吾死するとも自由は死せんでごぜえやす(綾瀬はるか)
自由民権運動が高まる明治15年(1882年)・・・。
野に下った志士たちは新たなる反政府運動の火種となっていた。
その基本的構造は・・・国家の近代化を急ぐ政府の財政的窮乏と・・・中央集権的制度にありがちな重税の徴収である。
明治維新を成し遂げた革命家たちは次々とこの世を去り・・・残されたものたちはそれぞれの道を歩いて行く。
自由党を結成して党総理に納まった板垣退助は党勢拡大を目指し、全国を遊説中だった。
東京日日新聞(後の毎日新聞)の熱心な愛読者であり、政府擁護の御用新聞の論調に同調しすぎたことによって、自由民権派を憎悪した憐れな小学校教員・相原尚褧は岐阜での遊説を終えた板垣を殺害せんと襲撃する。
相原は短刀を所持していたが呑敵流小具足術を会得している板垣は素手で抵抗し、七か所に負傷するも随行するものとともに相原を捕獲した。
相原は無期懲役の判決を受けるが七年後に大日本国憲法発布にともなう恩赦によって釈放される。相原が謝罪し、板垣はこれを受け入れるが・・・その後、相原は移住するべく北海道へ渡航する船上から消息不明となった。
世に言う岐阜事件である。
そのような騒然とした世の中を・・・敗戦国会津の国民である八重はひっそりと穏やかに過ごしていたと思われる。
戦後15年の月日が過ぎ去っていたのだ。
八重は37歳になっている。そして覚馬とうらの子・みねは二十歳である。
姉妹のように見えるが・・・叔母と姪である。
まるで最終回のように回想を盛り込んだ今回は映像ポエムとしては秀逸であり・・・大切なものを一度でも失ったものが視聴すれば・・・八重が会津に帰ると決まった時点から涙腺は緩みはじめ・・・涙にくれること間違いなしである。
国破れて山河なし・・・それでも生きていく人の憐れさが極まるからである。
で、『八重の桜・第42回』(NHK総合20131020PM8~)作・山本むつみ、演出・加藤拓を見た。例によってシナリオに沿ったレビューはikasama4様を推奨します。今回は渡米して11年目に米国より帰国した山川浩、山川健次郎の妹にして後の大山巌の妻、山川捨松と横井小楠の長男・伊勢時雄の妻となった山本みねの二大イラスト描き下ろしでお得でございます。八重の三十七年の人生が走馬灯のように蘇る今回。覚馬の別れた妻に寄せる思い・・・瞼の母うらとの哀愁の再会・・・幻の我が子と逢瀬し・・・我が子が嫁いだ喜びに歓喜するうら・・・吉田松陰まで動員されて・・・泣き濡れる一夜でございましたな。帰郷して初めて知る・・・「思えば遠くへきたものだ・・・」なのでございますねえ。そして・・・角場だけが残ったんですな。
明治9年(1876年)、若松県、福島県、磐前県が合併されて福島県となる。会津若松城籠城戦で北出丸の侍大将となった家老・海老名季昌は警視庁に属する警官となり、山形県、福島県などの郡長を歴任。自由民権運動の取締役(弾圧者)として活躍している。季昌の妻・日向リンは明治15年に34歳で初産を果たしているが後に、熊本バンド出身で同志社英学校の卒業生・小崎弘道が設立した霊南坂教会で洗礼を受けキリスト教に入信する。やがて徳富蘇峰の姉で安中の実業家の後妻となり八人の子供を出産した湯浅初子(徳富蘇峰の姉)が経営していた幼稚園を引き継ぐという不思議な縁で結ばれている。支配階級として会津の民からは指示されなかった会津士族たちも地縁・血縁を利用し時には新興宗教を利用してしぶとく生きていったのだった。明治15年の福島県令は薩摩藩出身の内務官僚・三島通庸で住民の反対を押し切り強引に土木工事を進める圧政を行っていた。12月、これに反対した自由党員や農民などが暴動を起こし、民権激化事件の魁となる福島事件を発生させる。県令は強権を発動し、二千名の逮捕者が出た。海老名季昌警部補はこの弾圧に協力しさらに出世し、後に若松町長になっている。そういう時代に・・・新島襄とその仲間たちは着々とキリスト教の布教を展開して行ったのである。しかし・・・結局の処、真の信仰に目覚めるものは多くはなかったようだ。信じる者と不信の者との対立は未来永劫続いて行くからである。
北海道でのヴァンパイア掃討作戦を終えた八重は帰京する新島襄らと別れ、単身、故郷の会津若松を訪れている。
みちのくくのいちの首領となっている樋口うらと情報交換を行うためである。
戊辰戦争の敗北者となった東北各県では中央から派遣された為政者による圧政が進行していた。明治維新によって解放されたはずの農民たちは中央政府という新たな収奪者を迎えていたのだった。
若松の町に居を構えるうらは料亭を経営していた。
旧家老の屋敷を改造した店構えは立派なものであり、高級官吏や大商人たちによってそれなりに繁盛しているようだった。
奥の間でかっての小姑を迎えたうらは・・・八重に雑炊をすすめた。
「いやあ・・・姉様の雑炊はやはり会津一番だなし」
「八重殿もお年を召して口が上手になったべ」
「雪もふって冬も近いというのに城下は騒がしいな」
「喜多方で騒ぎが起きているんだべし」
「例の工事人足の件だべか」
「んだ・・・いくら農閑期とはいえ・・・男衆を手当てもなしに根こそぎひっぱられては百姓たちもたまらんという案配だなし」
「手当も出さねえのか」
「んだ・・・それどころか・・・男手出さんとなれば人夫賃を出せというやり口だ・・・」
「なんと・・・そりゃ、ひでえな」
「今度のお上は百姓を牛馬かなんかと勘違いしてるんだべ」
「牛っこも馬っこも餌をやんねば働かんじゃろうに」
「んだ・・・県の目付になっている男衆には不穏な情勢を報告せよとの命令がくだっているが・・・どこもかしこも不穏なので困ると申しておった・・・」
「では・・・ひとあれあるのは確実だべし」
「じゃろうねえ・・・どれ・・・おかわりよそろうか」
すでに老いを感じさせる二人のくのいちは微笑み合った。
忍びのものたちは・・・上につき下につきしてバランスをとりながら・・・そこそこの着地点を模索していた。
会津の負け戦から・・・姿を消したと思われた忍びのものとくのいちたちは・・・民衆にとけこみながらひっそりと息づいている。
それは・・・己の暮らしを守るための・・・忍者たちの新たなる戦いだった。
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