官兵衛曰く、モ、モー子?(岡田准一)ぶっさん?(酒井若菜)おとんぼ櫛橋光まは(中谷美紀)
・・・ここまでの格調はどうしたっ。
いや・・・今回はどうにもこうにも「木更津キャッツアイ」でございますので。
久しぶりだにゃあ・・・と言う他はないのでございます。
「木更津キャッッアイ」(2002年)から一回り(12年)かあ・・・。
21世紀もすでに1/10以上が過ぎ去ったんだな。
「池袋ウエストゲートパーク」に始り映画シリーズや「マンハッタンラブストーリー」、そして「舞妓Haaaan!!!」にもいた貴重なクドカン女優なのに「あまちゃん」にはお呼ばれしなかったんだなあ。
やはり・・・モー子はモー子なんだもんなあ。
天才の悲しい宿命だよな。
あまりにもインパクトがありすぎるという。
中谷美紀の光は王道だが・・・酒井若菜の光の方がきっとすごい作品になったと思うよ。
ま・・・このチームはそういう所は明らかに目指してないけどね~。
物凄く「天地人」クオリティーの匂いがするよね~。
で、『軍師官兵衛・第4回』(NHK総合20140126PM8~)脚本・前川洋一、演出・本木一博を見た。例によってシナリオに沿ったレビューはikasama4様を推奨します。今回は黒田官兵衛の父にして小寺兵庫助職隆改め黒田美濃守入道(柴田恭兵)の描き下ろしイラスト大公開でお得でございます。日増しに強まる母と子の大河ドラマクオリティー。嫌な予感に満ち溢れてますな~。しかし、まあ、たまにはとんでも大河も一興でございまする。「天地人」もそれなりに妄想膨らみましたし~。東の織田信長はともかく・・・西の毛利元就は元亀2年(1571年)の死亡待ちの勢いでございますな。キャスティングなしかもですな~。官兵衛の織田贔屓、播磨衆の毛利贔屓くらいの対比を見せてもいいのに・・・でございますけれど~。光の完成が待ち遠しい今日この頃ですがあくまでマイペースでお願いします。お風邪をこじらせませんように・・・。
永禄8年(1565年)、室町幕府第13代将軍・足利義輝が殺害され、弟・義秋(義昭)は流浪の身となる。反逆者・松永久秀の追及を逃れ、近江、若狭、越前と京都周辺を彷徨する将軍家だった。一方、永禄9年(1566年)毛利元就は宿敵である出雲の尼子義久を降伏させ中国地方八カ国を支配する戦国大名となった。宗家を滅亡させた浦上宗景は備前国の支配を確立し戦国大名となる。小寺家と浦上宗家の同盟が消滅した播磨国では小大名が割拠する分裂状態が続いていた。いずれも守護大名赤松家の庶流を名乗る西の龍野城主・赤松政秀、東の三木城主・別所安治、両者に挟まれた御着城主・小寺政職が睨み合う状態が続く。上洛を望む足利義秋は各地に書状を送るがそれに応じるものはなかった。小寺政職は地縁血縁を固めるために4支城の志方城主・櫛橋家(赤松庶流)の娘・光と姫路城主嫡男・小寺官兵衛の縁組を命ずる。永禄10年(1567年)、小寺兵庫助職隆が隠居し、小寺官兵衛孝高が跡目を継承する。その頃、尾張の国主・織田信長はついに美濃攻略に成功。稲葉山城を岐阜城と改め、天下布武を宣言する。三河の松平元康、北近江の浅井長政と軍事同盟を結んだ信長は伊勢国侵攻を開始し、伊勢国北部を制圧する。将軍家直臣の細川藤孝と織田家家臣の明智光秀の画策により、流浪の足利義昭は織田家に迎え入れられる。将軍を弑した三好三人衆と決裂した松永久秀は東大寺を焼失させた。永禄11年(1568年)、織田信長は上洛戦の準備を完了する。
姫路城主となった官兵衛は人質の身分から解放された。御着城へは父・職隆が側室の神吉氏に生ませた七歳の弟・甚吉(利則)が送られている。
七歳年下の正室・櫛橋光は十四歳で嫁ぎ、十五歳で嫡男・松寿丸(後の黒田長政)を出産することになる。
二十二歳となった官兵衛の精力は旺盛である。幼妻をしたたかに犯した後で、夜の野に出る。
姫路城は小高い丘の上に建ち、周囲は林を擁している。
亡き黒田重隆、職隆、官兵衛と三代に渡って造営を重ねた姫路城は城塞としての備えを向上させている。
城内の林の中の忍び小屋では・・・父・職隆が家督継承のために黒田家の口伝を語ったりもした。
「黒田家は義の家である・・・」と職隆は厳かに言った。
「先祖は北近江の黒田庄に発する近江源氏佐々木氏の一族であった。十一代将軍足利義澄公の御世、前将軍足利義稙公との家督争いが生じ、京を追われた義澄公は近江守護・六角高頼を頼られた。六角家の郎党であった我が祖父、黒田高政は義澄公の元へ馳せ参じたが・・・主君、六角高頼が義澄公を裏切る事態とあいなった。船岡山での合戦で先方を務めたわが祖父は主君・六角高頼が義澄公を毒殺したことを知り、戦場を捨てたのだ。世は再び、足利義稙将軍の御世となり、我が祖父は備前へと落ち延びたのである。守護・赤松家が義澄方だったからである。以来、将軍家は義晴公、義輝公と移ったが・・・黒田家は備前福岡より、播磨姫路へと流れ、兵を養ってきた。それすべて・・・将軍家にご奉公するためである・・・しかし・・・もはや・・・」と職隆は言葉を失った。
「将軍家は空位でございますな・・・」
「もはや・・・主君・小寺家にも恩も義理もある我が家である。黒田家の主としてその恩も返さねばならぬ・・・しかし、我が祖父の志は忘れぬことだ」
「その義・・・受けたまわりましてございます」
「うむ・・・官兵衛・・・励め」
忍び小屋への道筋・・・官兵衛は隠居した父の言葉を思いかえした。
(しかし・・・今は・・・播磨半国も持たぬ小大名の家来だ・・・将軍家への奉公など夢のまた夢だ)
そう思いつつ官兵衛は忍び小屋に入った。
中には広峰衆のくのいちが一人、官兵衛を待っている。
面影が赤松政秀に攻め殺されたおたつに似ている・・・おうまはおたつの妹の一人だった。
広峰神社の一族は半島渡来系の一族である。牛頭天王という邪神を崇拝し、蘇(チーズの一種)を作る技術を古より伝えている。同時に、スサノオ信仰を列島に広めつつ、独自の諜報網を形成した忍びの一族でもある。
黒田悪党と呼ばれる黒田のしのびとは古くからのつながりがあるが・・・官兵衛の祖父・重隆は広峰の一族・伊吹氏と提携し・・・特別のつながりを持ったのだった。
おうまはおたつと同様に・・・官兵衛に渡りの忍者である広峰神人たちが集めた諸国の情報を集約して伝える任を追っている。
しかし・・・同時に官兵衛の忍び妾も務めているのだった。
官兵衛は無言で下半身を露わにする。
おうまは心得て官兵衛の陽根に手を伸ばすのだった。
正室に存分に精を放った後だというのに・・・たちまち屹立する官兵衛の一物だった。
おうまはおたつ以上のくのいちの妙手だったのだ。
やがて・・・濃密なひとときを過ごした官兵衛はようやく寝物語をする気分になった。
「上方の様子から・・・聞こうか・・・」
「京の都の戦は大和国にうつった模様でございます・・・大和の松永久秀は東大寺大仏殿にて三好三人衆と争い・・・将軍・義栄擁立の動きを見せております」
「義栄様は義澄公の忘れ形見義維様の嫡男か・・・弑られた義輝公の従兄弟にあたるお方だな・・・」
「義秋様が将軍に名乗りをあげますれば・・・従兄弟同志の争いとなります」
「どちらにお味方しても義は立たぬということだ・・・」
「義秋様は越前・朝倉を見限り、織田家を頼るそうです」
「織田家か・・・」
「織田信長は・・・直轄地の尾張・美濃に三河の松平、北近江の浅井、伊勢の北畠を合わせた兵五万人を動員し・・・松永家に味方する南近江の六角家に攻め入る気配・・・」
「五万・・・」
敵味方を合わせても千人を越える戦を見たことのない官兵衛にとって・・・それは途方もない兵力だった。官兵衛の心は痺れた。
「・・・」
無言の時を経て、気を静めた官兵衛はおうまをそくす。
「毛利はどうだ」
「山陰の吉川家は尼子の属領をゆっくりと東に浸食しております。山陽の小早川家は・・・備前の浦川家に手を焼いている模様です」
「毛利が足利将軍家に関わる動向はないのか」
「毛利家では中央に関わるのは時期尚早の声が高いようです」
「であろうな・・・」
大内家を・・・次に尼子家を滅ぼした毛利家だが・・・その戦は陰湿である。
合戦で決着をつけるというよりも・・・調略こそがその信条と言える。
武力を背景に旗色を変えさせるのが毛利家の戦だった。
(やはり・・・合戦となれば織田家か・・・)
永禄三年の桶狭間の合戦以来・・・耳に飛び込む織田信長の噂は煌びやかさに満ちていた。
(織田信長の上洛のいくさが・・・見てみたい)
官兵衛の胸に熱い思いが噴き出すのだった。
永禄十一年の夏の熱気が姫路城の忍び小屋に籠っていた。
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