緋色なる恩賜の御衣の陣羽織、松平容保公は会津藩兵千名を率い建春門前にて天覧馬揃えに臨むのです(綾瀬はるか)
馬揃えは軍事訓練であると同時に示威行為でもある。
日本における先達は源義経であり、木曽義仲追討のための軍勢を浮島原(静岡県・原宿)に集結したことによる。
それを儀式的に洗練したのは織田信長である。信長は正親町天皇に京都御馬揃えを披露した。
圧倒的な軍事力の保持とそのショー・アップは抑止力としての効果を持つと同時に・・・周囲に脅威を与え、警戒心を強める。信長が馬揃えを披露した翌年・・・本能寺の変が勃発する。
徳川幕府三代将軍徳川家光は先代将軍・秀忠の死を受けて品川宿において馬揃えを敢行した。武断政治の続行を示すとともに将軍の権威というものを高めようとしたものと思われる。
そして・・・会津藩による天覧馬揃えが行われる。
企画者は因幡国鳥取藩12代藩主・池田慶徳だったと言われる。慶徳は徳川斉昭の五男で一橋慶喜の兄にあたる。公武合体推進の一手として、「武」の威力を示す意図が濃厚であったと思われる。
一方で尊皇攘夷に期待する人々は勅命により、それがなされることに新たなる権威を見出そうとしたのである。
結局、公卿たちは「武力」に恐怖し、天皇は「武威」に憧憬を感じたらしい。
会津藩の猛々しい武力はこの瞬間、政治に利用されるものに堕ちたのである。
で、『八重の桜・第8回』(NHK総合20130224PM8~)作・山本むつみ、演出・加藤拓を見た。例によってシナリオに沿ったレビューはikasama4様を推奨します。今回は倒幕の推進者・革命家にして政治家であり逃げの小五郎こと長州藩士・桂小五郎(30)その人の信長も相棒も御免の陰謀スタイルと・・・未来予知能力者にして一家総自害の後も生き残っちゃう悲しい家老・西郷頼母(33)の二大イラスト描き下ろしでお得でございます。毛利(天野)の血を引くものと徳川(保科)の血を引くもの・・・いわば・・・東西両雄激突ですな。両者から維新の後もそこそこ生きながらえるしぶとさが感じられまする。
文久三年(1863年)三月、第14代将軍徳川家茂はついに上洛する。幕府と朝廷の間では「攘夷実行」についての綱引きが行われる。将軍継承問題に端を発し、黒船来航によって動揺した幕府、各藩、朝廷の様々な思惑が交錯し、幕末の混乱が始ったのである。これを機に壬生浪士組は京都守護職・平容保の預かりとなった。言わば、江戸幕府による警察組織と同様に汚れ仕事を行う岡っ引き、下っ引きの役割を担う新撰組の誕生である。幕府は朝廷より「攘夷」を命ぜられるが実際には実行が困難であることを承知していた。しかし、即刻攘夷を望む長州藩は五月に外国船への砲撃を開始、馬関海峡封鎖を実行する。朝廷における攘夷論の推進者であった右近衛権少将・姉小路公知は幕府に懐柔されつつあったが暗殺され、背後にいた薩摩藩の朝廷への影響力は後退する。三条実美を操る長州が我が世の春を謳歌したのである。七月には薩英戦争が勃発し、薩摩藩はますます退行する。孝明天皇はそうした風潮に危険なものを感じていた。若手貴族たちの越権行為が不快だったのである。お気に入りの松平容保が天覧馬揃えを実施し武を示したことに天皇は親政の活路を見出したのだった。
会津藩・京屋敷にしのびたちが集合していた。山本覚馬を棟梁とする会津しのびの密会である。その多くは家中の次男・三男でしのびになったものであり、また江戸屋敷に奉公する女中であるくのいちたちである。全員が覆面をして身分を隠している。
覚馬だけが素顔である。身分を明かすのは公用であることを示すためで、実際には覚馬に命令する上司の存在を暗黙のうちに了解させるためであった。
「皆の衆、これより、会津しのび組はそれぞれのお役目を果たすことになる。このように一同に会することは・・・殿が京に在する間はもはやなかろう。つなぎはそれぞれの小頭に命ずるゆえにおのおのそれに従ってもらいてえ」
覆面の忍びたちは面を伏せたまま、息を殺している。
「しのび名を呼ばれたものは前さ出てきてくれ」
覚馬は用意した密書を取り出す。
「小頭、木賊(とくさ)・・・東山、芦ノ牧、中ノ沢、早戸」
名を呼ばれたものたちは進み出る。
「にしらは温泉組だ・・・木賊の指示通りに励んでくれ」
覚馬は木賊に任務内容を記した密書を渡す。
「別れの盃じゃ」
覚馬は人数分の盃に酒を注ぐ。自分の分を最後に注ぎ、一気に呷る。しのびたちは飲むことはせずに酒を床にこぼす。盃が置かれるとしのびのものたちは去っていく。
「次は・・・小頭、只見・・・」
順次、五人ほどにわかれた数組が退出していき・・・やがてしのびとくのいちが一人ずつ残された。
「朝日・・・にしには・・・苦労をかける・・・」
くのいちは無言でさらに深く伏せる。
「しかし・・・お役目じゃ・・・」
覚馬は密書を渡し、他のものとは違い金杯を差し出した。
朝日と呼ばれたくのいちは覆面をとり、覚馬とともに酒を飲みほした。
少女の面影を残すくのいちは覚馬と一瞬、目をあわせると静かに去って行った。
最後に一人のしのびが残った。
「望月殿・・・」と覚馬が呼びかけるとしのびは覆面をとる。
「お久しぶりでございます」と挨拶した男は覚馬よりもひとまわりは若い年頃である。
望月は江戸において代々、潜伏する会津しのびの草のものだった。
「江戸においてはお世話になりました」
覚馬は江戸留学の時に望月に剣技を伝授していた。二人は聖徳太子流の秘剣を受け継ぐ同門のものだった。かって覚馬の会得したものを江戸で望月に伝えたのである。
「にしには・・・会津藩お抱えになった浪士組に潜入してもらう・・・」
「承ってございます」
「名は決めたか・・・」
「斎藤一と名乗ります」
「ふふふ・・・なかなかに良き名前じゃの」
「斎藤道三の末裔という筋立てでございますよ」
「・・・面白いのう・・・」
覚馬は脇差を取りだした。
「無銘じゃが・・・山本家に伝わる名刀じゃ・・・」
「ありがたきしあわせ」
男は立ち上がるとかなりの長身であった。
部屋には覚馬が一人残された。
文久三年の熱い夏がすぐそこまでやってきていた。
関連するキッドのブログ→第7話のレビュー
龍馬伝→文久三年五月の頃
篤姫伝→文久三年夏の頃
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コメント
ばんはです
此度は新撰組の殺陣は控えめでしたが
これは今後の戦争でとっておくってことでしょうかね
かつての威勢だけを頼りにする
すっかすかの幕府と
そんな幕府に見切りをつけて
朝廷と譲位の名を借りて倒幕を模索する長州と
長州に負けじと政権を掌握しようとする薩摩
そんな両家の争いに巻き込まれていく会津
会津は
朝廷に振りかかる火の粉を振り払おうとし
頼母は
会津に振りかかる火の粉を振り払おうとし
そんな互いの思いが通じ合わない
それぞれの臣としての立場がこんな風にしてしまったのでしょうな
さて、当方pixivをやっておりまして
これまで描いたイラストを掲載しております
まぁかれこれいつのまにか700ものイラストを掲載してました; ̄∇ ̄ゞ
IDは「ikasama4」でございます
それと和宮はこんな感じでございます
http://www.pixiv.net/member_illust.php?illust_id=2028823&mode=medium
投稿: ikasama4 | 2013年2月26日 (火) 22時12分
今回は標的が「逃げの小五郎」でございましたからね。
剣技の振るいようがなかったのかもしれません。
CGによるスペクタクルですが
要素の挿入はなかなかのものと感じました。
謎の剣士である斎藤一が主軸になりそうなのも
凄くときめきますねえ。
妄想も一気に加速いたしました。
幕末史的な要素をこなしつつも・・・
尊皇攘夷の密謀四天王の
ダークサイトな感じとか・・・。
新撰組の殺伐とした狂犬ぶりとかが
かなりそそります。
薩摩や長州あるいは水戸では
国内での抗争がかなり激しかったわけですが
会津では意見の相違はあるものの
基本的には上意下達が貫かれていた。
結局、ナイーヴだったわけですな。
そのために白虎隊や子女の自害といった悲劇が
生れるとも言えます。
ある意味、お国柄なのでございます。
なにしろ、ことなかれ主義の人々の方が
結局、漁夫の利を得たりしますからねえ。
まあ、負け組には負け組の美しさや愚かさがございますので
そのあたりのバランスがどうなるのかも見どころです。
会津主従は長生きしますので
悲劇の後の振る舞いも楽しみでございます。
ふふふ・・・堀北和宮、なつかしゅうございますな。
古のプリウスくんには
画像工場の倉庫に
ikasama4様のイラスト画像がすべて収納されていたのですが
震災後、レスキューできておらず
代役捜しが一苦労だったのですが
pixiv利用で一息つけそうです。
画伯のお心づかいに感謝・・・でございまする。
投稿: キッド | 2013年2月27日 (水) 00時15分