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2013年11月26日 (火)

心ゆるして我が胸に汝の額を押しあてよでごぜえやす(綾瀬はるか)

明治二十一年(1888年)、二十歳となった徳富蘆花は放浪を終え、熊本英学校の教師となる。

翌年、徳富蘆花は上京し、兄の蘇峰の創刊した月刊誌「国民之友」で英文の翻訳などを手伝うことになる。

この年、森鴎外は海軍中将の娘と結婚し、「国民之友」にハイネなどの訳詩を発表している。

「あまおとめ」はその一篇である。

すでに・・・人々の心は・・・西洋文化の波に洗われ始めていた。

まもなく、蘇峰は国民新聞の発行を開始し、蘆花はそこで文筆家としての修行を積むことになる。

明治二十七年の日清戦争と明治三十七年の日露戦争に森鴎外は出征する。

その中間にある明治三十三年(1900年)・・・十九世紀最後の年に・・・蘆花は「不如帰」を刊行。

そして・・・三月、国民新聞に「灰燼」を掲載する。

「勝てば官軍負けては賊の名を負わされて、思い出づれば去ぬる二月降り積む雪を落下と蹴散らして麑城(鹿児島県鶴丸城)を出でし一万五千の健児も此処に傷き彼処に死し、果ては四方より狩りたてらるる。怒猪の牙を咬むでここ日州(日向国)永井の一村に立て篭もりしが今は弾尽き、糧尽き、勢い尽きて、大方は白旗をたてける中に、せめて一期の思い出に稲麻竹葦のこの重囲をば見事に蹴破って、我この翁(西郷隆盛)と故山の土にならばやと残る一隊、三百余人、草鞋の紐ひしひしと引き締め、明治十年八月十七日の夜をこめて、月影暗き可愛ケ岳の山路にかかりぬ・・・」

西南戦争に敗れつつあった西郷軍が政府軍の包囲の突破を図り可愛岳からの脱出に成功する。

しかし、物語は中津隊を率いた増田宋太郎の部下である一人の兵士・上田茂の脱落へと転じていく。

可愛岳で山路を転落した茂は・・・消息不明となる。

中津藩上田家は富豪であり、茂は三男坊であった。長男は愚鈍で、次男の猛は乱暴者・・・三男は西郷かぶれの二枚目という設定である。物語は茂を慕う許嫁・園部家の菊(16歳)の悲恋を主軸としている。次男の猛が菊に横恋慕して・・・茂の不在をいいことにゴリ押しで結婚を迫るわけである。

とにかく・・・蘆花は・・・現代にあれば・・・いい昼メロ作家になったと言える。

西郷が自刃して果てた後の十月。やつれ果てた茂が上田家に帰還。

邪な猛は老父母を説得し・・・賊を置いてはお家の危機と・・・茂に自決を迫る。

「西郷さんの戦はろくなもんじゃねえ」というのが主題なのだ。茂の死を知った菊は首を吊り、息子に死を求めた老母は狂を発し、家に火を放つ。三男が西南戦争に参加したばかりに名家は灰燼に帰し、一家は離散となった。

最後はお決まりの茂と菊が比翼塚(情死ものの定番のお墓である)に葬られるところで幕が引かれるのだった。

徳富蘆花が・・・ろくなもんじゃねえことは一目瞭然なのである。それは・・・あれだな・・・お前がただ西郷さんが好きだからだな。

で、『八重の桜・第47回』(NHK総合20131124PM8~)作・山本むつみ、演出・長谷知記を見た。例によってシナリオに沿ったレビューはikasama4様を推奨します。今回は「コレデオシマイ」の明治32年まで生きる現在、六十五歳の枢密顧問官・勝海舟伯爵(明治二十年受爵)の描き下ろしイラスト大公開でお得でございます。山本家、徳富家をつなぐ横井小楠を掘り下げないのは本当にこの大河ドラマのむず痒いところでございますなあ・・・。まあ、有名人だからあえて詳らかに語らない姿勢なのかもしれませんが・・・そういうコネクション的なことをネグっている感じがいたしますねえ。要するに・・・横井との友情で・・・その親戚である徳富兄弟に家を貸し面倒見てやってるわけですからな・・・勝伯爵は。まあ・・・とにかく、勝先生が登場するだけで・・・あ・・・これは大河ドラマだったと思い出せるので凄いとも思います。前回13.7%→今回13.7%と視聴率も安定し・・・いよいよ年の瀬でございますねえ。この大河が去年より5%近くも高視聴率というのが・・・現代の凄いところなんですなあ。来年は蜂須賀小六(ピエール瀧)とか本願寺顕如(眞島秀和)とか石田三成(田中圭)とかちょっとワクワクしますなあ。

Yaeden047 明治21年(1888年)1月、横井みねの遺児・平馬、山本覚馬の養子となる。4月、黑田清隆が第二代内閣総理大臣に就任。伊藤博文は憲法草案審議のための枢密院初代議長となる。天皇の最高諮問機関の発足である。5月、新島襄の心臓病は悪化、余命宣告を受ける。7月、磐梯山が千年ぶりに噴火、死者461名。東京朝日新聞創刊。8月、秋山(弟)在籍中の海軍兵学校が江田島に移転。9月、ロンドンに切り裂きジャック現る。10月、明治宮殿落成。11月、大阪毎日新聞創刊。海軍大学校開校。12月、ゴッホが左耳たぶを切断。明治22年(1889年)1月、象牙海岸をフランスが植民地化。徴兵令が改正され戸主の徴兵猶予が廃止となる。軍費の増大化加速。2月、大日本国憲法、皇室典範、衆議院議員選挙法公布。嘉仁親王(後の大正天皇)が皇太子となる。森有礼文部大臣が国粋主義者によって刺殺される。犯人の西野文太郎はその場で斬殺された。3月、エッフェル塔落成。5月、東京市誕生。7月、東海道線全線開通。10月、大隈重信外務大臣が国粋主義者によって爆弾を投弾され右脚を切断。犯人の来島恒喜はその場で自害。駐米公使となった陸奥宗光がメキシコ合衆国と平等条約を結ぶなど不平等条約改正の動きが高まっていたが、改正内容が外国人判事の任用などの点で不十分とした理由での犯行だった。その背後には伊藤(長州)と黒田清隆(薩摩)の暗闘があったとも推測できる。

一日一往復の東海道線開通で京都と東京は驚くほど近くなった。

帝都東京に降り立った八重と襄は赤坂の勝海舟屋敷に人力車で向かう。

勝は歓迎の用意をして待っていた。

「勝伯爵様、ご機嫌よろしゅうございます」

「よせやい・・・この通りのしもたや住まいだぜ」

「勝様は洋風のお屋敷にはなさらねえのですか」

「なにしろ・・・江戸っ子だからな・・・洋服よりは着流しだし、フローリングより畳だね」

「江戸も今は昔でしょうに・・・」

「だが、今日はすき焼きにしたぜ」

「すき焼きでごぜえますか」

「おう・・・文明開化の匂いがするだろ。肉も食うけどおまんまも食えるって寸法だ。亭主の顔色がでえぶ悪いみたいだから・・・精々栄養とってくんな」

「恐縮です」

「海軍奉行より鍋奉行の方がおいらは性にあってるんだよ」

「いただきます」

「たんと食いなよ・・・埼玉からネギも仕入れたし、豆腐も常套、白滝も常套だ。肉はたんまりあるからよ」

「なるほど・・・文明開化の味がしますねえ」

「だろ・・・」

「しかし、東京は大分物騒だと聞きますが・・・書生も置かずに不用心ではございませぬか」

「なに・・・こちとら・・・刺客に襲われるほどの役にはついてねえからな」

「出馬のお声がかかるでしょうに」

「いやいや・・・華族手当があるからよ。もらうものもらってのんびりして言いたいこと言ってるのが長生きの秘訣だぜ」

しかし・・・実際の勝は枢密院の闇の仕事を仕切る情報局長官である。

「それにしても徳富兄弟が大分お世話になっているようで」

「まあなあ・・・横井小楠の縁者となれば疎かにはできねえよ・・・それにあいつらなかなか使えるぜ」

「そうでごぜえやすか」

「なんといってもこれからは世論がものを言う時代だ。御用新聞の一つも持ってなきゃ情報操作に困るってもんだ」

「しかし、蘇峰の新聞はなかなかに公明正大、中立と思いますが」

「ふふふ・・・襄さん、あんたは相変わらず可愛いことを言うねえ。いかにも中立、いかにも自由主義、いかにも平等主義っていうところがミソじゃねえか」

「・・・」

「庶民の味方でございますって顔して・・・こそこそっとあることないこと吹き込めるから便利なんだぜ」

「勝様、お口が悪い」

「官学だ・・・私学だと言っても所詮はエリート養成所だ・・・まだまだ人材不足だからな・・・この国は」

「・・・」

「そういうわけで・・・篤志家から寄付をつのる・・・ま、魚より釣り人が賢いって相場が決まっているからな・・・相場といえば・・・龍馬の野郎、大分儲けているようじゃねえか」

「資本主義が大好きなうえに・・・鞍馬の山で暇を持て余しているので科学忍者隊にいたるところで相場をはらしているそうです」

「まったく・・・そんなに儲けても使い道に困るだろうに」

「勝様こそ・・・いたるところに土地を買いまくってるそうでこぜえますな」

「そりゃ、唯一の趣味だからよ・・・俺は値上がりする土地を見抜くことにかけちゃ、日本一を狙ってんだ」

「それで・・・よく標的にされないものでごぜえますな」

「そりゃ・・・蛇の道はなんとやらで・・・偽名やら架空口座で使いまくってるからな・・・」

「悪党でごぜえますなあ」

「ま、一応、別宅に書生も飼ってるから・・・いざとなったら責任おしつけてしめえだ」

「勝様・・・」

「とにかく・・・西南戦争までは・・・不平武士の始末・・・それからこっちはあぶれた農民のあれやこれやだ・・・富国強兵の道は険しいからな・・・いざとなったら頼れるのは金と土地さあ」

「しかし・・・不平の残る者たちを宥めすかさねばならねえでしょう」

「そうさ・・・文明開化ともなればテロルも刃傷沙汰とは限らねえからな・・・爆裂弾なんてえものもありやがる・・・そういうものを管理するのはなかなか大変だ・・・なにしろ・・・知識には鍵がかけられねえものなあ・・・」

「だからこそ・・・広い視野でものを見る若者を作ることが急務なのです」

「うん、それはその通りだ・・・なにしろ・・・愛国者を作るのが一番だからな・・・藩閥政治なんてものも・・・国を憂う気持ちが育てば木っ端微塵さ」

「そんな・・・世が来るのでしょうか」

「まあ・・・いつかはな・・・これから国のために血を流す若者がたんと出て・・・その流した血が日本という国をそだてるのさ・・・」

「おそろしゅうごぜえやすな」

「おそろしいさね・・・歴史ってのは・・・流血の大河なんだから・・・」

関連するキッドのブログ→第46話のレビュー

坂の上の雲の頃

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