米俵一俵一円の時代、兄様は新門辰五郎の屋敷を三十六円で購入したのでごぜえやす(綾瀬はるか)
幕末、米の値段は急騰したが・・・維新後数年で半値となり・・・その後、インフレーションが進み、明治四年には一円前後だったものが明治四十年には四円ほどになっている。
京都府知事の顧問となった数馬の月給は45円だった。
単純計算で年収540円とすると米俵一俵1円なら540俵である。
一俵およそ一石でおよそ五百石・・・これは年間500人を養える計算になる。
ちなみに・・・会津藩では家老級で千石だったので・・・その半分とはいえ・・・五~十人扶持程度の家禄だったと思われる山本覚馬としては大出世なのだった。
京都の百坪の邸宅に住む覚馬・時栄の山本夫妻を・・・貧しい米沢藩士の家に間借りしていた佐久、八重、みねがどのような目で見たのか・・・いろいろと妄想が膨らむところである。
しかし・・・八重としては処刑されていたと思っていた兄が生きており、盲目で足萎えの身体障害者となりつつも大出世していたことは・・・痛快だったに違いない。
長い悪夢から覚めたような気がしただろう。
兄が若い後妻を迎えていたことなど・・・なにほどのことであっただろうと邪推するのだった。
とにかく・・・これで・・・飢えなくて済みそうだ・・・と思ったことは確実だと推量する。
で、『八重の桜・第31回』(NHK総合20130804PM7~)作・山本むつみ、演出・佐々木善春を見た。例によってシナリオに沿ったレビューはikasama4様を推奨します。今回は維新前後の元会津藩軍事取調役・現京都府知事顧問・山本覚馬の二大描き下ろしイラスト付きでお得でございます。散切り頭を叩いてみれば文明開化の音がして子宝にも恵まれ・・・いろいろと忸怩たる思いもありながら現代の皆さんに批判される・・・男の中の男ここにありでございますね。江戸から明治へ・・・次々とイメージ・チェンジする登場人物たち、そして成長して大人になる登場人物たち・・・さらには新たなる登場人物たち・・・あくまでマイペースでお願い申しあげます。
明治四年(1871年)頃、日本の総人口はおよそ三千万人であり士族は百万人ほどいたという。明治二年の十津川郷士による参与・横井小楠暗殺、元長州藩士らによる事実上の陸軍総裁・大村益次郎についで明治四年一月、参議・広沢真臣が暗殺される。犯人も黒幕も未だに不明であるが・・・未だ明治新政府の要人でさえたやすく殺される時代であった。二月、後の国軍の発祥の元となる御親兵が正式に発足する。西郷隆盛の指揮下に薩摩藩、土佐藩、長州藩がそれぞれに兵力を出すという形式だった。この兵力を維持する財源が新政府になかったことが各方面に波紋を投げかける。それは新政府に地方行政組織と税制の改革を促したのである。七月、新政府は廃藩置県を開始し、八月、散髪脱刀令を布告する。斗南藩から斗南県となった旧会津藩一党の広沢富次郎小参事は周辺諸県との合併を画策し、九月には弘前(青森)県が誕生する。旧藩主は上京し、藩士たちは徐々に離散して行った。実質的な会津藩の解体・消滅であった。十月、米沢藩を出発した山本佐久、八重、みねは十二月、京都に到着する。激動する時代の中、川崎尚之助は米の調達のための取引中にオランダ商人から契約不履行の訴訟を起こされ東京で裁判沙汰となっていた。事情を知った八重は離縁に応じることになる。藩その物が解体され・・・尚之助は罪を一心に引受けることになったのである。川崎を見捨てる結果になった元の斗南藩大参事・山川浩は陸軍に出仕した。政治家としては無能であったが軍人として有能であったために浩は出世する。
京都の山本覚馬に召集された八重は母・佐久、姪のみねとともに出発することになった。
覚馬の妻であるうらは旧姓の樋口うらに戻り、八重の育てた会津くのいちの指揮をとることになる。本来、樋口家は信濃忍び越後忍びの末裔である。斗南県から大量に流出する士族一家の糊口をしのぐためにも会津の情報組織は存続させなければならなかった。
高木の時尾、日向の雪などはみなうらの配下となる。
八重たちは迎えの知らせをもたらした大奥くのいちの滝壺とともに・・・米沢城下を出発、南下して旧会津領に入るとうらと別れる。
雪の季節に追われるように陸奥を南へ南へと急いだ。明治二年に新政府は関所を廃止した。通行手形は無用のものとなっている。
女とは言え、四人はくのいちである。
およそ一週間で東京に到着する。
八重は東京という町を初めて見た。そこには想像を越えた不可思議な光景が広がっていた。
「今日は何かの祭りだべか・・・」とみねがつぶやく。
日光街道の千住で船に乗り、隅田川を下って両国にやってきた一行だった。
江戸の忍びである滝壺は笑顔を見せて言う。「これが・・・お江戸・・・今は東京府なる名前ですが八百八町のいつもの姿でございますよ」
みねは街を行く人の多さに目を丸くしていた。
滝壺は屋敷の一つに一行を案内する。
「こちらは・・・大奥くのいちの中忍・・・お芳様のお屋敷でございます」
「お芳様・・・」
お芳は江戸の侠客・新門辰五郎の娘で徳川慶喜の妾の一人だった。実際は篤姫の配下である。今は東京のくのいち頭となっている。
屋敷内には湯殿があり・・・四人は旅の垢を落とす。
「まるで・・・御殿のようだねえ」と八重の母・佐久は呟いた。
夕餉の席にはお芳自身と一人の初老の男が現れた。
「こちらは・・・勝様と申されまする」とお芳は男を紹介する。
「勝海舟先生ですか・・・」
「お・・・知ってるのかい」
「兄からお名前を伺ってごぜえやす」
「そうかい・・・覚馬とは兄弟弟子だがね・・・会津の方々には誠に苦労をかけて申し訳なかった・・・幕臣を代表して詫びるよ・・・この通りだ・・・」
「・・・」
「倅は京で何をしておるんでごぜえましょうか」と佐久がおずおずと聞く。
「ああ・・・京都のおえらいさんたちの・・・指南役みてえなもんだな」
「・・・」
「なにしろ・・・薩長の連中は下賤の者が多くて・・・学がないのさ・・・だから・・・覚馬が知恵を貸しているってことだ・・・覚馬は・・・この人の親父の京都の家屋敷をもらいうけて住んでるよ。なにしろ・・・この人の親父は江戸一番の親分さんだからね・・・あっちこっちにお屋敷があるってえお大臣だからな」
お芳は伝法な勝の言葉を面白がるような表情で聞いている。
「みちのくから・・・ここまでは・・・大変だったろうが・・・ここからは科学忍者隊の輸送船で海路を大阪まで送り届ける手はずになっている・・・」
「・・・」
「まあ、しばらくは江戸見物でもするといいや」
「あの・・・川崎の・・・夫についてお聞きおよびではないでしょうか」と八重は聞いた。
「ああ・・・あんたの旦那は今・・・獄舎だ・・・」
「獄に・・・」
「なにしろ・・・毛唐がらみなんで・・・なんともならねえ・・・訴訟費用もバカにならねえからな・・・」
「・・・」
「会津の罪を一身に背負った格好だ・・・泣かせるじゃねえか・・・」
「・・・」
「どうする・・・逢って行くか」
「いえ・・・離縁状が届いておりますれば・・・従うばかりでごぜえやす・・・けんども・・・事情が分って胸のつかえがおりやした・・・」
「そうかい・・・あんた・・・鶴ヶ城では大層な腕前を披露したそうだが・・・これからは・・・砲術も富国強兵の一環だ・・・そのためには学問しなくちゃいけねえよ」
「富国強兵・・・」
「そうさ・・・維新の大騒ぎも結局は・・・それがためさ・・・」
「毛唐どもと一戦交えるのですか・・・」
「いずれはな・・・しかし・・・今はとにかく臥薪嘗胆だ・・・ま、覚馬に逢えば分るだろうよ・・・」
数日後・・・一行は蒸気船で品川沖を出発した。
「これが・・・クロフネか・・・」
八重は時代が移り行くのをこの時、肌で感じたのだった。
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