恋人から30000光年・・・恒星間遠距離恋愛中の異星の人(有村架純)
憑依型宇宙人の特徴というか、弱点の一つに「憑依対象への同化」がある。
つまり・・・地球を侵略するために地球人に憑依したのに・・・いつの間にか・・・地球人になりきってしまうというパターンである。
これは「意識」の問題と直結している。
つまり、「人間の自由意志」なるものが・・・幻想で「記憶の回路のノイズ」に過ぎないということだ。
憑依型宇宙人の意志もまた人間の記憶の回路を利用することで「ノイズ」となってしまう。
つまり、「環境に支配されてしまう意識」ということである。
寒い国からやってきたスパイたちにとっても重要課題なのである。
いくら・・・洗脳されていたとしても・・・自国より異国の方が「素晴らしい国」であると気がつけば使命の達成は困難になるからである。
そのために基本的にスパイは故郷に人質を残しているのが普通である。
一方で・・・異星には大銀河連盟から査察委員が派遣されることがある。
そう言う場合は実態を調査する必要性から正体を秘匿するために「地球人化」するのである。その手の話の傑作といえる「異星の人/田中光二」(1976)では地球の文明度を調査に来た宇宙人ジョン・エナリーは地球人と接するうちに・・・人類そのものに恋をしてしまうのである。
地球人としては愛される自信がそれほどないわけだが・・・いわば、理想の地球人である宇宙人ジョン・エナリーに恋をしてしまう人も多い。同性であっても・・・ジョン・エナリーと知りあいになれたらいいなあと思ってしまうほどにいい地球人化された宇宙人なのである。
作者は去年、自殺未遂を図ったりしたようだが・・・まあ、凄いキャラクターを生み出してしまったことと作家とは本質的には無関係なのである。
キャラクターには生活はないが・・・作家には生活があるからな。
いい宇宙人のキャラが出てくるとキッドはいつも思う。ジョン・エナリーとくらべるとまだまだだなあ・・・と。
で、『スターマン・この星の恋・最終回(全10話)』(フジテレビ20130903PM10~)脚本・岡田惠和、演出・堤幸彦(他)を見た。結局、宇宙生命体の秘密については一切描かれないままにエンディングを迎えてしまった。ファンタジーだから別に問題はないが・・・彼らが単なる観光客なのか・・・遭難者なのか・・・それとも侵略の先兵なのか・・・あるいは「神」の一種なのか・・・たまには本格的に示してくれるドラマも見てみたいなあ・・・とただそう願ってやまないのです。
ハードSFも好きだから・・・。
15年前・・・河口湖上空で失速した宇宙人A2の宇宙船は憑依体を射出する。
霊山不二には古き神の痕跡があり、シゲタタイプの宇宙人の好奇心を刺激するのだった。同時に霊山不二はシゲタタイプの宇宙人の乗り物にとっては危険な霊的エネルギーを放出していると思われる。
宇宙人A2は現地人類の仮死体を捜索するが、あいにく付近には五歳の幼女・祥子の遺体しかなかった。
「ターゲットは未成熟タイプ。記憶容量の不足が懸念される。しかし、再捜索の場合の生存率は著しく低下。緊急避難的憑依を実行。現地人類の生命活動を修復中。情報媒体への記憶転送を開始する。現地言語に修正中。個体識別コードを特定中。し・・・しょ・・・しょうこ・・・ととく・・・とくてい・・・おなまえ・・・融合・・・とけて・・・ドロドロ・・・ごめんね・・・素直じゃなくって・・・しこうかいろは・・・しょーと・・・すんぜん・・・ゆめ・・・の・・・なかなら・・・・・・いえる・・・・い・・・ま・・・す・・・ぐ・・・あ・・・・い・・・た・・・あ・・・た・・・し・・・は・・・うちゅう・・・から・・・・・・きた・・・いくせんまん・・・の・・・ほし・・・はーとは・・・まんげきょう」
宇宙人A2の意識はほとんど解体され・・・祥子の潜在意識に辛うじて痕跡を残すのみとなった。
15年後、宇宙人A2は祥子(有村架純)の意識下に「故郷への帰還の希求」として残存するのみとなっていた。
結果として、祥子は衝動的に宇宙人を渇望する人間となっている。
シゲタタイプの宇宙人母星にとって・・・重田A1(國村隼)や星男A3(福士蒼汰)よりも祥子A2は回収を要する重要個体であったらしい。
シゲタタイプの母星は基本的に地球人に対して無慈悲である。
それは・・・祥子の両親の愛情を全く考慮していないことで明確となる。
重田A1や星男A3の人間性が「人間化」の結果だということが推測できるのである。
まあ・・・三万光年の彼方を一瞬で移動する文明を有する生命体にとって・・・人類は野蛮人どころか・・・野生動物あるいは微生物に等しいのだろう。
シゲタタイプ宇宙人の地球接近は・・・用心深く行われていた。
二重遭難を避けるためである。
だから・・・回収されたのは・・・祥子A2のみであった。
「故郷に残したフィアンセに一言詫びよう」と思った重田A1や・・・「二度と故郷に戻らないと報告しよう」とした星男A3の存在は無視されたのだった。
ましてや・・・自分用スターマンを求める節(小池栄子)の希望など問題外なのである。
祥子A2だけが・・・激しい熱望通りに捜索宇宙船に回収されるのだった。
祥子の自称恋人の安藤くん(山田裕貴)はその光景を目撃し・・・祥子が手の届かない存在だったことを知ったのだった。
好きだった人・・・ラブホテルで冷たかった
好きだった人・・・宇宙の話に熱中してた
好きだった人・・・首がクルクル回っていた
好きだった人・・・最後に笑って手をふった
失恋と言う言葉は知ってたけれど・・・しかし、安藤くんはあきらめないのだった。
祥子にもう一度会うために・・・宇宙飛行士を目指すのだった。
自分が・・・回収対象にならなかったことに・・・プライドが傷つく星男。
しかし・・・それも地球人化した証拠なのである。
おそらく・・・シゲタタイプの宇宙人にはプライドという概念はないのだ。
だが、佐和子(広末涼子)はなんだかうれしかった。
自分がとるにたらない地球人であったように・・・星男がとるにたらない宇宙人であると知ったからだ。
二人はお似合いなのである。
一方、重田は故郷にフィアンセがいたことを隠していたことが古女房(角替和枝)にバレて家を追い出されてしまう。
仕方なく、重田は佐和子の家に居候するのである。
佐和子の祖母・美代(吉行和子)と意気投合した重田に・・・主治医・溝上先生(モト冬樹)は激しく嫉妬するが・・・重田は「愛しているのは妻だけだ」と断言し、様子を見に来た古女房はその言葉に感激するのだった。
まもなく・・・星男は生殖行為の結果として佐和子の胎内に自分の分離体が着床したことを探知する。
精子レベルで宇宙人化がどの程度進むかは謎だが・・・重田の例もあって交配可能は実証済みである。単に人類の精子の再生処理をしているだけなのかもしれない。
つまり、遺伝子的にはタツヤの精子に過ぎないのかもしれない。
さらには、宇宙進化論的にシゲタタイプの宇宙人と地球人は遺伝子的に近似の可能性もないわけではない。
つまり・・・地球人/宇宙人説である。
ともかく・・・こうして・・・スターマンの物語は終局する。
聡明な長男・大(大西流星)がつい最近までおねしょをしていたとか、次男の秀(黒田博之)が打ったファールボールで佐和子が瀕死になったとか、それを修復して星男が瀕死になったとか、若いので回復力があるとか、佐和子の第四子出産とか・・・広大な宇宙においてはすべてささいなことである。
スナック「スター」は「スターマン」に改名された。
そして・・・イカ型宇宙人が来店した。
安藤くんはバカだが・・・宇宙飛行士を目指してジョギングを始めた。
三万光年の彼方から・・・第二の故郷へ祥子の超電子メールが着信する。
「がんばって・・・期待しないで待っているから・・・人生はそれなりに長いのだもの」
そして、富士山は安藤くんの祥子への愛で噴火する。
そうだ・・・安藤くんが宇宙飛行士になり、超空間航法を開発し、祥子のいる星に到達する可能性だって全くゼロではないのだ。
だって限りなくゼロに近い可能性を人は希望というのだから。
そしてそれは絶望と紙一重なのである。
関連するキッドのブログ→第9話のレビュー
シナリオに沿ったレビューをお望みの方はコチラへ→くう様のスターマン・この星の恋
ラブラブ星人に胸きゅんの方はコチラへ→まこ様のスターマン・この星の恋
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コメント
はらちゃんのラストが蛇足だと思っている私は、なんだかこの作品のほうがむしろ (あくまで比較の問題で) いいかなぁとか思い始めています。やはり東京もイスタンブールもマドリードもプレゼンテーションは最後の最後が大事ですからっ?
イカ型宇宙人との壮絶な戦いとかをプロローグとして付けてみたらイケるかも???
重田家の日常という物語として心に仕舞っておきます。
投稿: 幻灯機 | 2013年9月13日 (金) 22時27分
作り込みということでは
「重田家」は物凄い存在感を持ってましたからねえ。
最後に子供が二人と言ってたので
それぞれが配偶者を得て孫がいるわけです。
どんな生活をしているのか・・・
まったく不明ですが・・・
存在感は半端なくある。
これはどちらかといえば演出によるもので・・・
トリック山田のたった一人のファンの男・・・的な
感じでしょうか。
「はらちゃん」で言うと
「重田家」は薬師丸ひろ子が。
「祥子」は悪魔さんが負っていたわけで
ある意味、シリーズなわけです。
「はらちゃん」では
悪魔さんの歌が重要な要素を持っていたのですが
ここでは「宇宙交信器」がその役割を持っています。
キッドは安藤くん視線で
「ボクの彼女はエイリアン」を
一番楽しみました。
宇宙人SFのテキストもたくさん消化できて
「シェアハウスの恋人」ともに
2013年は「となりの宇宙人の年」と言いたいくらいです。
まあ・・・ハードSFも来いよっというのは
見果てぬ夢でございますからねえ。
お気づきかもしれませんが
キッドは「半沢」の百倍「スターマン」を
楽しんでいたのです。
投稿: キッド | 2013年9月14日 (土) 01時38分