戦争と云わんよりほとんど遊猟の感なきにあらずでごぜえやす(綾瀬はるか)
第二次長州征討の戦で、芸州口と呼ばれる戦場の幕府軍側先鋒を勤めた藩に第16代(最後)の藩主・井伊直憲の彦根藩がある。その軍法はいわゆる「井伊の赤備え」である。
彦根藩兵は軍法に法り、法螺貝と陣太鼓を鳴らしながら、周防国と安芸国の国境・小瀬川付近まで前進し、長州の遊撃隊など参謀・大村益次郎揮下の諸部隊の待ち伏せ攻撃に逢う。
散開したミニエー銃武装歩兵は井伊の赤備えを淡々と射殺した。
幕臣の戸川安宅(残花)は維新後の著書「幕末小史」の中でその模様を「戦争と云わんよりほとんど遊猟の感なきにあらず」と記している。
こうして、彦根藩兵は一瞬で壊滅したのである。
「合戦しようと思って来たら戦争だった・・・」という感じである。
その他の戦場でも同様の展開があり・・・幕府軍が苦戦を強いられる中・・・総司令官である幕府14代将軍徳川家茂が病死してしまうのである。
近代戦争であれば、司令官が交代すれば済む話だが、合戦の最中に将が死ねば味方は総崩れになる定めなのである。
将軍の死を知った各方面軍の指揮官は次々と戦線を離脱するのだった。
後継した徳川慶喜が出陣すると敗残兵が続々と敗走してきたわけである。
家茂は江戸で留守を守る正室の皇女・和宮に京土産としての遺品を残す。
うつせみの唐織衣なにかせむ 綾も錦も君ありてこそ
(夫の贈り物である西陣織の衣を着て見せる相手が不在では何の意味もないことだ)と和宮が詠んだとされる歌が残念な結果を辛うじて慰めるのだった。
まあ、虚しく散った兵たちは美しくまとめられても甲斐はないのである。
で、『八重の桜・第15回』(NHK総合20130414PM8~)作・山本むつみ、演出・清水拓哉を見た。例によってシナリオに沿ったレビューはikasama4様を推奨します。今回は会津藩主・松平容保のお気に入り藩士で家禄千二百石の家老・神保内蔵助の長男・神保修理長輝のイラスト描き下ろし大公開でお得でございます。ここからは悲劇悲劇の一本道ですが、神保修理とその美しい妻・雪子の末路を思えば今から涙があふれんばかりの今日この頃でございますなーーーっ。だがしかしけれども、けしておねだりしているわけではございませんぞ~っ。
で、いよいよ徳川幕府崩壊の分岐点、慶応二年(1866年)に突入である。幕府は前年から長州の完全降伏を求めて圧力を強めて行くがその間に着々と戦争準備を整える長州軍事政権である。なにしろ・・・正月には坂本龍馬の仲介により薩長同盟の密約が成立してしまうのである。その直後に朝廷は長州処分の勅許を発するのであった。しかし・・・第二次長州征伐が開始されるのは半年後の六月になってからである。長州はその間に軍備を整えると同時に周辺諸藩に対して戦略的互恵関係を深めていたのであった。味方の裏切りによって大敗北を喫した関ヶ原の怨みを今、晴らさんと新・長州軍は幕府軍の到着を待ち構えていたのである。六月七日、瀬戸内海の周防大島で戦闘が開始される。幕府軍は慶応元年暮れに米国から到着したばかりのバーク型木造スループ軍艦「富士山丸」を旗艦とした艦隊で松山藩兵の部隊を上陸させ、島民を殺戮し、一時大島を占領するが高杉晋作の指揮する軍艦丙寅丸の夜襲作戦によって撃退されてしまう。芸州口では彦根藩兵と高田藩兵が小瀬川で壊滅し、渡河してきた長州軍と紀州・幕府連合軍が膠着状態に陥ってしまう。攻撃側が守備しているのでは勝てる戦も勝てないのであった。長州藩と津和野藩の境界である石州口では津和野藩が長州側に寝返り、長州軍は津和野を素通りして幕府側の拠点となっている浜田藩を奇襲する。幕府軍は各個撃破され、七月上旬、浜田城は包囲され、十八日に幕府軍は松江藩領まで撤退する。九州の諸軍を集めた小倉口の幕府軍は老中小笠原長行に率いられた大軍勢であったが集結に手間取っていた。大島口の海戦で勝利を収めた高杉晋作は坂本龍馬の海援隊と合流。長州海軍の総力たる丙寅丸・癸亥丸・丙辰丸・乙丑丸・庚申丸の五隻により幕府側陣地を艦砲射撃で粉砕、幕府の輸送船団を壊滅させつつ、六月中旬から七月初旬にかけて幕府本陣などに上陸乱入を繰り返し、幕府軍の戦意を喪失させるに至る。そして・・・七月二十日、将軍・家茂は大坂城にて薨去し・・・七月二十七日、徳川宗家を一橋慶喜が相続する。慶喜は八月十二日を出陣と定めるがすでに幕府軍は各方面指揮官が戦線を離脱・・・つまり全面的に敗北していたのである。八月二十八日、朝廷は長州征討の停止を発するのだった。
時は・・・幕府転覆の始る慶応二年正月に遡行する。会津藩宿舎にて京都における会津忍びの棟梁となっている山本覚馬は諜報戦の敗北を悟っていた。
敵対していた薩摩藩と長州藩が密かに同盟を組んでいたことをそれが成立するまでまったくつかめていなかったのである。
しかも、その情報をもたらしたのは今はなき佐久間象山門下の兄弟子にあたる勝海舟からの使いの者であった。
あろうことか・・・その者は会津藩京都宿舎の覚馬の寝所に忍び入ってきたのだった。
眼病を患い、視力が衰えたとはいえ・・・山本覚馬は会津一の鉄砲忍びである。しかし、その男は全く気配を絶って覚馬の枕元に侍っていたのであった。
「お静かに願いまする・・・拙者、幕府軍艦奉行・勝海舟の手のものでございます」
「・・・なんと・・・勝様の・・・」
それまでまったく気配を示さなかったものが突如として異様な圧力で覚馬の行動を制していた。覚馬の感じたことのない気迫である。
「昨年、おとりつぶしになった神戸海軍操練所の塾頭を勤めました坂本と申します・・・」
覚馬は初対面だったがその名を聞き知っていた。坂本龍馬は佐久間象山の門下生であり、覚馬にとっては弟弟子にあたる。しかも・・・覚馬は龍馬の正体もおぼろげに推察している。
「すると・・・そなたが科学忍者隊の隊長か・・・」
「いかにも・・・」
覚馬は龍馬が気を緩めたのを感じる。思わず覚馬自身も息を吐く。
「何用か・・・」
「勝先生からの託をお伝えします」
「・・・」
「薩摩と長州の同盟成る・・・このことよくよく吟味して・・・画策(はか)れ・・・とのことでございます」
「なにっ・・・」
思わず覚馬は声を震わせた。すぐには信じられぬ話だった。
「勝先生は・・・一藩の命運ではなく、日の本の将来を案じて・・・山本様にこれを伝えよと申されました・・・」
「会津を捨てよ・・・と申されるか・・・」
「さて・・・それは・・・拙者はただの使いでございますれば・・・」
「ううむ・・・これはとくと思案しなければならぬ・・・」
「それと・・・これは余計なおせっかいと申すものですが・・・」
「・・・なにかね」
「会津の忍びはあまりにも・・・つたなきもの・・・手痛い目に会わぬうちに・・・お控えなされ・・・」
「・・・む・・・われらをあなどるかっ」
覚馬は龍馬の不躾な物言いに声を荒げる。
しかし、その瞬間、龍馬はすでに枕元にはいない。まるで幽霊であったように消失してしまっている。
「・・・恐ろしい奴・・・」
覚馬はなおも闇の中で気配を探るが・・・龍馬はすでに退散してしまったようである。
覚馬は寝床に身を起こした。薩摩が長州と同盟した・・・その恐ろしい情報の真偽を確かめなければならない。
しかし・・・と覚馬は考える。それが真なれば・・・もはや会津藩の運命は過酷と言う他はない。
覚馬は背筋が凍りつく思いを感じる。
会津藩宿舎を張っていた公儀隠密たちは・・・忍び出た龍馬を補足していた。
さすがに・・・公儀隠密たちは薩摩と長州の秘事について核心に迫っている。
その中心人物が龍馬であることも探知しているのである。
当代の服部半蔵である公儀隠密頭・音羽の三蔵は会津にも疑惑の目を向けていた。
その夜、三蔵は坂本龍馬の暗殺を決意した。
伏見奉行所に配置された公儀隠密軍団は密命を受け、科学忍者隊本部寺田屋の急襲作戦を開始する。
藤原のくのいちお龍が異変に気がついた時、伊賀卍の陣の包囲は完了していた。
「龍馬はん・・・」
会津藩宿舎から戻ったばかりの龍馬は・・・長門府中藩から派遣された忍びの慎蔵に目配せをする。
「ここは・・・逃げるが勝ちじゃ」
「拙者が参る」
「いや・・・まずは科学忍法火の鳥じゃ・・・」
龍馬が言い終るや否や、寺田屋周辺には巨大な火柱が幾筋も噴出する。
その火炎の中を二人の忍びは伏見薩摩藩邸目指して走り出す。
二人をめがけて幕府の犬たちは忍び刀を抜いて殺到する。
龍馬はスミス&ウエッソンのリボルバー・ナンバーワンを取り出し、たちまち、三人を射殺する。
しかし、四人目の黒く塗られた刀は龍馬の指を切り払っていた。
龍馬は迸る己の鮮血を見ながら左手でリボルバー・ナンバーツーの引き金を引く。
修羅場と化した京都の夜は更けて行く・・・。
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