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2014年3月19日 (水)

人は人を求めるのだ・・・宮本武蔵(木村拓哉)

とえばこたえるということは・・・人の性である。

正解などというものがない質問にも人は答える。

問われてもいないのに答える場合さえある。

自問自答などというものもする。

愛してるかなと問われれば愛しているともと答えるのである。

しかし、人生には正解などないのだ。

・・・とは宮本武蔵は言わない。

正保二年(1645年)に新免武蔵(宮本武蔵守玄信)が著した「五輪の書」・・・「風の巻」は武蔵の創始した二天一流の立場から他流を評した文言である。

ここで武蔵は・・・「他流に大きなる太刀を好む流あり」と記している。誰と言ってはいないが・・・ドラマ「宮本武蔵」を見た人なら・・・佐々木小次郎の長刀を連想するはずである。武蔵はこう続ける。

「私の兵法から言うと、それは弱い流派と言えるのです。大きな太刀では常には勝てません。なぜなら、大きな太刀で遠い間合いから打つことで不敗を目指したとしても、間合い近い勝負になれば大きな太刀は振ることも叶わないではありませんか。大は小を兼ねるなどという浅い考えでは兵法の理を極めることはできません。このことは基本中の基本ですので肝に命ずるべきです・・・安全な場所から敵を討つという発想がそもそもみみっちいのです」

とにかく・・・二天一流はアウトレンジ戦法(日本海軍が長距離能力のみの高い飛行機で決戦を挑み、攻撃力・防御力の勝る米国海軍の飛行機に待ち伏せされて殲滅された戦法)を徹底的に批判なのである。

武蔵に言われたら納得するしかないのだ。

で、『ドラマスペシャル・宮本武蔵・第二夜』(テレビ朝日20140316PM9~)原作・吉川英治、脚本・佐藤嗣麻子、演出・兼崎涼介を見た。ナレーションは市原悦子である。武蔵(木村拓哉)が五輪書を著したのは六十歳を過ぎた頃である。ドラマの幕切れである巌流島の決闘は慶長十七年(1612年)のことであるから・・・三十年以上の月日がたっている。ちなみに武蔵の実在の養子・宮本伊織は慶長十七年生れなので・・・ドラマに登場する伊織(鈴木福)がフィクションであることは言うまでもない。とにかく・・・武蔵はその時のことをありありと思い浮かべただろう。佐々木小次郎の長い刀と・・・それよりも長い自分の櫂で作った木刀を・・・。遠心力で加速させるために先端に海水を浸みこませたことを・・・。ここに武蔵の兵法の理があるのだ。しかし・・・そんなことより・・・老いた武蔵は感じたに違いない。あの頃・・・若かったな・・・と。青春だったなと・・・。いや・・・あの一戦が青春の終りだったな・・・と。

武蔵が父・無二斉が打ち破った京流・吉岡道場に宿命の対決を挑んだのは慶長九年(1604年)のことだったとされる。武蔵はこの時・・・22才だった。

武蔵の剣名が鳴り響き・・・いわば・・・剣豪としての武蔵の青春が始ったのである。

京流とは源義経を元祖とする剣法である。

その極意は迅速であった。

武蔵の父・無二斉が打ち破ったとされる吉岡直賢の子、吉岡直綱・直重兄弟はドラマでは清十郎(松田翔太)、伝七郎(青木崇高)として登場する。

吉岡清十郎は速さにおいて京流の後継者にふさわしい武芸者だった。

速さは剣において重要な要素である。「相手よりも先に斬れば相手から斬られない」からである。つまり、先手必勝の理である。

だが・・・武蔵には分かっていた。

「それならば自分が相手より速く斬ればよいのだ」ということを。

武蔵の不敗の理由は不世出の腕力である。そもそも・・・二刀流というのは片手で刀を操作するということである。常人の腕力では不可能の術なのである。

もちろん・・・ただの腕力ではスピードは生じない。武蔵は父に磨き抜かれ・・・不世出の剣の速度も身につけているのだ。

だから・・・勝負は一瞬で決した。

雪の舞う三十三間堂・・・清十郎よりも速く武蔵は斬った。

もちろん・・・清十郎よりも遅い伝七郎は武蔵の敵ではない。

しかし、ついでに斬った。

そこに・・・武蔵を慕いながら・・・清十郎に身を任せた朱実(夏帆)が現れる。

「武蔵様・・・私をお連れください」

「修行の身なれば・・・御免蒙る」

武蔵は童貞なのである。

朱実は舌うちした。

前年の慶長八年、徳川家康は征夷大将軍となり、江戸に幕府を開いている。

大坂城には亡き関白豊臣秀吉の遺児・秀頼が健在であった。

そこで家康は息子・秀忠の娘・千姫を秀吉の遺言に従って秀頼に輿入れさせた。

秀頼の義理の祖父となり・・・江戸と大坂の融和を図ったのである。

これより・・・慶応十九年(1614年)の大阪冬の陣まで・・・およそ十年の束の間の平和が続く。しかし・・・誰もがやがてくる江戸と大坂の最終決戦を予感していた。

そのために「武」は人々の求めるところだったのだ。

だからこそ・・・武蔵がこの後、展開する一対七十六という吉岡一門との合戦は快挙として喝采を受けるのである。

束の間の平和と・・・最終決戦の予感。

この戦争と平和の鬩ぎ合いが武蔵の名声を高めるとともに武蔵の立場を複雑なものとする。

本阿弥光悦(森本レオ)は室町将軍家につながる武器商人であると同時に、束の間の平和に酔う京の都の文化人である。

武蔵の剣名が高まれば武蔵の刀剣が・・・「本阿弥印」ということで商売繁盛をする。

武蔵が一体どうやって糊口をしのいでいたかといえば・・・こういうスポンサーがついていたからなのだ。

そのために武蔵は生涯、金に困らなかったという。

勝負の後で・・・武蔵が接待を受けるのはそのためである。

武蔵は京で名高い最高級娼婦・吉野太夫(中谷美紀)にアプローチされるのである。

もちろん・・・「武蔵を男にしたのは私」ということになれば吉野太夫の遊女としての格があがるのだ。

しかし・・・武蔵は童貞である。

「なにゆえ・・・女を召しませぬ」と頑な武蔵に太夫は問う。

「剣の道は殺生の道じゃけえ・・・」と播磨の田舎訛りで武蔵は答える。

「・・・」と太夫は無言で誘いながら武蔵の言葉を待つ。

「生涯、淫戒不犯を誓ったのじゃ・・・」

「つまり・・・殺すかわりに犯さぬということどすか」

「そうじゃ・・・女犯する僧侶は多い。私は殺生戒を破る代わりに淫戒は守る覚悟じゃ」

「上杉謙信ですか・・・」

「それが剣を生きるものの仏の道じゃ・・・」

「ならば・・・接して漏らさずという抜け道がございます」

「何・・・」

「さあ・・・この吉野太夫と勝負なさいませ・・・琵琶を鳴らして・・・漏らさずば・・・武蔵様の勝ちでございます」

「琵琶を・・・」

「この吉野太夫・・・妙なる調べで鳴りましょうぞ」

「武蔵の拍子・・・受けてみよ」

武蔵は太夫の琵琶に挿入した。

しかし・・・漏らしはしなかった。

太夫は勝負に負けたが・・・武蔵をものにはしたのである。

その頃・・・武蔵の心の妻・・・お通(真木よう子)は鬼婆・お杉(倍賞美津子)の襲撃で負傷し伏せっていたが女の直感で武蔵の危機を知るのである。

「武蔵様の・・・操が危ない・・・」

お通は妙秀尼(八千草薫=アカデミー外国語映画賞名誉賞受賞作品「宮本武蔵」(1954年)のお通・・・ちなみに武蔵は三船敏郎、又八は三國連太郎)の案内でやがて観光名所となる一乗寺下り松に向かうのだった。

武蔵のストーカー・佐々木小次郎(沢村一樹)の采配により、そこが武蔵対吉岡一門の決戦の場所となったからである。

「天下無双となった武蔵と勝負がしたい」

「それは・・・滅茶苦茶、拙者が不利ではないのか」

「そうやって・・・私は戦いに勝ってきた」

「・・・」

佐々木小次郎の本意を量りつつ・・・承諾する武蔵だった。

武蔵は孤高であった。

孤とは幼くして親のない状態である。

そうでありながら高みに登るのは容易なことではない。

だから孤高の人は常の人ではない。

常人でないものは常人でないものを求めるのである。

常人でないものにとって常人でないものこそが人だからである。

そのために武蔵は小次郎に・・・魅かれるのだった。

小次郎もまた武蔵を求めるのである。

なので二人は相思相愛なのである。

とにかく・・・武蔵は早朝から・・・吉岡一門を斬りはじめた。

一人・・・また一人である。

常人であれば人を斬れば血糊で刀剣の切味は鈍り、戦闘力は低下する。

しかし、武蔵は高速で斬るために血しぶきを避けることができた。

戦場であるために子供や老人にも容赦は要らなかった。

もちろん・・・剣は年齢性別を選ばない。

そもそもが修羅の道なのである。

シッダルタは言う。

「毒矢に倒れたものを倒した毒矢が誰が作ったものかを問うのは無意味である。必要なのは毒矢を抜き手当をすることだ」

武蔵は思う。

「斬った相手が誰かを問うのは無意味である。必要なのは斬って致命傷をおわせることなのである」

武蔵が圧倒的な強さを見せれば・・・人間はひるみ、その場を逃げ出すだろう。

それでは76人斬りの伝説は達成されない。

だから、武蔵は時折、斬られて見せる必要があった。

それによって勝機を見出した敵は再び、挑戦的になる。

しかし、人の急所について全知している武蔵は・・・ギバチの術(急所をはずす技法)を身につけている。

斬らせはするが・・・それは誘いの手に過ぎない。

斬ったと思わせて斬らせているのである。

武蔵の手に乗ってあと一息で倒せると信じた相手は武蔵の一閃に涅槃への道をたどる。

武蔵は柳生の里で・・・柳生新陰流の真髄である真剣白刃取りを会得している。

相手の刀を奪うことは簡単である。

また武蔵は手裏剣の名手でもあった。

武蔵は相手の刀を奪って投げた。

武蔵の剛腕は一投で二人を刺し貫くことができた。

武蔵の父・無二斉の十手術は防御の技である。二刀の極意は大陸における剣と楯の応用にある。一刀で防ぎ一刀で攻めるのである。

武蔵は右手と左手がそれぞれ常人の両腕の力を超えている。

両刀で二人を防ぎ、両刀で二人を攻めることも可能であった。

武蔵の無尽蔵の体力は一日を駆け通すことができた。

気がつけば戦場は血の海となっている。

その中で・・・死んだフリをしている者があった。

最後の一瞬に賭けたのである。

しかし・・・武蔵は正確にカウントしていたので無意味だった。

武蔵の不意を突こうとした最後の一人は一撃で倒された。

「七十六人・・・」

武蔵は最後の一人の着物で刀の血をぬぐった。

「勝負あったな」

小次郎は微笑んだ。

武蔵も微笑んだ。

「勝負は後日としよう」

「ふふふ・・・よかろう」

二人はお互いを求めていた。

最高の状態で対峙してみたい・・・と考えたのである。

勝負を終えた武蔵は・・・お通を妻にしてもいいと考える。

もはや・・・天下無双の武蔵の名声は動かないと考えたのである。

しかし・・・武蔵に嫉妬した又八(ユースケ・サンタマリア)はお通を拉致監禁し・・・漏らし損ねた武蔵の心は折れる。

だが・・・又八は東西冷戦中の西軍の暗躍に巻き込まれる。

真田忍軍による次期将軍・徳川右近衛大将秀忠暗殺の陰謀が進んでいたのである。

しかし・・・徳川の忍び坊主である沢庵によってそれは茶番劇と化していた。

沢庵は鬼婆を人に返すために・・・又八を出家に導く。

沢庵にとって・・・武蔵とお通こそが理想のカップルだからである。

もちろん・・・原作者が男尊女卑の思想を持っていたのでそれを体現したのだった。

原作者は強すぎる武蔵は大衆受けしないと考えていた。

一度、奈落の底に落ちるべきだと考えたのである。

西軍だから出仕できない・・・とか・・・殺し過ぎるので後ろ指をさされる・・・とかは取ってつけた話である。

シッダルタは「マ」というものを考えた。

それは「何かを求めてやまぬ心」というものである。

中国人はそのために「魔」という字を作った。

シッダルタは「マ」こそが・・・自分自身であると説いた。

弟子は問う。

「マは避けるべきでしょうか」

「マは避けられぬ・・・マと向き合うことこそがブッダ(悟りを開くもの)の道である」

お通に裏切られたと思いこんだ武蔵は・・・魔を避け・・・自分を見失うのだった。

武蔵はひきこもりと化した。

八年の歳月が過ぎ去った。

実際には武蔵はその後も殺戮を重ねるが・・・このドラマでは八年の歳月は瞬く間に過ぎるのである。

武蔵は・・・お通を思い・・・その姿を観音像に彫った。

武蔵の心の中ではお通は良妻賢母となり・・・伊織という息子を生んでいる。

天才である・・・武蔵にとって現実と変わらぬ幻影を生み出すことは造作もないことだった。

消えた武蔵を捜して八年。

武蔵を捜し続けた小次郎はついに最愛の男を山里に見出す。

世はすでに幻想の平和が破綻する寸前となっている。

江戸と大坂の手切れまで・・・残すところ二年。

戦乱を望んで・・・平和を憎む野武士たちは・・・山に籠って賊となっていた。

小次郎は魔を呼び寄せた。

武蔵に示す・・・天下無双の剣。

武蔵の心に灯が点る。

武蔵は求めてやまぬものを目にした。

好敵手を・・・。

二人は・・・決戦の場へと向かう。

名もなき島。

武蔵と小次郎は生と死を分かち合った。

死闘の末・・・武蔵は自分が厳流・佐々木小次郎に勝ったことに歓喜する。

そして・・・虚脱するのだった。

求めてやまぬ最高の友を得て・・・最高の友を失ったからである。

武蔵は・・・その島を巌流島と名付けた。

最後に見せた武蔵の放心の演技は絶妙だったと考える。

その後、武蔵は二人の養子をとり、それぞれを仕官をさせた。養子はいずれも出世して親孝行をした。

武蔵は・・・養子の後見人として、大坂の陣や、島原の乱に参戦し、勝ち組に身を置く。

晩年には多数の弟子を持っていた。

武蔵自身が仕官をしなかったことをいろいろと噂するものがある・・・しかし、武蔵は誰かの下に仕える人間ではなかったと考えるべきだろう。

武蔵自身が神に等しい人間なのだから・・・。

もちろん武蔵は生涯、童貞だったのである。

接しても洩らさなかったのだ。

並みの人間にはできないことである。

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