黄金色の橋の上で(桜田ひより)それでは皆さん御一緒に(渡邉このみ)正気になったらさようなら(安達祐実)優しくされたら泣いちゃうかもね(芦田愛菜)
大人の手は大きい。
子供の手は小さい。
病院の待合室で一心不乱にスマホを操作する二児のお母さん。
まさか・・・出会い系で客をとったりしてないだろうな・・・といらぬ心配をする。
それはウシジマくんの見すぎである。
子供たちは本棚の絵本を出してはしまう。
病気だけど元気だ。
でも手は小さいのです。
椅子の上で土足でジャンプする。
だけど手は小さいのです。
ふと顔をあげた母親が無言で会釈する。
ああ・・・ママはちゃんと見ているんだなあ。
少し・・・安心をするのだなあ。
大人の手は大きいんだよなあ。
で、『明日、ママがいない・最終回(全9話)』(日本テレビ20140312PM10~)脚本監修・野島伸司、脚本・松田沙也、演出・猪股隆一を見た。やはり、少しショートなんじゃないか・・・まあ、でも主題歌は先週リリースしているからいいのか。このドラマでは夕陽の中でファンタスティックに・・・展開するシーンが印象に残るわけだが・・・最終回では・・・初回に真希/ドンキ(鈴木梨央)を迎えたポスト(芦田愛菜)、直美/ピア美(桜田ひより)、優衣子/ボンビ(渡邉このみ)が・・・コガモの家の四人の部屋で無邪気に女子トークを展開する。外が夜の闇であることは変わらないのにドンキの心には灯が点っているのである。このドラマで評価すべき点はこうした脚本・演出のこまやかさにもあると考える。
フィナーレを飾る・・・両親の顔を知らない・・・乳児段階の捨て子であるポストの行く末には暗雲が立ち込めている。
実子を失くし不安定な母親の朝倉瞳(安達祐美)の元で死んだ娘「アイ」に成りきって・・・母親を得ようとするポストのせつなく緊張感を伴うシーンの後で・・・四人の子供たちの友情が緩和を招く・・・このような展開も緻密なのだ。
瞳はポストとともにアイのおいたちのアルバムを見る。
死んだ娘が生きていると信じる瞳の心に忍びよる違和感。
あわてて・・・ポストは・・・瞳の夫である亮(吉沢悠)にアルバムを隠すように指示する。
子供が大人を介護している状態である。
このドラマでは繰り返される主題である。
確かに・・・子供の存在は大人を癒すだろう。
しかし・・・子供は介護ロボットでも介護ペットでもないのである。
亮もそのことは充分に分かっていながら・・・ポストを利用する。
ポストもまた・・・自分を我が子と思いこもうとする瞳に・・・幻想の母親を感じる。
そのすべてを察しながら・・・様子を窺う・・・魔王/佐々木友則(三上博史)・・・フィナーレを飾るポストと魔王の二人の物語が静かに始っているのだ。
なかなかに見事な脚本なのである。
このドラマを愛してきたお茶の間は・・・もはや・・・ポストがどれほど孤独を乗り切ってきたかは知っている。
心に傷を負い・・・グループホームにやってきた母親に捨てられたドンキをついに・・・優しい里親に導いたのは・・・ポストである。
そして・・・親友とも呼べるピア美を暖かく見守ったのもポストである。
前回、ポストはピア美と父親を邂逅させ・・・ピア美の全国大会優勝を頓挫させたのだが・・・ピア美の才能に惚れた音大教授を唆し、ピアノも続けるように計らっている。
そんな・・・パーフェクトな小学生なのである。
まあ・・・ファンタジーですから。
ついに独自路線を歩むゾンビ/バンビ/ボンビにもジョリピのような理想の親である東條夫妻(城田優・Mailys Robin)のお迎えがやってくる。
ここで・・・あまりの幸福に・・・惧れをなしたボンビを励ますのもポストである。
「私を養子にした後で・・・実子ができたら・・・私が不要になるかもしれない・・・そこんところ取材してきて・・・」
籠城したボンビに言われるままに伝令となるポストなのだった。
ついに・・・東條は「信用できないなら帰る・・・なんちゃって」攻撃の後で・・・「君じゃなきゃ嫌なんだ・・・君が欲しい」とボンビのハートを撃ち抜くのだった。
巻き添えで死亡したお茶の間もあったようだ。
そして・・・ボンビの小さな手は・・・東條の大きな手に包まれるのである。
こうして・・・仲間たちを次々に幸せにしたポストだったが・・・狂気の母親が正気になったら失われるという儚い幸福にすがっているのだった。
そのことを案じる仲間たち。
「このままでは・・・ポストがすごく不幸せになる・・・」と魔王に訴える。
しかし・・・魔王は「自分の幸せの尺度で人の幸せを測るな」などと正論で応じる。
だが・・・それはあまりにポストに期待しすぎ・・・と誰もが思うのだった。
そして・・・魔王の残された秘密が明かされて行く。
登場人物の中でもっとも感情移入が難しい魔王の妻(鈴木砂羽)・・・。
すべての事情が明らかになった以上・・・オツボネ(大後寿々花)は・・・魔王の妻が・・・コガモの家で魔王と再び暮らし出すことに期待する。
しかし・・・魔王の妻には・・・早い話・・・他の男性への好意が渦巻いているのである。
っていうか・・・もう、魔王とやり直したいとは思っていないのだった。
まあ・・・女心っていうか・・・人間だものなんだな。
オツボネから「別れの手紙」を渡された魔王はやるせない気持ちになるのだった。
まあ・・・魔王は愛を上手く伝えられないタイプなのである。
だからこそ・・・魔王の妻はもっと分かりやすい男に奔るのだった。
よくありますよね。
なにしろ・・・魔王は・・・妻か・・・胎児かの究極の決断を迫られた後、自虐的になり・・・サッカーのゴールポストを蹴り続けるという苦行を選択・・・足の不自由な人になってしまったという驚愕の過去を秘めていたのだった。
ここで・・・ファンタジーの極みに達したな。
ここからは・・・魔王の秘めた思いを引き出すために・・・出演者一同が一丸となるのだった。
魔王が「いつまでも・・・子供たちを支える児童相談所の職員であってほしい」と願ったアイスドールは専業主婦が条件の婚約を解消し・・・「子供に里親の選択権を与えるルール改正」を目指して市会議員に立候補宣言をするのだった。
妻に裏切られ自暴自棄になりそうになった魔王を叱咤激励するのである。
そんなアイスドールにロッカー(三浦翔平)は手を差し伸べる。
トラウマによって手をつなぐことが怖いアイスドールは何故かロッカーとは手をつなぐことができる。
もちろん・・・それは親に捨てられた子供たちの絆があるからなのだ。
母親との約束による沈黙の呪縛から解放されたロッカーはついに・・・魔王を説教するのだった。
「このまま・・・ポストを辛い目にあわせてはいけません」
「だが・・・あいつが望んだことだ・・・あいつが幸せになろうと・・・」
「あなたの言うことなら・・・彼女は従うはずです」
「なんだって・・・」
「赤ん坊の時から・・・彼女を育ててきたのは・・・誰ですか」
「・・・」
「彼女はあなたに似ている・・・」
「そんな・・・」
「あなたが・・・彼女の育ての親じゃないですか」
「・・・ちっ」
揺れる魔王の心。
愛に対して・・・登場人物中・・・一番の臆病者なのである。
なにしろ・・・女房に逃げられた上に未練たっぷりな男なのだ。
ついに・・・ポストと朝倉家との・・・里親もしくは養子縁組の手続き・・・「契約」の日がやってくる。
不安を抱えながら・・・幸せになろうとするポストについに本音を炸裂させる魔王だった。
「その子は違う」
「・・・」
「その子はあんたの子供じゃない」
「・・・魔王・・・何を・・・」
「子供を壊すくらいなら・・・大人が壊れた方がいい・・・あんたの子は死んだんだ」
「ああああああああああああああああ」
「魔王・・・ママ・・・」
「・・・ごめんなさい・・・そうね・・・それが本当のことなのよね」
「ママ・・・」
「ごめんなさい・・・私はあなたのママじゃない・・・」
「ママ・・・」
「ごめんなさい」
黄金色の夕陽の中で憤怒するポスト。
「どうして・・・私の幸せをぶち壊すんだよ」
「一度しか・・・いわないから・・・よく聞け」
「・・・」
「お前がいなくなったら・・・俺が淋しいからだ」
「・・・」
「お前は私の娘だ」
ポストは泣いた。
大向こうから声がかかる。
「よ・・・芦田屋」
「愛菜!」
喝采である。
ポストは泣いたのである。
ママはいなかったけれど・・・パパがいたことを・・・ポストは信じていたから。
でも・・・言葉で言って欲しかったから。
そして・・・魔王は・・・ポストを胸に抱いた。
オツボネが看護師の寮生活に旅立つ朝。
アイスドールがやってくる。
「伝言があるわよ・・・ここから学校に通いなさいって・・・」
「私・・・ここにいていいの・・・」
「だって・・・ここがあなたの家で・・・私たちは家族じゃない」
娘を失った魔王。親を失った市会議員アイスドール、料理人ロッカー、看護師オツボネ、そして絶対的切り札のポスト。
プライドにあふれた最強の布陣で「コガモの家」は世間から可哀想と思われてしまう子供たちを出迎えるのだった。
日曜日・・・魔王とポストは遊園地に行った。
そしてプリクラを撮影する。
それから、パパとキララは大きな手と小さな手をつないで・・・いつまでも幸せに暮らしましたとさ・・・。
もちろん・・・キララがお年頃になるまでは・・・。
世界中の子供たちの小さな手が大人の大きな手でまもられますように・・・。
とにかく・・・素晴らしい主題を謳いあげた傑作が最終回を迎えられたことを祝福したいと考える。
関連するキッドのブログ→第8話のレビュー
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コメント
ポストがアイになりきって母親を求め
母親の微妙な変化に脅える心境がちょっと駆け足だったせいか
今ひとつ感情移入できずに淡々と見ていましたが
ラストに意外な展開が待っていて なんだか涙があふれて止まりませんでした
終わってみれば 愛菜ちゃんと三上博のW主演のようなドラマで
最終回も登場人物一人一人に見せ場があって
しっかり群像劇だった印象です
アイスドールのプライドを守る発言
子供を壊すくらいなら大人が壊れろ
最終回もハッとする言葉がいくつかありましたが
ラストの魔王の言葉に全て持っていかれてしまいました 笑
何度でも見直したいと思う心暖まるシーンでした
何故だか不思議なんですが
じょりぴーの最後の言葉や魔王の言葉に
ラブストーリーを見ている時と同じようなトキメキを感じそうになります
子どもが里親を選べるようにする
18才すぎても施設で暮らせる選択肢を残す
初回から魔王はツンデレだったと思いますが
施設の子どもたちへの応援歌でもあったこのドラマが
初回見て不快感を持った人たちに最後まで受け入れてもらえず
状況も変わらず最終回を迎えてしまったことは残念ですが
一時期報道されてたほどには脚本は変わらずに終了したように感じました
最後まで見る事ができて本当に嬉しいです
投稿: chiru | 2014年3月14日 (金) 00時11分
シンザンモノ↘シッソウニン↗・・・chiru様、いらっしゃいませ・・・大ファン
とにかく・・・最終回に到着してよかったと考えます。
言うならば・・・通り魔にあった被害者のような
ドラマでしたからね・・・ドクターヘリが
飛んできて一命をとりとめたと言う感じでしょうか。
結局、世界はある程度、残念な人で構成されているということなのでしょう。
キッドのブログは表現の自由をある程度、養護しますので
今回は・・・特に・・・これはレビューとは言えない
残念な内容のレビューのトラックバックも公開しています。
残念な意見の表明もバカ代表として存在価値がありますからな。
しかし・・・わかる人にはこのドラマが
残念な人たちの無理解をはねのけて
見事に初心貫徹した名作だったことは一目瞭然なのでございます。
そもそも・・・名子役たちが
あふれかえる時代に
孤児院を主題にすることは
すごく王道なことです。
孤児とは幼くして親のいない児童です。
そこには当然、そうでない人が
立ち入ることのできない不可触な領域がある。
だからこそ・・・聖域・・・院なのです。
それをグループホームと言い換えて
曖昧にすることで
何かがクリアされると考える人には
このドラマの真髄は伝わらないだろうと推測します。
このドラマでもっとも難解な存在である
魔王の妻は・・・その重要なキーポイントと言えるでしょう。
彼女は結局・・・母であるよりも女であることを選んだ存在だった・・・。
そういう意味では朝倉瞳でありながら
ドンキの母親でもあるという複合的な存在です。
母親である以上、子を通じて父親の存在を感じるのが
オーソドックスなのですが
魔王の妻は・・・結局、最後まで
自分しか愛さない女なのでございます。
しかし・・・そういう女がいて
それぞれの男がいて
子供が生まれてくる・・・。
この不条理こそが・・・メインテーマなのですな。
ジョリピも魔王も最後に求愛するのは・・・
娘です。
それはまさにプラトニックラブを前提にした
究極の恋愛とも言えます。
だからこそ・・・そこにお茶の間の一部女性から
うらやましさが生じるのは当然なのでございますねえ。
そういう奥深さの
ものすごく浅い部分が理解できない
残念な人々は存在する。
だからこそ・・・残念な事件が絶えることもないのですな。
キッドとしては・・・
このドラマを理解できない残念な人々が
愛を巡る最悪の事件を起こさないように
祈るばかりの今日この頃です。
そして・・・通り魔に刺された
痛みをこらえて生き抜いたドラマの作り手たちに
万歳三唱を捧げたいのです。
投稿: キッド | 2014年3月14日 (金) 01時20分