君(多部未華子)が僕の嘘に気がついた時間(三浦春馬)
人は人に優しい社会を目指し、その実現に務めて来た。
これに異を唱える人はいないだろう。
それは突き詰めて言えば自分が他人に優しいということである。
そのためには「想像力」が重要な要素となる。
他人の苦しみを理解する想像力。
他人の苦しみを自分に置き換える想像力。
他人の苦しみを和らげるための行為についての想像力。
他人の苦しみを和らげることが社会全体を利すると考える想像力。
他人の苦しみを和らげるために援助が自分を豊かにするという想像力。
想像力につぐ想像力が求められる。
しかし・・・他人の苦しみを理解できない人は多い。
他人の苦しみよりも自分の苦しみの方が大きく感じられることも多々ある。
あるいは・・・他人の苦しみを喜ぶ人も少なくない。
人と人はそういう世界に生きている。
で、『僕のいた時間・第6回』(フジテレビ20140212PM10~)脚本・橋部敦子、演出・葉山裕記を見た。人生は一瞬先が闇である。それは時間というものの性質によって規定されている。どんなに健康でどんなに賢くどんなに優れた人も・・・明日、不健康で、愚かで、劣った人になる可能性はある。人はその可能性を見出すだけで、不幸な境遇にある人、不自由な生活を送る人、悲惨な運命にある人に手を差し伸べずにはいられない生き物である。同情も共感も激励も感謝も尊敬も人が持つ心の機能に過ぎない。身体の不自由な人を見過ごさずにいられないのは・・・精神の不自由さを示しているという考え方もあるが・・・不自由であることが悪とは限らないのである。
僕は恵まれていると思う。
僕の両親は裕福だ・・・。僕が筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症すれば・・・国家の支援のおよばないところも補ってくれる。住居のバリアフリー化・・・。消費税はつかないが30万円から300万円を超えるものもある電動車椅子も高性能モデルを購入してくれる。もちろん、僕は多くは望まない。僕は自立した社会人なのだから。
でも・・・僕は嘘つきなんだ。
僕は友人にも恵まれている。車椅子生活になった僕と昔と同じようにつきあってくれる。
変わらぬ友情というものが変わって行く僕を支える。僕がまもなく消えていくことを前提に・・・やがて消えていく友情を大切にしてくれる人がこの世に何人いるだろう。しかも・・・水島守(風間俊介)は童貞で・・・村山陽菜(山本美月)の下僕だという不幸な境遇にあるにも関わらずだ。
まあ・・・不幸だからこそ、僕の不幸に共感してくれるのかもしれないが。
だから・・・僕は守の友情に感謝しつつ、明るい笑顔を向け、軽口を交わし合い・・・友情を温め続ける。
でも、僕は嘘つきなんだけどね。
僕は社会にも会社にも恵まれていると言えるだろう。
障害者の雇用を企業に課す社会。
そして・・・それに応える我が社。
「宮前家具」のアルバイト店員の宮下さん(近藤公園)はすっかり僕のお世話係である。
もう僕は宮下さんの嫉妬の対象ではなくなってしまったしね。
僕は身体の自由を失う度に職種チェンジしてきた。肉体作業ができなくなれぱデスクワークに。デスクワークも筆記用具が使えなくなればマウスを使う仕事に。コンピューター万歳だ。そして僕の不自由さに会社は対応してくれた。
「会社にとってお荷物じゃないか」と父親(小市慢太郎)は言うかもしれないが・・・父さん、そういうことも含めてあるべき企業の時代になったんだよ・・・今はね。
でも、もちろん、僕はずっと嘘をついているんだ。
僕は隣人にも恵まれている。
家庭教師をしていた頃、小学五年生だった桑島すみれちゃん(浜辺美波)も中学生だ。すっかり女の子らしくなってきた。もしも僕が変態だったら犯罪を犯しかねないほど美少女だが・・・もちろん僕にはそんな自由はなくなってしまった。そんな僕にすみれちゃんは「車椅子の人を助けてあげる」という気持ちで優しくしてくれる。僕が毎朝、出勤できるのもすみれちゃんの介助のおかげである。僕はすみれちゃんに助けてもらい、すみれちゃんは優しい心を育てる。世の中、ギブ・アンド・テイクなのである。
しかし・・・僕はなんといっても嘘をついているのである。
僕は弟に恵まれている。
弟の陸人(野村周平)は少し、残念なところもあるが・・・まずは・・・両親に先立つこと間違いなしの僕にとって心の拠り所だ。
こんな僕でもいなくなれば・・・父や母(原田美枝子)はきっと哀しむだろう。それについて僕の心は痛む。しかし・・・弟がいることは慰めになるだろう。だから・・・弟は僕にとってかけがえのない存在なんだ。
以前は・・・弟は僕にとってうらやましい存在だった。僕が応えることのできなかった医大進学という両親の夢を叶えた優秀な弟。だけど・・・どうやら・・・僕より以前に弟は障害を背負って苦しんできたみたいなのだ。
他人の心が分らない弟。それを単に鈍感とか・・・我儘だとか言う時代は過ぎ去った。
弟は優れた資質を持ちながら・・・他人の心を読みとる能力にかけたアスペルガー症候群を感じさせる心の障害を抱えていたのである。
優れた資質と・・・両親、特に母親の過保護のもと・・・タイトロープで生活してきた陸人だったが・・・大学という閉鎖された社会で・・・ついに他者を理解することができない人格が壁にぶつかってしまったのである。
共同作業もできず、講義にもなじめなくなった陸人はついに引きこもるしかなくなってしまう。
まあ・・・「お先真っ暗に兄貴」に「お先真っ暗」って言っちゃうんだから・・・困ったものだ。
ついに・・・弟に助けを求められた僕は・・・弟に感謝するべきだろう。
家族の役に立てるなんて・・・今の僕にとっては望外の幸せだ。
ちなみに弟を恐竜展に連れていくと・・・弟は「恥骨の素晴らしさについて」・・・呆れるほど語り続けるのだった。恐竜の恥骨だからまだいいが・・・人間の恥骨マニアになったらそれはそれで恐ろしいものがあるわけだが・・・まあ、そういう人間にも優しい社会であるればいいと思う。
やがて・・・僕と弟は久しぶりに兄弟になった。
身体の不自由な兄と・・・精神の不自由な弟・・・神様は素晴らしい配慮をなさってくださるね。
野球少年ならとりあえずキャッチボールをするところだが、僕はサッカー少年なのでパス交換だ。
そうだ・・・どうして僕は弟にサッカーを教えてやらなかったのだろう。
どうして僕は弟の心の病に気がついてやれなかったのだろう。
もちろん・・・嫉妬で目が曇っていたからだ。
僕は・・・こうなる前にはそれほど他人の痛みに敏感じゃなかったんだ。
だから・・・僕は嘘つきになった。
僕は素晴らしい先輩にも恵まれている。
向井先輩(斎藤工)は最初に僕の病気を知った他人だ。それ以来、僕が恵(多部未華子)についている嘘をずっと秘密にしていてくれる。
それどころか・・・僕が捨てた恵を拾いあげて・・・心の傷を癒し・・・ついには結婚するという・・・僕のできなかったことをやり遂げた・・・素晴らしい先輩だ。
僕は感謝しても感謝しきれないほど先輩に感謝しているのである。
だって・・・恵を幸せにしてくれているんだもの。
たとえ・・・そんな僕の気持ちが・・・嘘だとしてもさ。
僕が彼女に嘘をついて一年以上の歳月が流れている。
もう・・・嘘は限りなく本当のことになりかけてる。
主治医の谷本医師(吹越満)は僕が「病気と上手く付き合っている」と誉めてくれる。
多くの患者と接してきた医者の言うことには一理あるよね。
でもね・・・本当は僕は疑っている・・・たくさんの患者を知っていることと患者になることは違うんじゃないかと。
だから・・・僕が本当に気が許せるのは・・・同じ病気の患者だけなのかもしれないと思う。
同病相哀れむってやつさ。
先輩患者の今井保さん(河原健二)と知りあってメールを交換するようになったのもそういう自然な流れだった。
でも・・・そこには運命というべき何かがあったのかもしれない。
嘘をつき通すのはなんて難しいことだろう。
僕は電動車椅子サッカーに夢中になっていた。
国際電動車椅子サッカー連盟もあるし、ワールドカップも行われる。国内に何十もの協会・所属チームがある・・・それなりの障害者スポーツなのに・・・僕はそんなことがあることも知らなかった。
導いてくれたのは親友の守なんだ。
僕は嘘つきだけど・・・残された時間をそれなりに前向きに生きることに決めていた。
だって・・・僕は一番幸せにしたかった人を・・・幸せにできなかった男なんだ。
それどころか・・・彼女を傷つけてしまった。
でも・・・僕に・・・他にどうすればよかったって言うんだ。
だけど・・・運命は残酷だ。
世界中に星の数ほど体育館はあるだろうに・・・なぜ、この体育館に来た。
しかし・・・恵の仕事は介護だし、ALSの患者は介護の対象だし、恵の介護している今井さんは僕のメル友だし・・・結局、世の中はなるようにしかならないんだ。
僕を見つけた恵は言葉を失っていた。
「どうしたの・・・恵ちゃん」と今井さんは言った。
だから・・・僕が説明するしかなかった。
「彼女は大学の同級生なんですよ・・・僕は最近、発症したので彼女はそのことを知らなかったんです」
病気が理由で別れたんじゃない・・・僕は嘘をつき通そうとした。
でも・・・そんな嘘に騙される君じゃなかったね。
そりゃ・・・そうだ・・・だって君は僕の愛したメグなんだから。
彼女はただ一言・・・「会っちゃったね」と言った。
僕はしばらく・・・その意味が思いつかなかった。
そして・・・いつか自分が言った気障な一言を思い出した。
「会うべき人には必ず会えるのが運命だ」とかなんとか・・・。
その言葉を君は何度も思い出していたんだね。
そんな言葉をどうして忘れることができるだろう。
忘れられない人をどうして思いきることができるだろう。
君は気がついてしまう。僕の思いを。僕が嘘をついた理由を。
そして・・・きっと・・・君は一人で泣いてしまうんだね。
僕が嘘をついていたことを責め・・・僕の嘘を見抜けなかった自分を責め・・・。
僕を怨みながらなんとか幸せになろうとしてた自分さえもきっと責めてしまうかもしれない。
君と別れた後の僕の絶望も見抜いてしまうだろう。
ああ・・・僕は君を哀しませるだけの役立たずにもどってしまったよ。
僕はただ・・・メグに幸せでいてほしかっただけなのに・・・。
それが・・・僕のただ一つの希望だったのに。
僕は君を泣かせた。
僕は君を泣かせた。
きっと、僕は君を泣かせた。
関連するキッドのブログ→第5話のレビュー
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コメント
やっとこの週まで観ました。っていうか、もう電動車椅子になっていて最初録画を一回飛ばしたかと思った……。これが連続ドラマや連載マンガならではの展開手法の見せどころですね。
で……辛い。
コガモの家にあーだこーだ言っていた連中は全ての連ドラ観てから言ってみろと言いたい。
ある意味、この作品を正視するほうが辛い。それだけ、これまで丁寧に描かれてきたからこそなのでしょう。
それについて以前の「つまるところこのドラマは」なんて書いてしまったことを大いに反省。普段はプロセス重視の自分なのに。オッサンになってきたからなのか。単なる雑談なのにまとめをしようとするのはオッサンのすることだそうです(笑)。
我が家でのコードネーム「モジャモジャ」も作中いろいろ辛いであろうな……。もうすぐ『陽のあたる場所』に帰ってくるそうですが。
あと、多部未華子は日本一クルーネックセーターとシャツの組み合わせの似合う女優だと思います(~_~;。
投稿: 幻灯機 | 2014年3月 2日 (日) 18時12分
この脚本家のこのシリーズにおける手法は
一見淡々と描いているように見えて
すごい粘着力を持っているのですな。
ふとこぼしたごはんつぶがスボンに
ガビガビになっている感じです。
そのたとえ・・・まったく意味不明だぞっ。
そして・・・ガツンとやる時はやる。
今回のいきなり車椅子生活なんかは
それですね。
で、ありながら・・・主人公は
それなりに懸命に生きている。
生きているってそういうものですからね。
キッドも今、背中に感染性紛瘤・・・胸部に雪かき失敗の打撲を抱えて裏表悲惨ですが
親子丼を食べている時は美味いと思ってしまう。
そのたとえは・・・ま、いいか。
今回は五輪シーズンですので
各局キワモノ=さいはてドラマをそろえていて
さいはてならではの妙味はございますな。
特に
(水)「明日ママ」
(水)「僕時間」
(木)「ウシジマ」
(金)「なぞ転」
この流れは絶妙です。
いけるところまでいってみ・・・そういう感じがいたします。
孤児、余命宣告、闇金、異次元からの侵略。
ああ・・・さいはてだ・・・。
まあ・・・その中でも「僕時間」は
正攻法ですからな。
これでもかと・・・主人公を追い詰めていく。
しかも・・・主題は・・・「愛」なのでございます。
東京少女「東京危機一髪」(2003年)で
たくましい太股を披露していた桜子隊員(多部未華子)
・・・。
本格的注目は「すみれの花咲く頃」(2007年)ですが
「こんなにかわいいブスはみたことない」的衝撃が
今もずっと続いているわけで・・・。
このブログの多部未華子の記事の多さが物語っているわけで。
100件以上あるわけで。
このドラマの終了までに108件は超えるわけで・・・
投稿: キッド | 2014年3月 2日 (日) 23時39分