きを決意する派遣社員は多いと思うが・・・誰もが丈太郎になれるわけではないので・・・念のため。
つまり・・・丈太郎は不遇の時代に磨きこまれ、四万十市にぴったりの男になっていたのだった。
そんな王子と王女の間に・・・悪魔が罠を仕掛けにくる。
「才能がない」とかほりを四国に左遷した大学教授のお気に入りの研究医がセクハラで問題を起こしたために欠員が生じ、研究室に戻れと言ってきたのである。
ずっと・・・東京に戻りたくて鬱屈していたかほりがようやく・・・目の前の患者を救うことに喜びを見出している時なのである。
「どうしろって言うのよね」
「・・・わからないよ・・・かほりはどうしたんだい?」
「わかんなくなっちゃった・・・今は目の前にやりたいこと・・・やらなければいけないことがたくさんありすぎて・・・」
「ふ~ん」
しかし・・・王女の言葉は必ずや王子を目覚めさせるのである。
一人、野原を抜けて行く丈太郎は目の前の景色の正体に気がつくのだった。
「ここは・・・田んぼじゃないか・・・」
丈太郎には田んぼの声が聞こえたのだ。
「耕してくれよう」
・・・丈太郎の前に道は開かれた。
「ええっ・・・本当に米作りするの・・・」
「うん」
「素人が大丈夫なの」
「それより・・・お前はどうするの・・・」
「わかんない」
「俺はお前がいなくなるのいやだな・・・」
「え・・・」
ある日突然、二人だまるの・・・である。
いよいよ・・・結末の時・・・若者たちが皆幸せになりますようにと・・・祈るばかりなのだった。なにしろ・・・生田斗真にとって・・・ファンが待ち望んだ久しぶりの良い役なんだから・・・。ハッピーエンドでないとね~。
で、『▲ゴーイング マイ ホーム▼・最終回(全10話)』(フジテレビ20121218PM10~)脚本・演出・是枝裕和を見た。往年の名画に「我が道を往く(Going My Way)」(1944年パラマウント映画)がある。ビング・クロスビーが教会を立て直す若い神父を演じアカデミー賞を得た。「宗教」という定型を持たない我が国では換骨奪胎は難しいのだが・・・このドラマには当然のようにその匂いがある。主人公の良多(阿部寛)は・・・ただそこにいるだけの男だが・・・なんだかんだと周囲を癒していくのである。最初に指摘した通りに良多の妻であり萌江(蒔田彩珠)の母でありキャリア・ウーマンでもある沙江(山口智子)は生い立ちによる屈折から破綻する一歩手前を彷徨っていたのである。しかし・・・その破綻はついに物語られることはなく・・・沙江はいつの間にか癒されてしまう。もちろん・・・癒したのはただ背が高いだけの男である夫の良多なのである。
このドラマのスパイスであり、もっとも感じの悪い登場人物である姉の多希子(YOU)でさえもが弟についてこう語る。
「いたらいたで・・・邪魔くさいけど・・・いないと寂しいのよね」
そんな良多にもわだかまりはある。
それは良多よりもかなり遣り手だった・・・父親・栄輔(夏八木勲)との確執だった。
なにしろ・・・栄輔は好色漢で・・・良多の母親の敏子(吉行和子)を泣かせているのである。
大好きな母親と大好きな父親の不和によって・・・良多の心もまた屈折して行く。
それは両親を持つすべての人間が少なからず抱える心の葛藤だろう。
良多は栄輔のような「男」にもなれた・・・しかし、ならないのである。
しかし・・・だからこそ・・・良多は妻子を悲しませる男にはなれないのである。
そのために・・・実の父親・治(西田敏行)以上に栄輔を慕う菜穂(宮﨑あおい)の心も癒してしまう。
奈穂は栄輔から良多の悪口を吹き込まれて最初は良多に冷淡な態度を示すが・・・「背が高いだけの男」に癒され・・・栄輔の悪口がすべて溺愛に近い愛情から発していた事を悟るのである。
それはやがて・・・実の父親への確執さえもほどいていくのだった。
そういう「流れ」は何一つ具体的には描かれないのだが・・・クーナという架空の存在を追及する人々の動きによってそれとなく察することができる仕組みになっている。
栄輔と相思相愛だったのに結ばれなかった奈穂の母親「くみ」の残した言葉が二人をつないでいく。
「世界は目に見えるものだけでできているわけではない」
「後悔するのはそこに愛があったからだ」
「クーナ」
くりかえされるこのキーワードはそれぞれにわだかまりを抱える人々の心に次々と沁みて行くのである。
それを体現するのが良多なのである。
良多は味のわからない男である。
高いところに手が届く以外には使い勝手もよくない。
クリエイターであるにもかかわらずクリエイティブな感じがしない。
しかし・・・クーナという存在を知ればたちまち信じることができる男なのである。
人々には見えないクーナが彼にははっきりと見えるし、会話さえかわすことができる。
だからこそ・・・「ぺろぺろぺろんちょ」というくだらないCMで父親を最後に笑わせることができる。
友達を失って心が冷える娘とクーナを捜しに森へ行くことができる。
夫に家出された母子家庭の奈穂と大地(大西利空)と夢中になって遊ぶことができる。
孫が遊びに来ないと寂しくて死んじゃいそうになる母のあまり上等でない手料理が大好物なのだ。
そして・・・料理の苦手な母親(りりィ)を憎んでいた妻に「お母さん、料理を教えてあげる」とまで言わしめるのである。
ついにはクーナ(阿部サダヲ)までもが「俺も今度生れてくるときはあんたみたいな大きな人間になりたいよ」とつぶやくのだ。
そして・・・ただ隣にいるだけで娘が川口春奈のバカリズムの心も癒しているのだった。
「遺伝子は・・・」
遺伝子は嘘をつけないので・・・栄輔の孫である萌江と治の戸籍上の娘である奈穂は・・・。
通夜と告別式の準備に追われる坪井家。
俗物である坪井敏子(吉行和子)と伊藤多希子(YOU)の母娘はこの期に及んで・・・菜穂を栄輔の愛人か愛人の娘と信じて疑わない。
その修羅場を回避するのは・・・突然、登場した栄輔の弟で・・・良多の叔父(小野武彦)である。
彼は酔いどれてとんでもない発言連発なのであるが・・・周囲がそれをなだめることですべての不祥事はうやむやになっていくのである。
困った人間こそがこの世に求められているのだな。
良多の血を引く萌江には弔問に訪れたクーナたちの姿がはっきりと見える。
見えないものが見えたっていいのである。
それが人間というものじゃないか。
りんどうの花は亡きものを悼む心をあるがままに受け止めるのだ。
良多は父親の頬の髭の感触で・・・幼き日に心から愛した父親との日々を思い出し慟哭する。
ごく普通の男である。
その普通の男をそっと慰める沙江。
ごく普通の女である。
そんな普通の男や女が世界を作っている。
そんな普通の男や女に子供がいる。
これほど心がやすまることがあるだろうか。
そして・・・家路に着く良多と萌江はクーナの別れの言葉を風の中に聞く。
沙江は寒さに震える良多のために・・・クーナの帽子を浮かべた温かいスープを作るのだ。
やがて・・・悠久の時が流れて行きます。
奈穂が確執のある父親と生れた家にたどり着くほどに。
「ただいま・・・」
「いいなあ・・・それ・・・もう一度いってくれ・・・」
「お母さんに言ったのよ・・・」
「いいじゃないか・・・な・・・な」
「・・・ただいま」
やみに燃えし かがり火は
炎今は 鎮まりて
眠れ安く いこえよと
さそうごとく 消えゆけば
安き御手に 守られて
いざや 楽しき 夢を見ん
夢を見ん
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