弓矢とる身にこそ知らぬ時ありて散るを盛りの山桜花でごぜえやす(綾瀬はるか)
政府軍は会津若松城(鶴ヶ城)を包囲するかのように城下町に侵入。
逃げ遅れた婦女子を容赦なく襲いながら街に放火した。
外堀沿いの北側の町屋では各所で会津武士によるささやかな抵抗が行われた。
会津藩武芸師範の黒河内伝五郎の修行仲間で宝蔵院流槍術師範の野矢常方もその一人である。
城北の桂林寺町の守備隊に加わった常方は一人退却せず、槍をふるい銃撃に倒れた。
常方は歌人でもあり、槍先に結びつけられた一首の歌があった。享年67才。
山桜花の最も美しいのはその散り際である。散るべき時を知ってこそ武士は美しい・・・。
基本、武士とは死にたがるものなのである。
で、『八重の桜・第26回』(NHK総合20130630PM8~)作・山本むつみ、演出・加藤拓を見た。例によってシナリオに沿ったレビューはikasama4様を推奨します。今回は二週連続ヒロイン八重のスペンサー銃装備姿、神夢想無楽流師範にして稲上心妙流柔術、手裏剣術、鎖鎌術など武芸百般に通じる剣聖・黒河内伝五郎義信、そして、西郷頼母の妻・千恵子の姪にあたり、会津戦争で父と兄が戦死する日向ユキの三大イラスト描き下ろしでお得でございます。白虎士中二番隊頭の日向内記は日向一族の本家筋。これだけ、本筋に近い人物を・・・単なるご近所さんですますわけはないのですが・・・ここまではそんな感じでございますよねえ。まあ・・・総員フラグたちまくりの話なので・・・しょうがないとも言えますな。
慶応四年(1868年)八月二十二日、白虎士中二番隊は鶴ヶ城東北の滝沢本陣より戸ノ口原方面に出陣する。政府軍の進出によりたちまち敗走した二番隊は飯盛山に逃げ込んで山中を迷走。二十三日に城下に火の手があがったのを落城と錯誤し自刃して果てる。会津藩主・松平容保と行動を共にしていた実弟の桑名藩主・松平定敬は仙台を目指して落ちのびる。容保は政府軍の追撃を受けながら鶴ヶ城に退却。政府軍は鶴ヶ島城下に殺到し、各所で殺戮を繰り広げる。会津藩士は広範囲に分れて守備をしていたが圧倒的兵力差により、包囲されたちまち外堀を突破される。この時、背炙山に展開中の西郷頼母や、戸ノ口原方面から敗走した佐川官兵衛らの一隊は漸く城内に帰還する。北大手門に敗走してきた容保を収容するために突出した田中土佐と神保内蔵助の一隊は壊滅。二人の家老は城外の屋敷で自刃して果てる。すでに外堀沿いに政府軍が群がっており、一部では内堀への侵入が開始されている。守備の手薄だった南門にも政府軍が突入し、激戦となる。この頃、西郷頼母一族他、多数の子女が自刃する。大手門の北に位置する西郷屋敷は土佐藩軍によって占拠され、西郷一族の遺体は土佐藩兵によって発見された。政府軍のアームストロング砲による砲撃は鶴ヶ城天守閣に到達する。政府軍の各藩兵は市街地の略奪に夢中になり、戦線は漸く停滞した。
城下の北側に広がる市街地では各所で火の手があがっていた。
薩摩くぐり衆の野津鎮雄と迅衝隊鉄砲忍びを率いる板垣退助は徒歩で占領地を巡視する。いたるところで女の叫び声と下卑た男たちの歓声があがっている。
「各藩の兵共の規律は最低じゃな」と板垣は笑いながら言う。
「しかたありもはん・・・遠路はるばる北の果てまでやってきた雑兵どもでごわす。旅の恥ばかき捨てねば男が立たんのでごわす」
「たちまくっちょるがの・・・米はどうじゃ」
「おのおのの屋敷には充分に蓄えがのこっておりもす。こんなに早く、外堀が突破されるとは思いもしなかったのでごわそう」
「刈り入れがすんどれば・・・それなりに収穫があろうが・・・これだけの軍兵が押し寄せたのではたちまち、食いつくすことになりそうじゃの」
「まあ・・・戦がしまえば後は野となれ・・・山となれでごわす」
「弾薬の補給も待たねばならんきに・・・ここはしばらくは持久戦かの・・・」
「敵は補給が断たれておる・・・ひと月もすれば音をあげもっそう」
「まあ・・・そんなところかのう」
「じゃっどん、藩主を滝沢で取り逃がしたのは・・・残念でごわした・・・」
「さすがに・・・護衛部隊は兵がそろっていたようじゃのう・・・」
「くのいちにひとりてだれがおりもした・・・」
「ほほう・・・」
その時、後方で着弾音が響いた。
「なに・・・」
「城からですな・・・」
「まさか・・・射程が長すぎる・・・」
川崎砲が天守閣に添えられていた。
川崎尚之助が設計した臼砲が二門北東に向けて並んでいる。
曲射により、飛距離を確保した巨大な臼砲が・・・川崎火薬を仕込んだ榴弾を次々と打ち上げていく。
「わが婿殿は・・・恐ろしいものを作ったものだ」
「結局、完成したのは二門でしたがね・・・しかも、設計の半分の大きさです」
後装填、無反動、ライフリングという超時代の新兵器・川崎砲は・・・外堀から侵入しようとした敵の後続部隊に大打撃を与えていた。
尚之助が極秘に開発した川崎火薬入りの榴弾は恐ろしい燃焼力で敵味方を問わずに焼きつくすのだった。
後に海軍が取り入れる下関火薬の原型だった。
「命中精度はひどいものですが・・・これだけ敵がうじゃうじゃしておれば・・・どこに飛んで行ってもそれなりに損害をもたらします」
「いや・・・たまげた」
「しかし・・・弾に限りがあります」
「まあ・・・敵の肝っ玉を冷やすには充分だべ」
その頃、大手門では後の日露戦争の英雄・大山弥助も四斤山砲改の弥助砲で強行突破を模索していた。
「戦を長引かせては民百姓が泣くばかりでごわす」
「弥助どんは優しいのう・・・」と従兄弟の西郷小兵衛とつぶやく。「おいどんはただ、吉二郎兄様の仇ば討ちたいのでごわすが」
西郷吉之助のすぐ下の弟、吉二郎は十日前に越後戦争で戦死している。
「む・・・殺気・・・」
大山弥助は西郷小兵衛を突き飛ばした。
銃弾は弥助の足を撃ち抜いた。
大手門の銃眼の向こうで八重が舌打ちをした。
「敵将をしとめそこないやしたでごぜえやす」
「勘の良い奴だったのう・・・」
黒装束の松平容保は八重の背後でつぶやいた。
「なんとか・・・夜をむかえられそうじゃな・・・」
阿鼻叫喚の城下町を藩主は痛ましく思った。
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