ひさしがみのお化けの森・・・じゃなくて花子とアンを待ちながら(キッド)
まいて・・・まいて・・・もって・・・もって・・・頭がでかい女たちのシーズンである。
近所の老舗の蕎麦屋の女将は昭和になっても平成までも・・・大正巻だった・・・。
だから・・・そういう定型としての女学生が登場するだけで・・・なんとなく・・・懐かしいし・・・そして子供の頃から思う・・・変な髪形という可笑しさに満たされるのである。
予告を見る限り・・・そういう楽しみを確保できる気がする「花子とアン」である。
アンと言えば・・・宮崎駿・作画、高畑勲・演出のアニメ「赤毛のアン」があるわけだが・・・アンのヘアスタイルと花子のヘアスタイルは全然違うと思う。
「流行」というものの禍々しさはやはり楽しいのだなあ。
アニメの底本は神山妙子版らしいが・・・本編の主役は最初の翻訳者の栄光に包まれた村岡花子である。
もちろん・・・「あまちゃん」のような毎日が呪いと化すレビューは避ける覚悟だが・・・「ごちそうさん」よりも魅かれるわけである。
いや・・・ごちそうさんも終盤ちょっとおもしろかったわけだが。
空襲のシーンが楽しかっただけだろっ。
・・・まあ、そうですが。
で、『連続テレビ小説・ごちそうさん・第1回~最終回』(NHK総合20130930AM8~)脚本・森下佳子、演出・木村隆文(他)を見た。息子を失った占領軍の将校に息子を失った女料理人がロースト・ビーフ丼をふるまう場面で・・・泣けてくるのは・・・美味しいものが食べられたら他に文句はないタイプの人間なのだと思う。怨みを忘れない人間も水に流す人間も耐えがたきを耐え忍びがたきを忍んでいるのだろう。このドラマの底には淡い怨みの念が沈んでいたような気がする。それは・・・大漁旗の下の魚のお葬式みたいなものだな。もちろん、かわいいこぶたを丸焼きにしてこそ・・・ストレートに笑えるわけだが、とんかつが食べられないトラウマを子供が抱えないように配慮する気持ちはわからないわけではない。まあ・・・見た目と違って実際には中年のおじさんとおばさんが数年ぶりに再会して燃える姿を想像するより楽しいと思うばかりである。
朝ドラマのヒロインというものは・・・女性のシンボルを示す必要があるわけだが・・・価値観の相違の時代に・・・なかなか誰もが自分を見出せる主人公の造形は難しい。
大分出来は違うが・・・二作連続おバカなヒロイン・・・見方によってはもう何作も連続してそうだぞ・・・に続いて、今度は少なくとも・・・インテリの人が主人公である。
しかも・・・幽かに「おしん」の香りもする。
おい・・・もう、「花子とアン」の話かよ。
だって、月曜日から始るんだぜ。
さて・・・冬ドラマでは孤児院のような施設を描いた「明日、ママがいない」がいろいろあったわけだが・・・「赤毛のアン」は孤児院そのものの出身の少女である。
「明日、ママがいない」ではもらってほしい親が男の子を欲しがっていることに苦悶する女の子(渡邉このみ)が登場するわけだが・・・つまり・・・原点なのですな。
アンも男の子を養子にするつもりだった「カスバートさん、カスバートさん、カスバートさん」の家にやってくるのだ。
ついでに言えば・・・アンが汽車を降りて・・・鄙びた駅でカスバートさんを待つ情景は・・・「あまちゃん」の北三陸鉄道のホームを彷彿とさせる。
つまり・・・ものすごく原点なのである。
この原点を日本に送りだした翻訳家の人生を・・・松嶋菜々子の「ひまわり」、岡本綾の「オードリー」などの演出家と「やまとなでしこ」や「ハケンの品格」の脚本家が描く・・・なんとなく・・・手堅い感じがするのだった。
とにかく・・・恒例のバトンタッチで杏からイチゴをもらった花子(吉高由里子)はもちろんのこと・・・その妹たち(黒木華・土屋太鳳)やその親友たち(仲間由紀恵・高梨臨)は魅力的なラインナップである。
そして・・・見逃せないのが・・・ヒロインの少女時代(山田望叶)である。
連続テレビ小説の幼少時代は一瞬のきらめきである。
「あまちゃん」はその技をある意味、封印していた・・・主人公の母の幼少時代はあります・・・凄みがあったわけだが・・・やはり・・・幼少時代は大切だと考える。
山田望叶は2004年度生れ組で・・・ここには芦田愛菜を筆頭に本田望結、谷花音、小林星蘭という強豪がひしめいているのである。
これを制しての朝ドラマヒロインの幼少時代を獲得しているのである。
これは見逃せないのだ。
・・・そこかよっ。
関連するキッドのブログ→ごちそうさん
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