マルクス主義の弁証法的論理学はブルジョア哲学を人間的認識の凶悪な敵として暴露する(佐藤江梨子)
S・N・ヴィノグラードフ、A・F・クジミン共著「論理学入門」が悪魔の支配する帝国だったソ連の洗脳力にあふれた教科書であったことは言うまでもないだろう。
その悪魔的に一同爆笑の内容は読解力があれば「お笑いの基本原理」として有用であることはまちがいない。
それは東西冷戦の果てに「絶対に負けないはずのソヴィエト社会主義共和国連邦」が滅亡したという「理由も根拠もなくただ受け入れることしかできない事実」(brute fact)によって実証されているのである。
つまり「愚かであることほど面白いことはない」ということだな。
しかし、まぎれもない事実を受け入れることのできない人というものはいるもので、いまだに「その論理」の正しさを疑わない人は多い。
1991年にソ連は解体され消滅した。
高校時代の教諭から「論理学入門」をもらった男を演ずる二代目中村獅童の実年齢が40歳であることから、このプレゼントはそうした見果てぬ夢を見続けるものからの工作活動的思想教育の一環と見ることができる。
革命的悪魔レーニンの恐怖支配の美しい残滓なのである。
冷酷な忍び笑いが聞こえてくるようではないか。
悪魔としては同胞の偉大なる手腕に拍手喝采せざるをえない。
ドラマでとりあげられる三段論法は互いに無矛盾な命題からなる形式論理による推論の一種である。
「女はバカである」(A=B)
「あなたは女である」(C=A)
「だからあなたはバカである」(C=B)
・・・こういう感じだ。しかし、前提である「女がバカである」ことが否定されればこの推論が無意味になることは言うまでもない。
そこで新たな演繹が必要となる。
「女は人間である」
「人間はバカである」
「だから女はバカである」
・・・しかし、「人間がバカである」ことに疑義を唱えるものもいるだろう。
そこでさらに新たなる演繹が必要となる。
「人間は悪魔ではない」
「悪魔はバカではない」
「だから人間はバカである」
それでも「悪魔がバカではない」ことを疑うものがいるかもしれない。
そうなれば悪魔は「すべての真なる思考は根拠づけられているべきであるという法則である充足理由律」を示さなければならない。
黒い翼を広げ、尖った尻尾を見せて、地獄の業火で懐疑主義者を焼却してみせるのである。
残るのは悪魔の哄笑のみである。
私の古き友はつぶやくだろう。「すべての論理は非論理的なものである」・・・と。
現代論理学の使徒であるルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインは次のように結論する。「世界がどのようになっているか、でなく、世界があるということ、これが謎である。そしてその謎は解明することがおそらくできない。しかし人間はその謎に挑み続けるだろう。問いかけることも答えることもできないがゆえに」・・・。
で、『ビブリア古書堂の事件手帖・第3回』(フジテレビ20130128PM9~)原作・三上延、脚本・相沢友子、演出・宮木正悟を見た。ドラマの中のメイン・ディッシュである「論理学入門」(靑木文庫)については親愛なる天使テンメイ様がその1、その2と親切丁寧に手ほどきしてくださっているので推奨させていただきます。天使なので悪魔同志よりも暖かい視点にあふれておりますぞ。
一冊の本によって人生観が変わる。
そういう経験のある人が幸せなのか不幸せなのか・・・不明である。
しかし、数多くの本がいつの間にか一冊の本によって人生観が変わることを抑止するということはあるだろう。
そういう体験が人にとって幸せなのか不幸せなのかも不明である。
ただし、そういう人間は一冊の本によって人生観が変わった人を蔑む傾向にあると考える。
ビブリア古書堂の周辺には東京矯正管区に属する横浜刑務所やその管理下にある横須賀刑務支所がある。その何れかの施設から受刑者が脱走し、周辺地域は異常な緊張に包まれていた。
そんな折、来客した男・坂口昌志(中村獅童)はどこかあわただしい雰囲気で「論理学入門」の買い取りを希望する。活字恐怖症のアルバイト店員の大輔(AKIRA)と店主の栞子(剛力彩芽)が応対するが、男は「査定の時間」を惜しむように翌日の再来店を約して立ち去るのだった。
売値で500円と査定した「論理学入門」に「私本閲読許可証」を発見した栞子は持ち主が受刑者だった可能性を示唆する。
来店していた「CAFE甘庵」店長の藤波(鈴木浩介)は「脱走中の殺人犯かもしれない」と鎌倉駅周辺の目撃情報を語る。脱走犯の人相風体は坂口と一致していた。
ビブリア古書堂の住居部分に棲むせどり屋(古書転売業者)の志田肇(高橋克実)も議論に加わり、坂口が脱走犯だった場合に備え、栞子を店頭から排除し、自宅軟禁することが決定される。
まもなく、坂口の妻を名乗る坂口しのぶ(佐藤江梨子)が来店し、「論理学入門」を引き取ることを申し出る。
応対した大輔はしのぶの勢いに押され、「論理学入門」を持ち逃げされてしまうのだった。
弟の無断売却した漫画全集を三万円で姉が買い戻す「泣くな、はらちゃん」とは落差ある対応だったな。っていうか・・・展開かぶりすぎだろう。っていうかライバル会社におされて二番煎じを始めたあの殿さま会社は変な帽子にこだわりすぎだろう。アイドルたちはともかく、萌江にまで変な帽子をかぶせるなんて。加藤あいダケに変なことをさせ続けるのに限界があったのはもちろんだが・・・なりふりかまわなさすぎるっ。まあ、教職員と同様に公社も触手の浸食しやすい部分だからな・・・。
・・・雑談はもういいか。
ともかく、店員としての自覚の足りない大輔を論理的に攻める栞子だった。
「本は一時的にお客様からお預かりしているものです」(第一の前提)
「お客様は昌志さんで、自称・妻のしのぶさんではありません」(第二の前提)
「ですから、しのぶさんに本を返却するのは間違ってます」(演繹的結論)
・・・三段論法によって己の非を悟った大輔は志田とともにしのぶさんの勤務先である横浜のクラブ「ベイエデン」に向かうのだった。
・・・脱走犯から栞子を保護する件はいいのか。
・・・まあ、元祖キューティーハニー・サトエリのいるクラブに行きたい気持ちに論理的整合性は不要だよな。
そして・・・二人はおしゃべりが過ぎるホステスしのぶから「坂口夫妻のなれそめ」に遡る長いおのろけを聞かされるのだった。
かけだしのホステスだったしのぶが職業適性についての悩みを客の昌志に打ち明けると彼は愛読書の「論理学入門」を持ち出したのである。
・・・君は言ったね。
「ホステスはバカには向かない職業である」
「私はバカだ」
「だから私はホステスに向いていない」
・・・と。しかし、私はこのように思う。
「君の論理は三段論法である」
「三段論法はバカには使えない」
「だから君はバカじゃない」
こうしてしのぶは昌志に口説かれたのだった。
しのぶは昌志がかってお寺で修行していたこと。
そこで「論理学入門」を愛読していたこと。
二人の幸せいっぱいの結婚生活。
最近、夫の態度が変わったこと。
夫が大量の書籍を大手の古書売買業者「BOOK PALACE」に売り払ったこと。
残しておいた思い出深い「論理学入門」まで売ろうとしたこと。
だから・・・どうしてもとりもどしたかったこと。
二人の人生のすべてを語りきったのである。
ともかく・・・二人の男はこうして「論理学入門」を取り戻したのだった。
「しかし・・・寺かよ」
「それを信じるなんてバカみたいですよね」
「バカみたいじゃなく、そのものズバリのバカだよ」
だが、二人の話を聞いた栞子は「その他の売却された本」に事件の真相が隠されていると断言するのだった。
志田の友人である笠井菊哉(田中圭)の交際力で物件の調査が秘密裏に行われることになる。
昌志の蔵書だった「月刊 日本のお寺」に読めば抜かれるはずの在庫管理用のスリップが残されているのを発見した栞子は見出された真実に納得するのだった。
やがて・・・昌志が再来店する時刻がめぐってくる。
「100円で買い取る」という栞子に同意する昌志。
しかし、渡されたコインを昌志は落してしまうのだった。
「お客様・・・お話ください・・・お客様は本が読めなくなってしまったのではないのでしょうか」
「そうです・・・私は失明するのです・・・本は誰かに読まれてこそ・・・本でしょう・・・だから・・・私は本を売ることにしたのです」
「そんなの論理的じゃないわ・・・」
しのぶが現れた。
「だって、あなたが読めなくても、私が読むもの。読んであなたに聞かせるもの・・・」
「・・・」
全員がしのぶの朗読力に疑問をもって凍りついた瞬間である。
しかし、昌志はしのぶの愛に包まれて生きることを決意したのだった。
そして・・・一つの告白をする。
「実は隠していたことがもうひとつある。私は前科者で、寺で修行していたのではなく、刑務所で刑期を勤めていたのだ」
「そんなこと・・・ずっと前から知ってたよ・・・だって私はバカじゃないんでしょ・・・バカじゃなければ誰だってわかることでしょ」
「・・・」
二人は寄り添って去っていった。
「論理学入門」には類推についても説明がある。特定の事物に基づく情報を他の特定の事物へそれらの間の何らかの類似に基づいて適用する認知過程が類推である。
「私たちとあの二人はちょっと似てますね」と栞子。
「・・・」と押し黙る大輔。
「昌志さんは本が読めなくなるのでしのぶさんが朗読するのでしょう」
「・・・」
「大輔さんは活字恐怖症なので私が本について話します」
「・・・」
「だからといって私たちはお二人のように仲の良い夫婦じゃありませんけどね」
もやもやとする大輔だった。
このように類推は論理的誤謬を含む可能性が高く論証力としては弱い論理なのである。
関連するキッドのブログ→第2話のレビュー
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コメント
>「私たちとあの二人はちょっと似てますね」と栞子。
ああ、そういう事が言いたかった回なのね。
投稿: 浜かもめ | 2013年1月29日 (火) 10時59分
^^^へ^^^~浜かもめ様、いらっしゃいませ~^^^へ^^^
あくまでキッドの妄想的にはでございます。
本編では夫婦の間の嘘についての漫才が
展開しておりましたぞ。
再現性は低めですのでご注意くださりますように。
投稿: キッド | 2013年1月29日 (火) 15時38分
明けましておめでとうございます(笑)
2週間前に御挨拶するつもりだったのに、
たまたま深刻なPCトラブルと重なったもんで。
遅くなって、大変失礼しました。
僕自身、1月10日以降に年賀状を受け取ると、
しっかり名前を覚えちゃうんですが。。(^^ゞ
さて、こちらの記事のタイトルには笑いました♪
ヒネリもあるし、凝ってますね。中国だけでなく、
ソ連も悪魔「同志」でしたか。「同士」じゃなくて。
弁証法的論理学と言われて、何となくでも
理解できる人はどのくらいいるのかな。
高校の倫理でも多分、オマケ扱いか無視ですからね。
ウチで2本、記事をアップして、1本目の方が中身が
濃いわけですが、アクセスは2本目の書籍紹介に集中。
検索ワードは圧倒的に、書名の「論理学入門」。
しかも、2本目から1本目には飛んでくれない (^^ゞ
要するに、本の情報を求めてるけど、肝心の中身、
論理の情報は求めてないってことでしょう。
ま、ある程度は予想してましたけどね。
一夜明けた後はじわじわ、1本目の三段論法も
読まれるようになって来てます。
三段論法って言葉自体がマイナー過ぎて、読者にも
視聴者にもすぐにはピンと来なかったのかも。
言葉を知ってる人は逆に、すぐ分かった気になる。
実は結構、奥深い理論だと思います。
現在の述語論理学との関連を考えても、面白い。
古代ギリシャ以降、2500年の歴史、恐るべし。。
しかし、こちらの記事。タイトルも笑えますが、
「類推」への着目は流石に鋭いですね☆
僕が演繹=三段論法で、キッドさんが類推。
何とも、分かりやすい構図かも♪
類推は評価の低い論理(広義)ですが、
実際の世の中ではかなり使われてますよね。
あと、直観or直感とか、単なる論理的誤謬とか♪
「正しい論理」が少数派に留まってる辺りに、
人間社会の「可笑しさ」を感じます。
それにしても、サトエリの勤め先はコスプレ系に
すべきでしょう。できれば、変身前のハニー(笑)。
それなら、ドラマの出来とか関係ないのに♪
しかし、視聴率12%ってことは、やっぱり
剛力彩芽は剛力なんですかね。
山崎ランチパックCMのダンスなら評価します。
最後に話を戻すと、弁証法の論理ってもの自体の
骨格は、ごもっともで普通だと思うんですよ。
対立を通じた社会の進展(or変化)の連続。
問題なのは、全体性なのか、骨格の硬直性なのか。
共産主義とかマルクスと結びついたのは、
偶然なのか、必然なのか。
レトロ趣味的なノリで考えてみたくなりました。
いつもながら、記事内リンクして頂き、どうもです。
それでは、また。。
投稿: テンメイ | 2013年1月30日 (水) 02時38分
○-○)))テンメイ様、いらっしゃいませ。○-○)))
あらためまして本年もよろしくおつきあいくださいますようにお願い申し上げます。
遅レスに関しては当方の専売特許なのでかえって恐縮いたします。
最近は年賀状も放棄状態で・・・未だに送ってくださる方には穴が入ったら入りたい心境でございます。
手前勝手ながら安否を気遣ってくださる方のためにも記事の更新を継続している次第です。
ふふふ・・・かってはマルクスと聞いただけで
顔をそむけるムードもあったわけですが
もはや・・・レトロの対象なのかもしれませんな。
少なくともドラマでは
あっけらかんとしていました。
もはや、最初からソ連のない時代に育ったのが
若者の主流ですしねえ。
テンメイ同志、と呼びかけるだけで
笑いがとれるかどうか微妙な時代です。
キッドは大学で中国語を習ったときにまず
○○トンシェーを覚えたわけですけどね。
詭弁と弁証法論理学は紙一重だと
感じたのもその頃でございました。
そもそも・・・ロシア皇帝という悪魔を
駆逐するために「赤旗」は振られたわけですが
革命が成就すると
新たなる悪魔の支配が始ったというのが
歴史の痛快無比なところなのですよね。
悪魔のおりなすカーテンの向こうの
粛清粛清また粛清が
下賤な悪魔としては羨望と嫉妬の対象でございます。
一方で、哲学としての「論理学」そのものは
些少の変更修正あるいは強制矯正にもかかわらず
それなりの趣きのある本書。
テキストとしてはまあまあと申せますよね。
集合の概念や、数学や物理学的なアプローチでは
古典としての限界もありますが
基本は押さえてありますからな。
キリスト教の延長線上にあるマルクス=レーニン主義としても論理的に整合性が高いですしね。
ある意味、我が主の敵に対しての皮肉に満ちているわけでございます。
テンメイ様の記事は要点を押さえ、流石でございましたな。
ドラマでは剛力女探偵がスラスラと「本」の内容を説明するわけですが・・・そのざっくりとした感じ。
何かを言っているようで何も言ってない如しでした。
結局、論理とは相互理解の賜物なのでしょう。
わからないものにはわからないというと
ミもフタもありませんけれど。
しかし、まあ、プログラミング言語はわからなくても
LINEをツールとしてコミュニケーションを楽しむことができるわけで・・・それが大衆というものです。
そしてサトエリの胸元がひろげられれば
それでいいのが殿方ですからなあ。
しかし、三段論法の奥深さというのは
もう少し、反映されてもよかったのに・・・という気もいたしますな。
少なくとも前提の正しさの問題は
前科のあるものが脱獄犯であるという「間違い」から
読みとれるわけですが・・・
そういうお茶の間は少ないでしょうしね。
ベン図なども境界や領域の問題にそれとなく
踏み込もうと思えば踏み込めた気がします。
キッドは剛力に魅力を感じる/感じないの
無数のベン図が脳裏を駆け巡っています。
ランチパックのダンスの脚線美を
細いから高評価なのか短いから低評価なのかとか
結局、プチぽっちゃりが好きなのかもとか
いろいろと心乱れるのですな。
論理的にタレント性を追求しても
直感的な社長の感性が勝利することは
枚挙にいとまがないですからな。
角川春樹が原田知世を選択したときから
そう考えます。
マルクスの理論を
レーニンが継承した。
そこには人々を説得する言葉があった。
しかし、やがてそれは
レーニンのための言葉に置き換えられ
言葉そのものが不自由になっていく。
これはやはり宿命のようなものなのだと
悪魔は類推いたしますな。
分岐した中国がまったく同じ道を歩んでいることも
ナマな事実として妄想できますしね。
ギリシャ哲学の象徴であるソクラテスの
「無知の知」はキッドの座右の銘ですが
その果てにヴィトゲンシュタインが
「知るあたわず」に到着する。
しかし、古代インドでは
「色即是空」は当たり前だったのですな。
それでも人間は正しい答えを求め続ける。
悪魔としては微笑むばかりでございます。
もっともキッドはサトエリが「論理学入門」を朗読することを妄想するだけでうっとりして萌え~なのですが・・・
投稿: キッド | 2013年1月30日 (水) 05時11分