はなれ瞽女おいち親思う心にまさる親心けふのおとずれ何ときくらん~掩ふべき袖の窄きをいかにせん行道しげる民の草ばに必殺剣(綾瀬はるか)
「掩ふべき袖の窄きをいかにせん行道しげる民の草ばに」(歓迎してくれる領民たちに相応しくない馬鹿殿は合わせる顔もなくはずかしくて顔を覆いたいのに袖は縮んでいる)・・・と詠んだ井伊直弼を吉田松陰は領民を慈しむ名君であると評した。
その吉田松陰を「老中間部詮勝暗殺計画」立案のテロリストとして井伊直弼は斬首に処した。
小塚原回向院に葬られた吉田松陰は「親思う心にまさる親心けふのおとずれ何ときくらん」(僕が愛するより深く愛してくれる父上母上ごめんなさい)と先立つ不孝を詠む。
親を思う忠臣が・・・民を思う名君が殺し合い・・・幕末維新の幕があがるのである。
歴史は血で塗られていくものだからだ。
で、『八重の桜・第5回』(NHK総合20130203PM8~)作・山本むつみ、演出・一木正恵を見た。例によってシナリオに沿ったレビューはikasama4様を推奨します。今回は「身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」でおなじみの吉田松陰の描き下ろしイラスト大公開。首切り地蔵もご照覧あれ・・・でございます。死んだのは小伝馬町だ、最初に埋められたのは南千住だ、松陰神社は若林だ、いや故郷は萩だと・・・終焉の地をめぐって今日も虎視眈々と町おこしの嵐が吹きすさぶのですな。無慙でございますなあ。
安政六年(1859年)、長州で獄中にあった吉田松陰は幕府の命により江戸に護送され、伝馬町牢屋敷にて再度の取り調べに対し幕政批判を供述。老中暗殺計画など危険思想を越えた発言で斬首となる。熱狂的な吉田信者の心に火がついて「尊王攘夷」「天誅」「知行合一」「愛国無罪」「陽明学万歳」などと「殺ろうと思えば殺れる」思想が花開き徳川幕府の太平の夢は崩れ去っていく。将軍継承問題で敗れ去った水戸藩では穏健派と過激派が抗争し、その結果、脱藩浪士が水戸藩にとっての最大の政敵である大老・井伊直弼の暗殺に踏み切る。安政七年(1860年)一月、日米修好通商条約の批准書を交換するため遣米使節団一行はアメリカ軍艦ポーハタン号と咸臨丸で日本を出発、渡米の途につく。勝海舟の乗艦する咸臨丸は二月にサンフランシスコに入港する。吉田松陰が夢にまで見た海外渡航の実現である。そして三月。大老襲撃が実行に移される。世に言う桜田門外の変である。薩摩藩士一名を含む水戸脱藩浪士は襲撃に成功し、譜代代表筆頭の大名を親藩の浪士が殺害するという幕藩体制の根底を揺るがす事態となる。これを受けて安政七年は万延元年へと改元となった。
軍事取調役兼大砲頭取の山本覚馬は会津藩の兵制改革を急ピッチで進めていた。改革には既得権益者の抵抗がつきものである。基本的に非成長安定を旨とする幕藩体制においては何事も世襲が基本である。他国(藩)の人材を登用することなどもっての他であった。覚馬自身が大抜擢の身の上である。その上で川崎尚之助なる但馬国出石藩出身の浪人の仕官を推挙するというのは思い上がりも甚だしいことだ・・・と思うものたちがいる。
その中にはもちろん、覚馬の出世を妬む暗い心がある。
そういう男たちは徒党を組むものである。
男たちは「実力主義」というものが理解できない。もちろん・・・無能だからである。
異国の言葉を解し、異国の武器を用いる覚馬そのものが魔性に見えるのである。
「山本覚馬斬るべし」はそういう者たちの酒の席でなんとなく口に昇る愚痴であった。
しかし、実際には藩主のおぼえめでたい山本覚馬を斬ることはできない。何よりも覚馬自身が武名高き武者である。
そのうちの一人が言った。
「下賤のものを斬るには・・・下賤のものがよい」
「何か思案があるのか・・・」
「人殺しのやくざ者がいる」
男が口にしたのは後に会津の小鉄と呼ばれる侠客だった。水戸藩子の落胤を自称する流れ者で最初は会津藩京都藩邸の中間となり、博打好きの不良藩士に気に入られ、嘉永年間には江戸藩邸に移り、博打で成した財で一家を構えている。
小鉄に命じて暗殺者を雇うというたくらみが・・・自堕落な男たちを熱中させた。
屑というのはどこにでもいるものなのである。
江戸から刺客が送り込まれてきて・・・男たちの屋敷に匿われる。安政六年の秋のことであった。
各地には食い詰めた浪人がそろそろと現れ始めていた。
小鉄自らが依頼者である上士の元へやってくる。人を殺めることに慣れたような冷徹な眼差し・・・と上士は怖気を感じる。
小鉄自身は小者の装束であり、伴ったのは三人の武士である。両刀をさすものでありながらどこかくずれた気配が漂う浪人たちだった。
三人はいずれも剣客だったが酒、女、博打で身を持ちくずしていた。
「江戸の蘭学塾で山本を見たことがある」というのは水戸藩の浪人だった。
帰宅時を狙い、水戸の浪人が覚馬を呼び出すという手筈が整った。
・・・夕暮れの会津若松城(鶴ヶ城)下街を一人の瞽女が渡っていく。名を盲御前おいちと言う。
三味線を弾きながら謡うのは「葛の葉」である。門付巡業をしながら、時にはオシラサマの神がかりを行うこともある。会津地方ではこの土着の家神を「シンメイサマ」と呼ぶ。土地土地で神の呼び名が変わることは常のことであった。瞽女は芸人であり、陰陽道的な宗教者なのである。
小鉄の母もまた瞽女であった。小鉄が単なるヤクザと異なるのはこの瞽女のネットワークと繋がりを持っていることである。
おいちは小鉄の身内のようなものであった。
おいちの役割は山本覚馬の帰路を尾行し、その帰宅を小鉄に知らせることである。盲目でありながらおいちは足音で人間を区別することができた。
小鉄に合図を送ると山本家に向かって三人の刺客が接近する。
おいちは心眼を開いた。音と匂いで目開きの見えないものを見ることができる・・・それがおいちの特技である。
家には三人の女がいた。帰宅した夫を迎えたのが妻であろう。炊事をするものが母であろう。もう一人はまだ幼い・・・妹か。屋敷の裏には下男と下女そして童がいるようだった。
やがて三人の刺客が案内を乞う声がする。
妻が夫を呼び出す。・・・刺客たちが殺気を露わにした。
その刹那・・・女たちが殺気に応えて殺気立ったことがおいちにわかった。
夫は無防備であった。男たちは抜刀した。しかし、次の瞬間には三人は討ち果たされている。
手裏剣と小太刀そして鉄砲。
おいちは刺客を一瞬で倒した女たちの獲物を感じ取った。
いずれも恐るべき使い手たちだった。
おいちはゆっくりと道をたどる。結果を待つ小鉄の前を通りすぎながら囁く。
「よしな・・・あのお家にさわるのは・・・命がいくつあっても足りやしねえよ」
唖然とする小鉄を残し、おいちは夜の闇に消えて行った。
夜も昼もない身の上である。
男たちの悪事は露見することもなく終った。
ただ名もなき三人の男が死んだだけだ。
関連するキッドのブログ→第4話のレビュー
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コメント
NHKヒストリア「井伊直弼」回>wiki井伊直弼>直弼の唄「おおうべき袖の~~」からたどり着きました。
面白かったです\(≧∀≦)/
投稿: nameless1302 | 2015年3月 7日 (土) 05時49分
~nameless1302様、いらっしゃいませ~アナタハダアレ
面白がっていただきありがとうございます。
次回は御名前をお願いします。
コメントが返しにくいものですから。
投稿: キッド | 2015年3月 7日 (土) 07時12分