孫子・火攻篇に曰く、將不可以慍而致戰・・・と小寺兵庫助職隆(柴田恭兵)
前述の如く、「孫子」は「武経七書」の一である。
「火攻篇」は全十三篇中の十二篇目とも十三篇目とも言われる。
「火攻篇」は主に火攻めという特殊な戦術について語るものだが・・・火という加減の難しいものを用いることによって敵に壊滅的打撃を与えてしまうことから・・・その実行について慎重であるべきだという補足説明がある。
つまり・・・相手に必要以上の打撃を与えてしまうことの不利を戒めるのである。
「將不可以慍而致戰」(将軍は恨みをもって戦いをいたすべからず)は次のような文脈で語られます。
「君主が怒りにまかせて戦を命じたり、将軍が恨みをもって戦をはじめてはならない。戦をすることに利があれば戦をするべきで不利ならば怒りや恨みによって戦をするべきではない」
前回も述べたように「孫子」の基本は「勝てる戦しかしない」ということです。
ここでは利のない戦をはじめてしまう要因となる「一時的な感情」の愚を指摘します。
「怒りなどという感情は時がたてば喜びに変わることもあり、恨みなどという感情も時とともに和らぐことがある。しかし、敗戦によって国が滅んでしまえばとりかえしがつかない。また焦土と化した敵国には利用価値がない。また、敗戦によって命を失えば生きかえることはできない。また敵国民を全滅させてしまえば奴隷にすることができない。だから名君は利のない火攻めを命じることはなく、良将は利のない火攻めを行わない。これが国土を保全し、軍を保守する基本である」
つまり・・・「核兵器」を使用しないで「抑止力」にとどめるべきことを・・・孫子は二千五百年前に提言しているのです。
同盟相手を殲滅されたからといってただちに報復を開始するのではなく・・・彼我の戦力を分析し、勝てない戦をするべきではないという単純明快な教えを・・・父は子に伝えているわけです。
まあ・・・戦国時代なので自重してばかりだと・・・滅亡する場合もあるわけですが。
で、『軍師官兵衛・第3回』(NHK総合20140119PM8~)脚本・前川洋一、演出・田中健二 を見た。例によってシナリオに沿ったレビューはikasama4様を推奨します。今回はついに尾張一国を統一し、美濃攻略を開始するものの意外と手間取るので兄ちゃん困っちゃう的な成り上がり戦国大名・織田信長(江口洋介)の描き下ろしイラスト大公開でお得でございます。次男偏愛の生母・土田御前(大谷直子)に呪われ、父の仇をせがむ正妻・お濃(内田有紀)をもてあます展開。この配役だと・・・本能寺の変でお濃が薙刀ふるって奮闘しそうで戦慄を感じる今日この頃でございますねえ。生駒吉乃とかお鍋の方とかスルーだったら一同爆笑でございます。・・・男のロマンが冬の時代ですな。
永禄7年(1564年)1月11日、同盟の証として小寺(黒田)職隆の娘・たつ(南沢奈央)は室津城主の浦上政宗の次男・浦上清宗に嫁ぐ。浦上政宗は赤松家筆頭家老の家柄で名目上の備前の守護代である。しかし、下剋上の習いによって備前では弟・浦上宗景が実権を握っている。浦上政宗は水上交通の要衝とはいえ根拠地・室津城周辺をおさめる小勢力となっている。名目上の播磨守護である赤松宗家の当主・晴政は下剋上の習いによって嫡子・義祐と折り合いがつかず、居城の置塩城を追い出され、娘婿である庶流の龍野赤松政秀(団時朗)に保護されている。すでに東播磨の実権は赤松庶流である守護代・別所安治が握っている。職隆の主君である赤松庶流の小寺政職(片岡鶴太郎)は西播磨の実権を握るために置塩城の嫡子・義祐に接近したことは言うまでもない。ここで・・・父・赤松宗家晴政と龍野城主赤松政秀、嫡子・義祐と御着城主・小寺政職という対立の図式が鮮明となる。小寺家家老の職隆と浦上家の縁組はその延長線上にある。これを理解するのは大変ですが・・・そういうことなのです。とにかく、宗家父子、庶流、家老、重臣の利害関係が入り乱れているのが戦国播磨の実態なのだから・・・。
御着城の官兵衛(岡田准一)は城内の居室で配下のものと密談をしていた。
人質とはいえ姫路城主の嫡子である官兵衛には従者が許されている。
譜代の家来である母里武兵衛(永井大)と別所家来衆の一族でありながら官兵衛を慕って家来となった栗山四郎善助(濱田岳)である。武兵衛の父、小兵衛はすでに戦死し、その未亡人が官兵衛の父の側室になっているために官兵衛と武兵衛は一種の義兄弟である。
もちろん、若き未亡人は後妻であるために武兵衛と血のつながりはない。
ちなみに未亡人は後に黒田直之となる官兵衛の弟を胎内に宿している。
戦国時代なのである。
そういう戦国時代の習いとして・・・浦上に嫁いだおたつの身が案じられる十八歳の官兵衛だった。
「何をそんなに案じられるのです」と付き合いの長い武兵衛が官兵衛の鬱屈を察して言う。
「祝言のことよ・・・胸騒ぎがしてならぬ」
「しかし・・・威勢衰えたりと言えども・・・室津の城は浦上の本拠・・・大事ございませぬでしょう。おたつ様には大殿・重隆様の選りすぐりの警護衆がついておりますし・・・龍野城の軍勢では攻めきれますまい・・・」
「合戦に絶対などはない」
「もし・・・危機があるとすれば・・・」と知恵者の善助が口を挟む。「意外な援軍というものが・・・龍野にあった場合でございますな・・・」
「援軍・・・」
「そのようなものがあれば・・・龍野は姫路を攻めるであろう」と新参者に反駁する武兵衛。
「援軍か・・・」
黒田勢に警護された花嫁行列が室津に到着した頃・・・。
北の龍野城ではさかんに狼煙があがり・・・軍馬が足並みをそろえていた。
「出陣じゃ」
龍野赤松軍はうって出る。
「逆臣浦上と・・・小寺の家老の縁組などもっての他じゃ・・・血祭りにあげてくれる」
城主・赤松政秀は吠えた。
祝言の席についた官兵衛の祖父・黒田重隆はぬかりなく物見のしのびを周辺に放っている。
「殿・・・龍野勢が出陣との知らせでございます」
「なんと・・・無粋な・・・」
諜報は浦上の側にも届いたらしく・・・祝いの準備に乱れが生じている。
その時、城内に火矢が届いた。
「おや・・・」
「敵襲じゃ・・・」
「早いではないか・・・」
「室津の港に・・・水軍衆が現れました・・・」
「なんと・・・」
赤松家は伊瀬の北畠家と同じ・・・村上源氏である。当然の如く・・・瀬戸内を支配する海賊衆の村上水軍とは縁がある。
しかし・・・海という独自の勢力圏を持つ村上水軍は西播磨の勢力争いには一歩距離を置いていたのだった。
だが・・・下剋上なのである。
「ぬかった・・・宗家の晴政様が・・・水軍を買いおったか」
室津城の各所で火の手があがり・・・祝言に集まった武士たちに動揺か広がる。
南側の海辺と・・・北側の平地から・・・敵は一挙に室津城に襲いかかったのだ。
おたつは白無垢のまま、忍び刀を抜いていた。
気がつけば乱戦である。
「それ・・・火をかけろ・・・お宝も女も分捕り放題じゃ・・・」
声を上げるのは能島水軍の長・武慶だった。
不意をつかれた城兵はなすすべもなく鬼のような海賊衆の火攻めの餌食となる。
殺到する敵によっておたつと重隆の周囲を囲んだ徒衆も一人また一人と倒される。
その時・・・銃声が響いた。
「鉄砲か・・・」
重隆はふりむいた・・・血しぶきをあげておたつが倒れ伏すのが目にはいる・・・。
「もはや・・・これまでじゃ・・・」
「大殿・・・」
「逃げるぞ・・・」
しかし・・・逃げ場はなかった。
「無念じゃ」
城内は阿鼻叫喚に包まれる。
浦上家は父子が討ち死にし・・・おたつの警護についた黒田家の生存者も一人もなかった。
室津城は猛火に包まれ・・・落ちた。
龍野は室津を勢力下に収め・・・小寺家は守勢に追い込まれたのである。
父親と・・・娘を同時に失い・・・浦上家という同盟相手を失った小寺職隆は絶句した。
官兵衛の胸騒ぎは現実のものとなったのだった。
「どこかで・・・誰かが暗い笑みを浮かべている・・・」
官兵衛は恐ろしい策士の存在を感じていた。
その頃・・・備前国天神山城では・・・忍びの報告を無表情に宇喜多直家が聞いていた。
忍びが去った後も・・・直家の顔にはどんな変化もなかった。
結果的に・・・直家の仕える備前浦上家は・・・戦国大名として独立したのである。
下剋上の習いだった。
その年の二月。美濃国稲葉山城では家来の竹中半兵衛が・・・城を占拠するという珍事が発生した。
話を聞いた実質的な尾張の国主・織田信長は・・・「懐の中の戦など・・・たわいもないことだがや」と呟いたという。
あくる永禄八年五月・・・。三好三人衆と大和国の松永久秀たちが共謀して二条城を襲撃、室町幕府第13代将軍・足利義輝を殺害する。
下剋上が極まった瞬間である。
十月・・・実質的な甲斐国主・武田信玄は嫡男・義信を謀反の疑いで討った。
親が子を討ち、子が親を討つ。家来が主君の寝首を搔く。
もはや・・・三千世界には義理も人情もないのである。
官兵衛はそういう世界で二十歳となった。
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