ごらん・・・あの綺麗な花火を・・・怖がらないで逃げようね(吉高由里子)
夢見る少女は無敵である。
美しい空襲。
美しい山村。
美しい貧乏。
美しい林檎の花、川の流れ、水鳥・・・。
美しい田園。
美しいナレーション。
うっとりするような朝ドラマが始りました。
これは完全に見る人を選ぶよねえ。
もはや・・・「みんな!エスパーだよ!」レベルだよね。
それは・・・ただマキタスポーツが出ていたからだろう。
「あまちゃん」にだって司会者役で出ていたズラ。
で、『連続テレビ小説・花子とアン・第1回』(NHK総合20140331AM8~)原案・村岡恵理、脚本・中園ミホ、演出・柳川強を見た。鮮烈な第一回である。どちらかとえばベタでドンくさい「ごちそうさん」に比べると画面の隅々まで繊細さが行きわたっている感じである。どちらがいいかは好みの問題だが・・・「原書」を持って逃げていく空襲の時にはやくたどり着きたい気もするし・・・いつまでも少女時代の田園風景の中でうっとりしていたい気もする。そういう感覚は「ごちそうさん」には全くなかったのだな。これはもう・・・平凡な人生と非凡な人生の落差と言うしかない。非凡な方に傾く場合は・・・いかに嫉妬を押さえ・・・憧憬に変えていけるかの話である。つまり・・・浅田真央にはなれない人々が浅田真央を賛美する人々足り得るのだから。
小説を読んだことがなくてもアニメで少なくとも名前くらいは知っている「赤毛のアン」の最初の翻訳者の物語である。空襲の夜に・・・主人公の村岡花子(吉高由里子)が鼻をたらした子供たちとともに防空壕目指して抱えて逃げるのが・・・「グリーンゲイブルズのアン/L・M・モンゴメリ」(1908年)の原書である。この時点で日本にはまだ「赤毛のアン」は存在していないのだ。
空想癖が強くおしゃべりな「赤毛のアン」と・・・どこか重なって行く・・・村岡花子のキャラクターが「恐ろしい焼夷弾の雨」を「美しい花火の光景」と言い換えていく。
子供たちは・・・「言葉の魔力」で「恐怖」を忘れる。
空を覆うB29の編隊もどこか魔法の産物めいてくる。
現実と夢想の間で・・・人々は呼吸するのである。
実写といつかどこかで見たようなアニメの少女が織りなすオープニングを経て・・・お茶の間は明治の甲州へと導かれて行く。
悪童たちに「花」と呼ばれたら「花子と呼んでくりょう!」と名前という自分。名前という言葉。名前という意味にこだわる幼き日の花子(山田望叶)の存在感・・・抜群である。
そして・・・そこには箍にはめられた桶のような現代人はいない。
百姓の娘が就学年齢になっても学校に通わないのは日常なのである。
安東家には家長の周造(石橋蓮司)、娘のふじ(室井滋)、長男の吉太郎、長女の花子、次女のかよ、三女で乳飲み子のももまで一人として文字が読めない文盲一家なのである。
ただ・・・どうやらふじの婿で行商人の吉平(伊原剛志)だけが・・・辛うじて僅かな教養があるらしい。
旅の商いから戻り、吉平は土産に絵本「おやゆび姫」を買い求めてくるのだが・・・後に黒木華になる上の妹かよは「食いものの方がよかった」とごねるのだった。
しかし・・・本の上下もわからない花子は生まれてはじめてみる本物の本に感激するのだった。
「本じゃ、本じゃ、本じゃんけ・・・」(本だね、本だね、本なんだねえ)
吉平は・・・娘に才能の片鱗を感じていた。
浅田真央の亡き母がそうだったように・・・何かを成し遂げる子の親はどこか誇大妄想の気配を漂わせるものだ。
才能ある我が子が・・・山奥の村でやがて土屋太鳳になるももを背負って労働しているのが不憫だし・・・あってはならないことに思えてくるのだった。
だから・・・吉平は・・・花子を学校に連れていくのである。
「学校じゃ、学校じゃ、学校じゃんけ・・・」(学校だな、学校だな、これが学校なんだな)
花子は初めて見た学校に興奮する。
花子には幼馴染がいて・・・やがて窪田正孝になる木場朝市少年である。
悪童たちとは一歩距離を置く大人しい・・・というかとろい少年である。
そして・・・担任教師が・・・本多先生(マキタスポーツ)なのだった。
いかにも田舎の教師なのだが「パンチラがみたいだに」とは言わないのである。ここは愛知県ではなくて山梨県だからだ。・・・おいっ。
「座れ」と言われたら机の上に正座してしまう花子だったが・・・一週間で文盲を脱すると言う才能を爆発させる。
少し、やりすぎな感じはするが・・・花子という名前にこだわるのは「赤毛のアン」が自分の名前の綴りにこだわるのと同じで・・・悪童の悪戯の濡れ衣を着せられた朝市少年がノート替わりの石板でぶん殴られるのも「赤毛のアン」そのものという・・・花子とアンのシンクロが繰り広げられる。
そして・・・ナレーションはうるわしの美輪明宏様の甘いささやきなのだった。
ゴージャスだよね。なんだかとってもゴージャスだよね。
前作と全く同じ展開・・・戦後の炊き出しからはじまり幼年期へ・・・なのにこの激しい落差はスタッフの力量の差と言う他ないんだよね。
いや・・・単に大阪大空襲から始ってれば文句なかったんだろう・・・お前はっ。
まあ・・・全篇、分かる奴だけに分かればいいでは・・・いろいろ問題あるかもしれません。
でも・・・このままやってもらいたい。
関連するキッドのブログ→ごちそうさん
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コメント
じいやちゃま、始まりましたね!
朝ドラは流し見がやっとなんですけれど、
今回は少しハラハラするものがあり、
やや注視してましたわ~。
赤毛のアンのお話も好きでしたが、
なんせ昔かかわった子供たちの顔が浮かんでくるので
みんなきっと評価を気にしているでしょうから。
とりあえずつかみはOKみたいなところですか。
じいやちゃまに気に入ってもらえたのが
あたしとしては一番じんわりきましたわ。
あと太鳳ちゃんがご出演なのもうれしい情報でした!
じいやちゃま、今後のレビューはどうされますか?
気が向いたらひと月に一回ぐらいのおまとめでも(笑
そしたら今夜は山梨の葡萄酒ですよね~~!
カリフラワーときのこのグラタンにしましたから
夜桜を見ながらどうぞ~♪
投稿: エリ | 2014年4月 1日 (火) 19時20分
✿❀✿❀✿かりん☆スー☆エリ様、いらっしゃいませ✿❀✿❀✿
わざわざのおお運び恐縮でございます。
お嬢様方の愛読書「赤毛のアン」シリーズ。
まあ・・・お嬢様に憧れるアンと
本物のお嬢様では微妙に違いますけどな~。
ある意味、お嬢様がラーメンに憧れるようなものでございますな。
世間の評判はともかく
視聴率的に好調だった番組の後だけに
いろいろとドキドキいたしますな。
初回はまったりとしてエレガントな滑り出しだったと感じまする。
本人だった場合は恐縮ですが
空襲時の花子は五十代・・・。
手のアップなどは
老いを感じさせるものになっていたように感じます。
ここのところのアンチエイジングなヒロインたちに
比べてスタッフ魂&女優魂を感じましたな。
少しリアリズムが欲しいですからねえ。
なにしろ・・・花子もアンも
空想癖が売り物の方ですから・・・。
やはりパランスは大切でございましょう。
そういう感覚は物凄くかんじましたな。
これも前ドラマには大いに不足していた感じでございます。
黒木華と土屋太鳳
対照的な二人の姉妹の登場も楽しみですな。
「花子とアン」のレビューは
とりあえず夜のドラマが始るまで
不定期で続ける予定でございます。
その後は未定ですが
行く末はできる限り見守りたいと存じます。
山梨のワインは明治時代
他県がフランス系のブドウの中で
唯一、アメリカ系のブドウ。
寄生虫禍でフランス系が全滅した時に
運よく残って・・・大正昭和まで生き残り
今のワインブームへの希望を残したのでございます。
しかし、庶民がそれを嗜むのは
まだまだ先の事でございますぞ。
お嬢様もお酒は二十歳になってからですぞ~。
投稿: キッド | 2014年4月 2日 (水) 01時14分
このドラマが発表になった時 題名が赤毛のアンと何か関係があるのかな?と思ったんですが 吉高さんに朝ドラのイメージがなくて
元々 朝ドラを見る習慣がないのでそのままになっていました
放映開始後 赤毛のアンとかなりシンクロしているのが わかり
キッドさんが連日レビューされていたので 初回から見ようと思い
一週間分 放送する土曜日を楽しみにしていました
オープニングから驚きました
まさにアンの世界
初回のつかみは バッチリでした‼
でも 回が進むにつれて
なんだか花子ばかり 可愛がられているようにも見えてお兄さんが不憫に思えて仕方なかったです
eのつくAnneにこだわる気持ちは理解できても 花子にこだわる理由は
今ひとつにも 思えちゃいました
アンシリーズは大好きで全て読んで 気に入ったところを何度も繰り返し読んでいました
でも 今はカミングアウトするのがちょっと恥ずかしい感じ(^^;;
あの頃はギルバートとの場面が一番のお気に入りでしたが
今は マシューおじさんに全てをもっていかれちゃうかも
ドラマを見終わってから村岡花子さんの人生を思わず調べちゃいましたが
創作部分がどんな風になるか期待してます
オープニング映像がすごく好きなので
これからもチェックしてみたいです
でも今日 一気見をして一番感じてしまったのは
あまちゃんの偉大さ‼
ここまでしっくりくるのは無理なようです
投稿: chiru | 2014年4月 5日 (土) 18時15分
シンザンモノ↘シッソウニン↗・・・chiru様、いらっしゃいませ・・・大ファン
昭和の初期には末尾に「子」をつけるのが
大ブームになって・・・
「子」がついていないと
なんとなく育ちが悪い感じになったわけですが
基本的には
雅な感じの装いなのですな。
今や、「子」がついていると
なんとなく古臭いと感じるキラキラネーム時代ですが・・・。
「はな」じゃなくて「花子」がいいと・・・
小作人の娘は夢見たわけでございますな。
兄弟姉妹分け隔てなく愛するのが
理想とはいえ・・・
どうしたって好みはできますからな。
愛し方も愛され方も様々ですが
平等に愛しても
「もっと私だけを愛すべき」と思う人もいて
そこが「愛」の醍醐味でございましょう。
奉公に出るのが珍しくない時代ですので
長男が出たことに感謝こそすれ
それほど不憫には思わない。
幼い長女が奉公に出るのは
なんといっても遊里の可能性が高いわけで
その憐れさは・・・倍増でございます。
この頃は冷害があれば
女子は即身売りでございます。
そうなる可能性も考えて
早熟なはなは夢見るのでございます。
華族の中で生きる才女の未来を・・・。
もっとも・・・真珠夫人のように
高貴な家柄にあっても
女子の運命は過酷な時代でございます。
そのあたりのことを
どこまでリアルに描くのか・・・
実にきわどい朝ドラマになりそうな気がします。
まあ・・・あまちゃんと比較するのは
アレですが・・・
女子が教養を身につけるのが悪だった時代に
どこまでも夢を見るための知識を
追い求める花子の物語は
真摯に見守りたいと考えます・・・。
投稿: キッド | 2014年4月 5日 (土) 21時59分