人生七十力囲希咄吾這寶剣祖佛共殺堤る我得具足の一太刀今此時ぞ天に抛・・・と茶聖・千利休(岡田准一)
利休こと千宗易は天正十九年(1591年)、秀吉から切腹申しつけられ、これに従う。
信長の茶の湯の師匠だった利休は政治と風流を融合させて独自の境地を開いた。
知性と教養を供えた信長にとって利休は道具に過ぎなかったが、利休はそれに甘んじることができた。
しかし、秀吉には教養がなく、利休は己を抑えることができなくなっていったのである。
秀吉は信長同様に利休を道具として使おうとしたが果たせず、殺すしかなくなってしまったのだった。
死の前日、利休は当然の如く、それを察し、遺偈を残したのである。
「私は七十歳になりました。あっと言う間のことでした。私の実力は神も仏も畏れぬものでございます。私が本気を出せば敵するものなどありません。しかし、それを今、捨て去ることにいたします」
利休は天下人となった秀吉に・・・無償の愛を捧げたのである。
己が晒し首にした天下一の茶人に愛されていたことを知った秀吉はさめざめと泣いた。
で、『軍師官兵衛・第41回』(NHK総合20141012)脚本・前川洋一、演出・藤並英樹を見た。例によってシナリオに沿ったレビューはikasama4様を推奨します。今回は微増の27行。まあ、豊臣秀長、豊臣鶴松という秀吉にとって肉親中の肉親が死ぬ。その中間に赤の他人が挟まっているところが人生の妙であり・・・史実とはいえ・・・どう描いてもそれなりに情念が伝わってきますからねえ。そして・・・ついに茶聖・千利休の描き下ろしイラスト大公開で感無量でございますねえ。まあ・・・信長が天才とすれば、利休は奇才・・・老いて、頑固になり、風狂が過ぎてしまったということなのでしょう。それはそれで漢(おとこ)の人生でございますなあ。
天正十八年(1590年)七月、北条氏政・北条氏照は切腹して果て、高野山に追放された北条氏直は天正十九年(1591年)に一万石を与えられ大名となるが十一月に病死する。ここに後北条氏はほぼ滅亡した。これにより、秀吉はほぼ天下統一を完成する。しかし、小田原征伐についに参加することの叶わなかった病床の秀吉の弟・秀長は天正十九年一月に病没し、織田・豊臣政権を通じて影の外交官となっていた千利休は二月に秀吉に死を賜る。天下統一の最後の仕上げと言える奥州仕置の最中、九戸氏が反乱し、秀吉は豊臣秀次に鎮圧を命じる。徳川家康・前田利家・上杉景勝、伊達政宗らは九月に九戸氏を降伏させた。反乱鎮圧の途中の五月、豊臣鶴松は病死する。十二月、秀吉は秀次に関白職を継承させる。半島経由での大陸侵攻を企画した秀吉は朝鮮通信使に対し服属交渉を開始する。しかし、李氏朝鮮は列島からの侵攻を現実のものとして把握することが困難であったため交渉は決裂する。秀吉はすでに渡海のための軍港として肥前・名護屋城の築城を開始していた。天正最後の年はこのように波乱を含んで幕を開けるのである。
大坂城には北条氏直が逗留していた。
すでに関東の盟主は徳川家康になっている。
氏直には旧領の下野から一万石が捨扶持として与えられることになっていた。
もちろん・・・氏直の正室である督姫の実父・家康の采配である。
しかし・・・氏直は病床に臥していたいた。
大坂城内の仮屋敷では督姫が懸命の看病に務めている。
だが・・・病状は思わしくなかった。
「少しお休みなされませ・・・」
近習として使える氏盛が義理の叔母である督姫に告げる。
氏盛は十四歳、氏直の父・氏政の弟・氏規の長男である。
督姫は看病に疲れた顔に微笑みを浮かべる。
「助五郎殿・・・お気遣いは無用じゃ・・・」
「・・・」
「ついに・・・戦がおわりしものを・・・殿は運がないのかもしれぬ・・・」
「そのようなことは・・・」
「ふふふ・・・小田原城の主たるものが・・・このように・・・敵の城のひとすみで・・・生死の境を彷徨っている・・・運がよいとは申せませぬなあ・・・」
「・・・」
「小太郎をお呼び下され・・・いざと言う時には・・・お前に跡を継いでもらわねばならぬ・・・そなたの父に一言言わねばならぬのじゃ」
風魔小太郎は屋敷の小さな庭に控えていた。
「父上に従って関東にいる氏規様に・・・文を届けておくれ」
「御意・・・」
小太郎は小雪のふりかかる大坂の地を駆け抜ける。
「北条も風前の灯のようじゃのう・・・」
小太郎には・・・風魔一族の行く末もまた・・・消えかかる灯明のように感じられるのだった。
「これが・・・天下統一か・・・」
大坂城の忍びたちは・・・遠ざかる小太郎の姿を監視している。
関連するキッドのブログ→第40話のレビュー
| 固定リンク
コメント