紅白が生まれた日(松山ケンイチ)音楽試合でランラララン(本田翼)
敗戦から七十年である。
昭和二十年(1945年)に十歳だった子供が八十歳になってしまう時の流れ・・・。
「戦争」に善悪はない。
しかし・・・戦争に負ければ・・・敗者は勝者に謝罪し続けなければならないのだ。
許しを得るためには・・・もう一度戦争をして勝つしかないのである。
今に見ておれ・・・そう思う人はほとんどいないかもしれない。
いい加減に勘弁してよ・・・そう思う人は多いかもしれない。
だが・・・一億玉砕をしないで・・・戦後の平和を堪能してしまったので・・・鬼畜米英や暴支や露助に復讐しようとはもう誰も思ってないんだよね。
そういうあれやこれやの・・・はじまりをふりかえるのは大事なことである。
で、『放送90年ドラマ 紅白が生まれた日』(NHK総合20150321PM9~)脚本・尾崎将也、演出・堀切園健太郎を見た。20世紀初頭、ラジオによる放送というシステムが生まれると大正十四年(1925年)、日本でもNHKの全身となる東京放送局が開局する。さらに日本では昭和十五年(1940年)にテレビ放送の実験も開始されるが・・・太平洋戦争の開戦により中断・・・テレビ放送は昭和二十八年(1953年)の本放送開始を待つことになる。つまり、昭和二十年(1945年)には・・・放送といえば・・・ラジオだったのである。
昭和二十年八月・・・日本は無条件降伏をした。敗戦である。
大日本帝国は解体され、首都東京は連合国によって占領された。
「大日本帝国」が敗北したことを国民に周知させるために・・・放送が重要な役割を果たしたことは言うまでもない。
平和な民主主義国家を建設するため連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は日本に進駐軍として君臨し、軍事独裁政治を行う。
日本の放送局はGHQの内検閲担当部署(CIE)に管理されることになった。
その支配は日米地位協定が締結される昭和二十七年(1952年)まで続く。
そして・・・日本国に米軍基地がある以上、占領はまだ続いているのである。
そういう状態を日本国民が許容している以上、沖縄県民もある程度、理解する必要がある。
これは・・・善悪の問題ではなく・・・現実なのだから。
どうにもならないことは・・・あるのです。
兵士として出征した放送局員の新藤達也(松山ケンイチ)は生還する。
故郷・広島は原爆により焦土と化し、東京もまた焼け野原だった。
職場に復帰した新藤を待っていたのは・・・「連合国の勝利を美化する宣伝」のための番組作りだった。
すべては・・・占領軍の意のままだったのである。
戦前はアナウンサーだった竹下光江(本田翼)は雑用係として復帰していた。
戦時に宣伝放送の技術を高めたCIEの職員は新藤にキューの振り方から指導する。
新藤はラジオ・ディレクターとして再教育されるのだった。
日系二世の通訳・ジョージ馬淵(星野源)は「平和な時代が来たことを国民に伝え、仇討ちや暴力などが禁じられたことを知らしめよ」と新藤に伝える。
新藤は・・・生き残った自分が「娯楽番組」を作ることに恥じらいを感じる。
そんな新藤を光江は戦後強くなった「靴下」いや「女」として支えるのである。
焼け跡には・・・焼かれたラジオがゴロゴロと転がっていた時代である。
やがて・・・戦後最初の年末に・・・特別番組を作ることになり、企画が求められる。
新藤は「紅白歌合戦」を提案するが・・・「合戦」が戦争を連想させるということでNGとなり、「紅白音楽試合」として認められるのだった。
男と女が歌で競い合う・・・平和な時代の象徴としての娯楽番組だった。
白組司会には古川ロッパ(六角精児)・・・。
「新聞には俺の名前が先にのるんだろうね」
「もちろんです」と光江。
赤組司会には水の江瀧子(大空祐飛)・・・。
「新聞には私の名前を先にのせてね」
「はい」と光江。
かわいいよ、本田翼かわいいよである。
ディック・ミネ(小松和重)や芸者の市丸(原史奈)などがキャスティングされていく。
「川田正子ちゃんにも歌ってもらいましょう」
「兵隊さんの汽車・・・まずいだろう」
童謡歌手・川田正子(石井心愛)は戦時中、出征兵士を送る歌を歌っていた。
兵隊さんを乗せて
シュッポ シュッポ シュッポッポ
バンザイ バンザイ バンザイ
「歌詞なんて変えちゃえばいいんです」
かわいいよ、本田翼かわいいよである。
こうして、童謡「汽車ポッポ」は誕生した。
十月に公開された映画「そよかぜ」の挿入歌「リンゴの唄」を歌った並木路子(miwa)は人前で歌うことに抵抗を感じていた。
「戦死した人々を思うと・・・どんな顔で歌ったらいいのか・・・わかりません」
「わかります・・・私もそうだから・・・」
光江もまた・・・家族を戦火で失っていたのだった。
「放送はマイクの前で歌うだけです・・・あなたの歌いたい顔で歌ってください」と新藤。
「・・・」
「あなたの唄で励まされる人がきっといます」
かわいいよ、本田翼かわいいよである。
こうして・・・大晦日の一時・・・敗戦国民を慰める「紅白音楽試合」の生放送が始る。
検閲のために「台本通り」に放送しなければならないお約束である。
しかし・・・ディック・ミネは放送開始後にドタキャンしてくるのだった。
「どうしましょう」
「司会の二人に歌ってもらう」
「でも・・・台本変更の許可をもらわないと・・・」
しかし・・・占領軍の責任者は不在だった。
「私がサインしましょう」とジョージ馬淵がペンをとる。
「責任問題になりませんか」
「戦時中、両親は強制収容所送りになりました。私は軍に志願し、米国のために戦った。私は米国人になった。しかし・・・七輪で焼くメザシの焦げる匂いを嗅いだ時・・・自分がジャップであることを思い知ったのデス」
「ありがとう・・・ミスター馬渕」
赤いリンゴに くちびる寄せて
だまって 見ている 青い空
リンゴは何にも いわないけれど
リンゴの気持ちは よくわかる
放送を聞いた敗戦国民たちは・・・局舎に集まって来た。
「ありがとう・・・ラジオ」
「ありがとう・・・リスナー」
送り手と受け手が・・・共にボロボロだった時代。
会長をはじめ局員一同・・・初心に戻って最低賃金で働いたらどうかと思います。
せめて・・・公共放送の名の元に金儲け事業はやめようよ。
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