ありがとなしでごぜえやす(綾瀬はるか)
この物語はテロリストの物語である。
山本/新島八重は・・・男装した女兵士だったが・・・実態は新政府軍に対する女テロリストだったと言える。
この物語はもちろん現代にシンクロする。
物語はもはや・・・現代に突入していると言えるだろう。
おおまかにいえば・・・戊辰戦争は第二次世界大戦の暗喩である。
江戸時代は戦前であり・・・明治時代は戦後なのである。
現代に生きる我々は・・・「八重の世界」の戦後がまもなく終わることを知っている。
そのことは・・・我々が実感できない・・・今がもはや戦前の時代であることを示しているのだ。
戊辰戦争は実質、西南戦争へと続く長期戦である。
西南戦争の終焉した明治十年から・・・日清戦争の始る明治二十七年まで・・・つかのまのほぼ平和を八重は生きる。
それは・・・我々が・・・そんなことは起りえないと半ば信じている新日中戦争の戦前に身を置くことに実に似ているのである。
戦争の世紀と言われた二十世紀を目前に控えた世紀末の時代である。
遅れて植民地支配に目覚めつつあった大陸の古き国家は・・・南の利権を西洋列強に奪われ、北にロシアという圧力を感じながら・・・東の半島の権益を死守しようとする。
そのために・・・当時、最強の軍艦を保持し・・・東の列島に圧力を加え始める。
漸く・・・目覚めたばかりの列島の帝國は・・・死に物狂いの抵抗を開始する。
この・・・驚くばかりの相似性。
戊辰/西南戦争と日清戦争の間のつかのまの平和と・・・第二次世界大戦と・・・来るべき新日中戦争の中間かもしれない現代は・・・シンクロしているのである。
もちろん・・・これは妄想であるから・・・一種の馬鹿馬鹿しさを伴っている。
なにしろ・・・現代の大陸国家は・・・まぎれもなく核保有国である。それに対して列島の国家はただ核の傘下にある超巨大国家の一同盟国に過ぎない。
両者が激突することは・・・まずありえない。
しかし・・・「八重の桜」が戦争の存在を否定すればするほど・・・平和の尊さを謳えば謳うほど・・・避けられぬ宿命が存在することの恐怖を感じる今日この頃なのだった。
テロリストだった八重こそが・・・実際には平和が束の間のものであることを切実に感じていたような気がしてならないのである。
で、『八重の桜・第48回』(NHK総合20131201PM8~)作・山本むつみ、演出・加藤拓を見た。例によってシナリオに沿ったレビューはikasama4様を推奨します。今回は・・・戊辰戦争の戦後をたくましく生き抜いてきた戦争未亡人の山本佐久(81)と男装のテロリスト・新島八重(45)母娘描き下ろしイラスト大公開でお得でございます。母はついに戦後が終るまで生き・・・娘は従軍看護婦として日清戦争に参戦する。まさに・・・それが現実であることが歴史の面白さでございますねえ。まあ・・・吹けば飛ぶような悪魔の妄想では右にしろ、左にしろ拡声器を使った騒音は安眠を妨害するテロ行為であることは間違いないわけですが・・・政治家は絶対それを言ってはいけないと思うのですな。街頭演説できなくなりますから。しかし・・・バカは死ななきゃなおらないんですねえ。まあ・・・しょうがないなあ。人間だもの・・・暮れも押し迫ってまいりました。
明治22年(1989年)10月、大隈重信外務大臣が国粋主義者によって爆弾を投弾され右脚を切断。黒田内閣総辞職。11月、嘉仁親王が立太子礼を行う。東京湾汽船(東海汽船)設立。歌舞伎座開場。12月、第一次山縣内閣成立。明治23年(1890年)1月。新島襄、神奈川県大磯にて満46歳で病死。最後の言葉は「狼狽するなかれ、グッドバイ、また会わん」であったと言う。八重が看取ったのはフィクションである。看護にあたったのは後の京都大学病院の看護婦長となった北里ユウであった。2月、新島襄の臨終にたちあった弟子の一人、徳富蘇峰が国民新聞(東京新聞)を創刊。4月、小泉八雲来日。琵琶湖疏水開通。5月、東京音楽学校開校。6月、第1回貴族院議員選挙。元越前藩藩主・松平春嶽死去。7月、第1回衆議院議員総選挙。ゴッホが猟銃自殺。8月、米国で電気椅子による死刑の執行が始る。9月、板垣退助、大井憲太郎、中江兆民らによって立憲自由党が結成される。オスマン帝國軍艦が和歌山県沖で遭難。日本海軍のコルベット艦「比叡」と「金剛」が支援にあたり、生存者をイスタンブールに輸送。この航海には秋山真之が乗船していた。10月、刑事訴訟法公布。元老院廃止される。11月、帝國ホテル開業。第1回帝國議会開院式。凌雲閣(浅草十二階)開業。
八重は師走の東京に出ていた。
上京した新島襄からの「当方無事」の便りが途絶え、消息不明になっていたからである。
「先生は東海道線で桑山と川島の弟子二名をお伴に先週、京都に戻ったはずです」
赤坂榎坂の民友社で同志社女学校卒業生の湯浅初子が甘酒を温めながら言う。
初子は徳富蘇峰・蘆花兄弟の姉で、新島襄の故郷、安中の実業家の後妻となり、夫婦で民友社を支援している。
「猪一郎(蘇峰)が新橋駅までお見送りしました」
初子は最近、東京で流行っている長州訛りを軸とした国語を話している。
「だども、音沙汰がないのでごせえやす」
「桑山と川島は・・・」
「二人とも襄と一緒に行方知らずになったでがんす」
「あらまあ・・・先生はお身体の具合も芳しくないのに・・・」
その時、ベルの音が鳴った。
「なんだべ」
「テレホンです」
「ああ・・・電気通信機か・・・」
「国語では電話と称することに決まったようです」
「でんわ・・・」
「もうす・・・もうす・・・こちらは民友社でございます・・・はあ、勝先生・・・はあ、いらしております・・・かしこまりました」
初子は受話器を戻すと八重を振り返った。
「このテレホンは勝海舟先生のお宅と通じているのです。先生が奥様にお話があるそうです・・・」
「私に・・・」
八重は人力車で赤坂氷川にある勝屋敷に向かう。
勝は大男を一人連れ、門前で待っていた。せっかちな性格なのである。
「お、待ってたよ・・・八重さん」
「こちらの方は・・・」
「おう・・・この人は警視庁の元巡査で山田二朗吉ってえ、直心影流の使い手だ。榊原の弟子でおいらからみると孫弟子みてえなもんだよ」
「お初にお目にかかります」と二十代半ばほどの大男は上総訛りで挨拶した。
「とにかく・・・馬車で送るから新橋駅まで行こう。話は道すがらだ」
「・・・」
わけもわからず勝家の馬車に揺られる八重。
「何事でごぜえますか」
「おたくの亭主のことさ・・・」
「襄はどこにいるのです」
「それがどうもかどわかされたみてえなんだ」
「そんな・・・女子供ではあるまいし・・・」
「相手は・・・蝦夷から流れて来た闇のものらしい・・・」
「まさか・・・」
「相模の国の海岸で・・・変死体が発見されたのです」と山田が事情を説明する。
神奈川県大磯に滞在していたドイツ人医師・ベルツが検死したところ・・・死因は失血死であった。その死に不審を感じたベルツは剣術の師範であった榊原に電報を打ち、榊原の要請で勝が科学忍者隊を派遣したのである。ほどなく、死体は吸血鬼としての蘇生を開始し、急遽、焼却処分の運びとなった。その死体の身元が新島襄の弟子の一人、川島であることが判明したのだった。
「実は、山田は科学忍者なのさ」
「・・・」
「で・・・善後策を協議するために報告に戻って来たところ・・・八重さんが上京してきたってえんで、ご足労願ったわけよ・・・どうでえ・・・山田と大磯に同行してもらえねえか」
「こちらからお願いしてえくれえでがんす」
「向こうには山田の部下も残してあるが・・・八重さん・・・武器はあるのかい」
「持参してごぜえやす」
「さすがだねえ・・・おい、山田、この人を甘くみちゃいけねえぜ」
「拙者も免許皆伝の身ならば・・・奥方さまの並々ならぬ身のこなしに感じ入っております」
「そうかい・・・うん、お前さんもさすがだよ」
夕刻、二人は大磯の街にたどり着いていた。
そこに渡世人風の男が近づいてきた。
「おう・・・政吉か・・・」
「山田の旦那・・・新島様の宿が分りやした。宿場から外れた馬久田屋という和洋折衷のホテルですぜ」
「そうか・・・」
「それから・・・もう一人のお弟子の桑山の死体も出ました。こっちは・・・なりそこなってそのまま仏になったみてえでやす」
「むごいな・・・」
「吸血した相手をそのまま遺棄するところをみますと・・・かなりヤクザな闇のもののようでごぜえますな・・・」
「噂では・・・ホテルには西洋人の一行が宿泊しているようでございやす」
「噂とは・・・」
「なんでも・・・近在のものは・・・ホテルには近づかないそうです」
「もしかすると・・・この吸血鬼は蝦夷のものではなくて・・・新たに渡来したものかもしれませんな・・・」
「私もそう思うだなし。まるで人間を人間と思ってねえみたいだ・・・」
「一日に一人となると・・・」
「襄があぶねえ・・・急ぐべ」
八重は黄昏迫る街道を西に向かった。
(まったく・・・あの人は・・・こっだなところで道草食うから・・・ろくなことになんねえ・・・)
八重は襄の面影を胸に宿す。
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