孫子・軍争篇に曰く、圍師必闕・・・と軍師半兵衛(谷原章介)
「軍争篇」は・・・戦場の駆け引きを説く「虚実篇」に続き、戦場における決め手と禁じ手を主題としている。
「圍師必闕」は末尾近くに登場する・・・戦勝を確定するための定石を説いている。
「四方を包囲した場合、必ず一方を開けておく」というのはいかにも矛盾した戦術と言えるが・・・このために敵の戦意を削ぎ、退却を招くという意味がある。
退却は戦意を喪失したものの行動であり、結果的に包囲したものの勝利を確定するということである。
野戦、攻城戦ともに攻勢するものの常道と言える。
「圍師必闕」の前文は「歸師勿遏」であり、後文は「窮寇勿迫」である。
「歸師勿遏」は敗走する軍をとどめてはならないということで、「窮寇勿迫」は進退の窮った敵を追い詰めてはならないということである。
つまり・・・窮鼠猫をかむという事態を避けるのである。
逃げ場を失い死を覚悟した敵は時に実力以上の力を発揮することがあるわけだ。
ただし・・・圧倒的な兵力差がある場合は「兵糧攻め」が可能であり、この場合は蟻の這い出る隙もない包囲を行う必要がある。
「軍争篇」の後の「九変篇」ではそうした戦況にあわせた柔軟な対応が説かれるのである。
で、『軍師官兵衛・第13回』(NHK総合20140330PM8~)脚本・前川洋一、演出・田中健二を見た。例によってシナリオに沿ったレビューはikasama4様を推奨します。15行に盛りかえしましたが・・・今回は官兵衛・半兵衛の両兵衛あわせて一行というところですかな・・・画伯が満足できる大河に早くなってもらいたいものでございます。今回はなんと・・・15世紀の武将・山名宗全(赤松氏討伐の総大将として大勝利し備後・安芸・石見・備前・美作・播磨の守護を獲得)描き下ろしの天晴れな展開でお得でございます。それから百年以上が経過して、この時期、子孫の山名祐豊はなんとか但馬・因幡の守護を細々と維持し・・・織田家の軍門に下って明智光秀の客将格に零落中でございます。今後はうっかり家老が毛利についたために羽柴秀長の猛攻にさらされる運命なのですな。御先祖様は草場の陰でやきもきしていることでしょうなああああああっ。
長い天正五年(1577年)である。羽柴秀吉は信貴山城攻めの後、秋に播磨国への進軍を開始する。到着して一ヶ月で小寺・別所・赤松の勢力圏を掌握し、年内に国境沿いの毛利・宇喜多連合軍に属する佐用城と上月城の攻略を終了するスケジュールとなっている。一説によれば秀吉は十一月中の播磨平定を目指していたのだが一ヶ月の遅れになっていることになる。北方では柴田勝家軍団が上杉謙信の来襲に備えて軍備を整えている。明智光秀は停滞している丹波攻略にとりかかり、信長はその支援策として細川幽斎・忠興父子を援軍として送るとともに、妹で未亡人だったお犬の方を細川管領家の細川信良に再婚させている。これによって管領家の義兄として丹波に対する名目上の支配圏を得たのだった。こうしたお膳立てによって光秀は勝利するしかない追い詰められた立場になったのだった。摂津国では荒木村重が石山本願寺包囲網の重責を担い、疲労感を発生させていた。海上封鎖に失敗している織田軍に対し、徹底抗戦を続ける門徒衆は厄介な相手なのである。すでに摂津国主となっている荒木村重だが出自は波多野氏であり・・・いわば縁深い相手を敵に回しているわけである。また旧主・池田氏に属していた中川清秀やその親族で元々は松永久秀に属していた高山友照・右近父子など配下の武将も簡単には気が許せない相手なのである。村重はやがて光秀がそうなるように・・・信長の過酷な性格に追い詰められ鬱を発して行くのだった。そのような状況で秀吉は第一次遠征を行い、官兵衛の姫路城に駐留し、黒田家は一時、姫路の南にある国府山城に転居する。永禄3年(1560年)生れ17歳の石田三成は姫路遠征に参戦。長浜では永禄4年(1561年)生れ16歳の福島正則や永禄5年(1562年)生れ15歳の加藤清正がスタンバイ中である。大河ドラマなので見た目年齢の差は甘んじて受け入れるのがよろしかろう・・・。
黒田官兵衛と竹中半兵衛はお互いに同じ匂いを嗅いでいた。半兵衛は子弟に軍学を講義中・・・用便のために中座しようとした者に対し、肝心な部分なので席を外すことを許さず、ここで漏らせと命じた過去があるのだが・・・実際に漏らしてしまった官兵衛に深い愛着を感じたのである。
毛利の忍びたちは・・・播磨国の諜報活動を完全に封殺されていた。
官兵衛の神明流忍びと半兵衛の飛騨忍軍が播磨国に結界を張ってしまったのである。
二人の忍び使いは意気投合して連携プレーに励むのだった。
隠密裏に事を運ぶのは二人の最も得意とすることだった。
忍び小屋で打ち合わせを終えると二人は・・・数少ない軍事愛好家として軍事談義にふけるのだった。
「三国志(中国の史書)で言えば・・・我々は伏龍鳳雛ですな・・・」と半兵衛。
「おやおや・・・どちらが早死にするのですか」と官兵衛。
「まあ・・・私は今孔明(蜀の軍師)と仇名されていますので・・・」
「私が龐統(戦死)ですかああああ」
「いやいや・・・あくまでたとえですから・・・しかし、今の貴殿はまだまだ甘いところがありますので馬謖(戦術ミスをして孔明によって処刑された)にならぬように注意されたい」
「あなたに斬られるのですかあああああ」
「ほっほっほ・・・戯言ですよ」
「しかし・・・そうなると秀吉様は・・・卑賤の身からのしあがった劉備(蜀の皇帝)ということになりますな・・・」
「やがては・・・皇帝の末裔とかいろいろと粉飾する必要がありますな」
「では・・・曹操(魏の皇帝父)は・・・」
「無論・・・上様でございます」
「悪役ですな・・・」
「極悪と申せます」
「となると・・・孫権(呉の皇帝)は・・・」
「さてさて・・・柴田勝家殿か・・・あるいは明智光秀殿・・・」
「では・・・司馬懿(魏の軍師)は・・・」
「さあ・・・拙者は事あれば・・・最後は三河の方に従えと弟には申しつけております・・・」
「ほう・・・」
「あの方の慎重さは・・・抜群ですからな・・・」
「なるほど・・・最後に笑うのは・・・慎重さですか・・・面白いですな」
「ふふふ・・・楽しいですな」
「興がのりますな」
「のりますな・・・」
同好の士は得難いものなのであった。
二人は世を徹して三国志談義にふけるのである。
「趙岑(漢の賊将)はどうです・・・」
「その人は架空のお人でございましょう・・・」
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