山本八重(綾瀬はるか)を待ちながら・・・母・妻・娘が自害してから36年生きた男(北大路欣也)
今年の大河ドラマの主人公は山本勘介の子孫で会津藩士の娘である山本八重である。
山本八重は鉄砲くのいちだったので戊辰戦争には舶来のスペンサー銃で参戦している。
その艶やかな姿は早くも予告編でお茶の間を魅了しているわけだが・・・その前哨戦である。
会津藩といえば・・・言わずとしれた白虎隊なのである。
そして・・・その心情を想像するだけで気が遠くなる会津藩家老の西郷頼母なのだった。
最近では「白虎隊」(テレビ朝日2007年)という作品があった。
「白虎隊」はもちろん・・・娯楽作品としてはまあまあの出来だったが・・・とにかくあまり心にフィットしない仕上がりだった。
それに比べて本作は西郷頼母の心情に関しては見事なまでに描ききっている・・・まあ、長時間なので。
「その日」の彼の心情は察するのが憚られるものなのである。
で、『新春ワイド時代劇・白虎隊〜敗れざる者たち』(テレビ東京20130102PM5~)脚本・ジェームス三木、監督・重光亨彦を見た。西郷隆盛と西郷頼母は同族であるが南北朝時代(14世紀)には分岐した遥か遠い血脈である。500年の時を経て・・・維新政府軍と賊軍に分かれて対峙することが時の流れのおかしみというものであろう。
西郷頼母(北大路欣也)が家老として使えるのは会津藩主・松平容保(伊藤英明)である。
幕末、容保が京都守護職に就任することを辞退するように進言したのが・・・頼母だった。
その理由は主に藩の経済的な問題であったが・・・どうなるかわからない政局の行方を案じたことも窺がわれる。
当然、容保の怒りを買い、家老職を解かれることになる。
ドラマでは反骨の武士として容保を頼母は諌め続けるのである。
一方で・・・2007年の「白虎隊」では西郷頼母を演じた小林稔侍がもう一人の家老・萱野権兵衛となって「西郷家は多産の家系」というように西郷家は子女に満ちており・・・家長としての頼母が描かれていく。
その主なメンバーは、母・律子(渡辺美佐子)、妻・千恵子(黒木瞳)、妹・眉寿子(国仲涼子)、妹・由布子(前田亜季)、娘・細布子(八木優希→未来穂香)、娘・瀑布子(江良陽彩→大森絢音)・・・錚々たる顔ぶれである。
結局、頼母の危惧は現実のものとなり・・・会津藩は賊軍の汚名を着て戊辰戦争に追い込まれていく。
もちろん・・・のるかそるか・・・は世の常なのであるが・・・頼母としては家老職に復帰を許されたことは充分に苦いものであっただろう。
慶応四年(1868年)・・・頼母は奥羽越列藩同盟を率いて東山道先鋒総督府参謀の伊地知正治、板垣退助の率いる新政府軍を白河城で迎撃する。兵力は列藩同盟軍が三倍以上を要したが、新政府軍の装備と戦術の卓越によってあっけなく敗れる。
頼母は数度に渡って白河城奪還を試みるが・・・失敗し、総督を罷免されてしまう。
続けて二本松城の戦いにも破れ列藩同盟は瓦解する。
会津藩は孤立し・・・若松城(鶴ヶ城)を中心に防衛戦を張るが、政府軍はまたしても戦線を電撃的に突破し、圧倒的な火力で攻撃を行い予備兵力であった白虎隊までを投入した会津藩兵を殲滅する。
籠城を覚悟した頼母が足手まといになるのを嫌った一族子女21名の自害に接したのはこの時である。
頼母の次女・瀑布子(13歳)の辞世
手をとりて ともに行なば まよはじよ いざたどらまし死出の山みち
頼母の長女・細布子(16歳)の辞世
武士の道と聞きしをたよりにて 思いたちぬる黄泉の旅かな
会津藩は降伏した。藩主・容保は明治26年まで生存。日光東照宮の宮司となる。
頼母は土方歳三と合流し、函館で捕縛・・・後に許され明治36年(1903年)まで存命。
容保が宮司となった際には禰宜となった。
やはり・・・その胸中は全く想像することが憚れるものなのである。
人はまだ現世に生きていても魂が地獄に落ちることがある。(ダンテ「神曲・地獄篇」三十三歌)
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