君(多部未華子)と僕が抱き合った時間(三浦春馬)
すっかり・・・忘れていたのだが・・・(金)「夜のせんせい」があるのだった。
もう・・・レビュー枠がないんだよなあ。
「戦力外」と「ショコラ」と「せんせい」で迷うのだなあ。
女子高サッカーをだらだらと見るように・・・五輪もだらだらと見たいしなあ。
年末年始のいろいろなものもかなり処理しきれてないしなあ。
結局・・・加齢なんだな。
そこそこ眠らないと頭が働かないしな。
いや・・・もう・・・寝てもかなりボケてる感じだぞ・・・。
迫りくるよな。
うん・・・迫りくるよ。
で、『僕のいた時間・第2回』(フジテレビ20140115PM10~)脚本・橋部敦子、演出・葉山裕記を見た。人がどんなに努力をしてもほとんどの人間が百年後にはいない。人間は基本的にはそのことを意識せずに生きるが・・・無意識的にはそれを理解している。時に恐怖はその深層心理から浮上する。それは人格の消極性を形成する要因である。恐怖に向き合うことは実は非常にポジティブなことなのである。だから・・・「死」にまつわるフィクションは絶え間なく生み出される。「どうしようもなくやがて自分が死ぬこと」・・・それを認識しなければ越えられない壁は確実に存在するからである。
春が来て・・・僕は正社員として働き始める。
弟は無事に医大に合格したようだ。
医者を目指していた頃の僕は・・・父や母に愛されていたのだろうか。
家具屋になった僕を父や母は愛してくれているのだろうか。
それはよくわからない。
しかし・・・父や母にとって弟が僕より価値があることは間違いないだろう。
そして・・・そこには偏った愛情のようなものがあるような気がする。
弟はきっとそれに気がついているだろう。
弟は惧れている・・・自分が僕のように・・・価値のない存在になることを・・・。
そうならないために・・・弟は僕と言う存在そのものを否定するしかないのだろう。
兄として僕を愛するよりも・・・不良品として僕に接する必要があるのだ。
それは仕方のないことなのかもしれない。
では・・・僕はどうなのだろう・・・。
そんな弟を兄として愛しているのだろうか。
弟は僕の部屋に居候しているのか・・・それとも僕が弟の部屋の居候なのか・・・。
二人の間には微妙なバランスがあるようだ。
僕は・・・君や君の友達・・・僕の友達を部屋に招くことに何の気兼ねもいらないと思っていたのだが・・・弟にとって・・・それは気障りなことだったのかもしれない。
もちろん・・・僕自身はそんなことには気がつかないフリをしていた。
先輩のアルバイト社員の棘のある言葉にいら立ちを感じた僕は・・・せっかく二人きりになった君と喧嘩をしてしまう。
君が就職浪人で・・・アルバイト社員として新人の正社員に苦言を呈していること。
そういう奇妙なめぐり合わせが・・・穏やかな日々にさざ波を立てる。
でも・・・そんなことものどかな春の海みたいなものだったんだ。
だって・・・僕は君が好きだったし・・・君は僕が好きだった。
雨の日に再会した僕たちはたちまち・・・仲直りしたし・・・相合傘もしたし・・・公園でキスもしたし、ベッドで抱き合って、お互いの感じるままに愛しあったりした。
あの朝・・・二人は結ばれた。
弟は・・・自分の部屋でなにやってんだという顔をしていたが・・・僕はすこし優越感にひたっていた。
だってそうだろう。
僕が愛し合っている時に・・・。
弟は誰にも愛されてはいなかったんだ。
だけど・・・そんなことで優越感を感じたことは問題じゃない。
僕には君がいる。
君がいるだけですごく幸せだ。
それは先輩と一緒に遊んでいる幸せを上回る。
ひょっとしたら・・・先輩も君のこと好きなのかもしれない。
いや・・・もしかしたら・・・先輩は僕のことが好きなのかもしれない。
でも・・・そんなことはどうでもいい。
僕は君が好きで、君は僕が好き・・・そして二人は愛し合っている。
そうさ・・・たとえ・・・シャワーを浴びている時に・・・妙に腕があがりにくくなっていると感じても・・・それは些細なことなんじゃないか。
壜のフタがあけられなくても・・・死ぬわけじゃないんだし・・・。
ただ・・・少し・・・不安なだけ。
でも・・・人が生きていくって不安を感じるってことだろう。
そして・・・家具屋になれば家具が売れるかどうかが不安になるし・・・売れたらすごく幸せな気持ちになる。
だって・・・世界には春の風が吹いているのだから。
関連するキッドのブログ→第1話のレビュー
| 固定リンク
コメント