消ゆる身は惜しむべきにも無きものを母の思いぞ障りとはなる(桐谷美玲)
荒木村重の妻・だしの辞世はいくつか伝わっている。
「残し置くその嬰児の心こそ 思いやられて悲しかりけり」というのもあるが、一族皆成敗の際である。荒木村重の子が生かされてしまう理由はなく、その存在を歌うことはありえない。
乳母に託した子が本願寺の庇護のもと・・・後に岩佐又兵衛となるという説に従えば・・・自らの生母に託して・・・生みの親の心情を歌ったともとれる「消ゆる身は惜しむべきにも無きものを母の思いぞ障りとはなる」の方が心に沁みる。
また、だしが摂津池田家の血筋として武家の心得を持っていたことも滲み出ている気配がある。
だしの年齢は不詳だが・・・荒木村次の実母だった可能性はまったくないかと言えばそんなことはない。
処刑された荒木の娘は十五歳で懐妊中であった。かぞえ歳なので実年齢は十四歳前後である。だしの妹は十三歳で荒木越中守の妻となっている。・・・そういう時代なのである。
荒木村次が年齢不詳である以上・・・だしが実の母だったのかもしれない。村次の母は北河原三河守の娘とされているが・・・その名がだしであった可能性もある。
だしの父は池田長正とも、川那部左衛門尉ともされるがいずれも摂津の武将であり、血縁によって養女になることは珍しくもない。三人とも父だったということもあり得るのである。
だしが本願寺門徒の娘であっても・・・クリスチャンになったことを否定はできない。
そもそも信仰については緩やかな国柄なのである。
御利益がありそうならなんでも拝む傾向は土着していると言える。
「磨くべき心の月の曇らねば光とともに西へこそ行く」も伝わる辞世の一つだが・・・西が西方浄土なのか・・・西洋天国なのかも意見の分かれるところである。
何はともあれ、謎の女・・・だしは美人薄命と薄情な亭主の伝説の中で怪しく揺らめくのだった。
大河ドラマに戦国の定番美女がまた新たに加わったと言えるだろう。
まあ・・・最初にこれでだしを知れば「だしといえばクリスチャン」になってしまうかもしれないが・・・それもまたよくあることなんだなあ。
すべては四百年以上も過去の・・・時の彼方に過ぎ去った出来事なのである。
「書置も袖や濡れけん藻塩草消え果てし身の形見ともなれ」の藻塩草は潔く散っただしも末期の涙を流したことを示している。海藻の乾燥後に残る海水の塩分が・・・当時の塩だったわけである。
そのしょっぱさが実にはかない。味わい深い辞世と感じる。
で、『軍師官兵衛・第23回』(NHK総合20140608PM8~)脚本・前川洋一、演出・本木一博を見た。例によってシナリオに沿ったレビューはikasama4様を推奨します。今回は十二行ですが生ける怨霊と化した・・・落武者仕様の荒木村重と・・・キリシタン以外には容赦ない高山右近の二大イラスト描き下ろしでお得でございます。一年に及ぶ監禁生活。しかも蟲の這う岩窟で。現代人なら発狂確実でございますよねえ。キッドなら一日でおかしくなりますな。百足に這われたら・・・と思うだけで蕁麻疹が出る勢いでございまする。もちろん・・・すべての人間は内に狂を秘めているとも言えるわけでございます。「はんべえのぐんぱい」という特殊効果アイテムで覚醒したような展開でしたが・・・できれば狂気の陰翳が滲む新しき官兵衛像をドラマに反映させてほしいものですねえ。まあ・・・あまり期待はしませんけれど・・・。デスラー総統越えは目指してもらいたいものです。とにかく、官兵衛が有岡城に特攻した後で、官兵衛の拉致監禁、信長の人質成敗、村重の敗北落城、官兵衛の生存救出、官兵衛の心的外傷、官兵衛の感謝感激まで・・・すべてを読み切った竹中半兵衛は神軍師でございました。一方、一般に馴染みのないだしというキャラクターを見事に演じきった桐谷美玲・・・さすがである。「マリア」に祈りを捧げた後の「殿・・・」・・・このあまり熱を感じないシナリオの中で一瞬、命を感じさせました。それにしても死後の延長ありとは・・・。また、夢落ちかっ。数多い辞世・・・。たくさんいる父親候補・・・。当時から悲劇の美女としてだしの人気の高かったことが偲ばれるのでございます。われもわれもなのですな。
天正七年(1579年)十一月、有岡城落城の混乱の中、城中に忍び込んだ黒田家の家来たちによって監禁中の黒田官兵衛は救出される。劣悪な環境のもとで一年におよぶ監禁生活を強いられた官兵衛は半死半生だったという。全身を覆う皮膚病。栄養不足、運動不足による骨の変形、様々な感染症によってその姿は二目と見られぬ姿に変貌していたと言われる。そういう史実の中で帝国スターとしては精一杯頑張ったと言える・・・変貌メイクだったと言える。息子・村次の籠る尼崎城に退去した荒木村重に対し、有岡城に残されていた荒木一族の子女多数を人質にした織田信長は荒木村重に降伏勧告を行い、待つこと一ヶ月・・・降伏の使者である荒木久左衛門ことだしの兄・池田知正が逃亡したことを知った信長は十二月、人質の成敗を決意する。信長軍は鉄の規律の元・・・略奪や婦女暴行を禁じられていたが・・・命令が下れば虐殺を辞さない。有岡城の人質のうち、荒木一族以外のものは滝川一益らの指揮により、尼崎城の目前で122名を磔とし、数百人を閉じ込めた屋敷ごと焼殺処分とする。また荒木村重の妻・だしなどの村木一門の子女30名ほどを京の六条河原で津田信澄の指揮により斬殺。処刑に際し、子女たちの衣装は美しく整えられており、信長の美学を際だたせている。罪人を辱めることなく殺すべきものを殺すのである。もちろん・・・そこに狂気を見出すものもいるのが人情というものであろう。天正八年(1980年)正月、有馬温泉での治療を終えた官兵衛は播磨国に帰国した。荒木村重は尼崎城から花隈城に退去し、その後、消息不明となる。見事な逃げっぷりである。
花隈城を攻めるのは尾張池田氏の池田恒興とその子・元助、輝政の兄弟である。すでに降伏した紀伊国雑賀の鉄砲衆がその指揮下に入っている。
花隈城に籠るのはすでに五百に満たない少数である。
対する織田軍は池田軍他一万与であった。
攻城戦といえども・・・掃討戦に近い。
織田軍の総攻撃の気配を村重は読んでいた。
花隈城代の従兄弟・荒木志摩守元清に防備を命じると嫡男の村次とともに本丸に籠る。
元清の正室はだしの叔母にあたる女であった。洛中での処刑のことは花隈にも伝わり、姉の娘たちの最後を知った正室は元清に嘆きをぶつけた。
「もはや・・・降るわけにはいかぬのですか」
「それは・・・できぬ・・・」
戦支度を整えた元清は・・・すでに大手門からなだれ込む池田軍の怒涛の進撃を見る。
「もはや・・・これまでか」
必死の抵抗を試みる元清の郎党たちもたちまち打ち取られて行く。
元清は村重に自害を促すために本丸に走った。
しかし・・・本丸に村重はいなかった。
本丸には城を預かる元清さえ知らぬ抜け穴があったのである。
村重と村次はそこから・・・地下道を通り、城外へ脱出していた。織田軍が突入し、城外が手薄になるのを見計らっていたのだった。
「なんと・・・」
元清は・・・従兄弟の不甲斐なさを暫し嘆じた。
それから・・・抜け穴に入り・・・落城寸前の城から逃げたのだった。
荒木一族は忍びの一族である。
城外に出てしまえば・・・忍びとして身を隠すことに造作はない。
こうして・・・一族のほとんどを犠牲にして・・・荒木の主は遁走したのである。
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