おおやまのみねのいわねにうづみけり わがとしつきのやまとだましひでごぜえやす(綾瀬はるか)
オオヤマツミ(大山祇神)はスサノオの妻となったクシナダの祖父である。
山崎天王社は祇園神の牛頭天王を信仰の対象としており、牛頭天王の権現はスサノオであるから、現在、オオヤマツミとスサノオが共にまつられている自玉手祭来酒解神社が天王山に鎮座しているのである。
水天宮総本宮の神主であった真木和泉守保臣は当然のこととしてイザナギとイザナミの子であるオオヤマツミを祖先神として崇拝の対象にしていただろう。
おなじくイザナギとイザナミの子であるスサノオは荒ぶる神である。
真木は自らにスサノオへの感応を持っていただろうと察する。
宗教的情熱をもって源氏徳川政権の打倒を目指した平氏真木和泉は敗軍の将として天王山にて自害して果てる。
大和の国は魂のまほろばである。吉田松陰と同様に・・・愛国者の憧れの地であるそこへ・・・魂の回帰を願った辞世の句となっている。
久留米生れの真木和泉もまた・・・まだ見ぬ大日本帝国誕生の夢を見ていたのだった。
で、『八重の桜・第12回』(NHK総合20130324PM8~)作・山本むつみ、演出・一木正恵を見た。例によってシナリオに沿ったレビューはikasama4様を推奨します。今回は禁門の変の勲功によって出世する弾丸を見切る男・山本覚馬の第二ヴァージョンといよいよ登場、幕末の火炎魔神にして日本一の将器である薩摩藩士・西郷吉之助の二大描き下ろしイラスト展開でございます。まさに蛤御門の勝利の立役者二人・・・。英雄伝説誕生でございますな。実話であるところが・・・近代ですなああああああっ。妄想もそろそろおっかなびっくりでしておりますぞーーーっ。
元治元年(1864年)七月十九日、前日に真木和泉の主張が通り、京都包囲の体制に入っていた長州諸隊は洛中への進軍を開始する。京都山崎の天王山長州六隊、山崎八幡の家老・益田右衛門隊、嵯峨天龍寺の来島又兵衛遊撃隊、後発で伏見に陣を張った家老・福原越後守隊である。長州の進軍開始を知った幕府軍は内裏の各門の警備を固めるとともに参集した各藩兵に迎撃を命じる。寅の刻(午前四時)に伏見街道を北上中の福原隊と大垣藩(藩主・戸田氏彬)が藤森付近にて遭遇。福原隊が発砲し、戦闘に突入した。大垣藩は大砲を連射、至近弾を受けた福原越後守が落馬し昏倒、主将を失った福原隊は混乱し、たちまち敗走する。嵯峨天龍寺遊撃隊は二派に分かれ黒田藩が守備する中立売御門と会津藩守備の蛤御門を目指す。長州勢は五門の大砲で宮中への砲撃を開始する。黒田藩は簡単に突破され、長州兵が突入を開始。十字砲火を浴びた会津藩は窮地に落ちる。しかし、ここで西郷吉之助の率いる乾御門守備の薩摩軍が参戦。遊撃隊は逆に十字砲火を浴びることになり壊滅。白兵戦となれば会津藩士と薩摩藩士はほぼ無敵であった。門内に入った長州兵はたちまち殺戮される。一方、合流した山崎の天王寺軍、八幡軍は西街道、松原通、烏丸通と進撃し、前関白鷹司屋敷へ侵入する。そこで宮中への発砲を開始したところを越前藩兵が急襲し、乱戦に突入。まもなく蛤御門の戦闘を終えた会津・薩摩連合軍が到着し、長州の実質上の司令官・久坂玄瑞は自害。長州軍は崩壊する。長州軍は各地に放火しながら退却し、幕府軍も敗兵籠城家屋に放火したために北は一条通から南は七条の東本願寺に至る広い範囲でどんどん焼けと呼ばれる大火災が発生した。軍師・真木和泉は天王寺まで逃亡して果て残念さんとなった。こうして勝敗は十九日中に決したが大火は二十一日まで燃え続けたのだった。
「なんでこないなことになったのや・・・」
「そりゃ・・・会津様が守護職におなりになったからやろ」
焼け跡で口やかましい京雀は囁きを交わす。もちろん、野望を秘めた天皇のしのびたちが流言の術を駆使しているのである。真木和泉も死を賭して妖術・カムロを放っていた。
天皇が会津藩主を寵愛しすぎたために周囲のものが危機感を持ったことは言うまでもない。この街に棲むものは上下を問わず陰謀家であり、陰謀家というものは基本的に中立を保つのである。勝者というものをけして認めない気質なのだ。
もちろん・・・その背後には次の時代を読む闇の公卿たちの暗躍がある。
焼失を免れた祇園の遊女街は戦勝景気でにぎわっていた。
しかし、その片隅でくのいち朝日から報告を受ける山本覚馬の表情は暗い。
「お傷の加減はどないでしょう」
「大事ない・・・それより・・・我が藩の人気はどうだ・・・」
「よくありませんなあ・・・会津藩は勝ったのに吝い・・・ともっぱらの評判です。長州は相当に大盤振る舞いをしていましたから・・・」
「向こうは密貿易でしこたま儲けて景気がいい・・・会津は米にも困る有様だ・・・」
「とにかく・・・銭どす。銭がなければなんともなりませぬ・・・。もっとも薩摩藩は銭を落しても人気ありませんけど・・・」
「結局、薩摩は南国、会津は東北・・・京都の衆から見れば蛮人も同然ということか」
「悲しいけれど・・・それが現実どす」
「望月(斉藤一)からは何か報告があるか」
忍んでいた壬生浪しのびが影から姿を見せる。
「お預かりした・・・佐久間様の遺児のお方ですが・・・」
「ああ・・・三浦敬之助殿か・・・」
「一応、新撰組に入隊なさいましたが・・・あれは使えませんぜ・・・気位ばかり高くて」
「そうは言わずに面倒みてやれ」
「焼け跡には童の幽霊が現れて会津や幕府の悪口を言いふらしていると噂があります。しかし、新撰組の巡回ではそのようなものについては報告がありません」
「面妖な・・・あやかしの術か・・・」
「それにしても残党狩りは厄介ですな・・・やればやるほど怨みを買います」
「それが・・・過激派の手なのだ」
「それから、大沢の清八親分のところに妙なのがいついてます・・・会津小鉄というヤクザなんですが・・・」
「ああ・・・それは会津のくさだ・・・ぬしらとは別のお役目で動いている」
「気をつけてくださいよ・・・あれはなんか腹に一物ありますぜ・・・」
「会津の古い家柄の方々の御用をしているからな・・・俺も一度刺客をけしかけられてるよ」
「ご存知ならようございます・・・」
「そういえば・・・岩倉村に・・・瞽女(ごぜ)の集団が参っておりました・・・あれはくのいちではないかと・・・」
「岩倉様は・・・皇子様を握っておられる・・・目配りを頼むぞ・・・」
「承知しております」
覚馬は祇園を後にする。京の街はもはや廃墟と化していた。
悪いのは長州だとどう言いわけしても・・・会津藩が京都守護職を受けた結果がその光景を生んでいるのである。
御所へと向いながら焼け跡の匂いを嗅ぎ、覚馬の気持ちは暗澹としてくるのだった。
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