誰道天工勝人作 不知人作勝天工 万尋富岳千秋雪 却在斯翁一掌中(高良健吾)
高杉晋作は詩人であった。
漢詩「題不二石」は二十代前半の作とされる。
不二石は豊臣秀吉由来のものが有名だが要するに霊峯・富士山を思わせる奇岩・庭石の類である。
これを七言絶句で東行と号した晋作は詠う。
「自然の造形は人知の及ぶところではないと言う者があるが・・・それは自然を凌駕する人知というものを知らないからである。巨大な富士山に降り積もった永劫の雪さえも・・・俺様の掌中にあるということだ」
自然より人間の方が上だ。世界も時間も自己の中に存在するのだから。
晋作の傲慢な気魄が漲るわけである。
もちろん・・・不遜の極みであるが・・・若者なんてこのぐらいの方が頼もしいのである。
なにしろ・・・反乱軍リーダーでございます。
で、『花燃ゆ・第9回』(NHK総合20150301PM8~)脚本・大島里美、演出・渡邊良雄を見た。例によってシナリオに沿ったレビューはikasama4様を推奨します。家柄に縛られたものと身体的障害に縛られたものとの対比と共感による相互作用。まさにニュータイプの世界でございましたね。今回は長州きっての戦上手・高杉晋作の描き下ろしイラスト大公開でお得でございますな。卑怯とは武将に対して最高の名誉でございますし。本年度は描き下ろしが快調展開で嬉しいかぎりでございます。ジオンの血統をもてあますシャアと人とは違う才能に戸惑うアムロ・・・まさにガンダムそのものですな。貴族の中の革命家と聾唖者を一線上に並べるとはなかなかに大胆な作劇でございますよねえ。対比ということでは「官兵衛」の「村重と淀の方」のようなものですが・・・こちらは創作的なので一種の清々しさがありますな。まあ・・・どちらも些少わざとらしさは残りますが・・・まあ、ドラマでございますからねえ。痺れるような難解さを求めても無理でございましょう。さりげないことを説明不足と感じるお茶の間もございますし。
幕藩体制というものを現代人がイメージすることは難しい。軍事独裁国家(藩)の軍事独裁連邦制(幕府)りようなものである。日本政府と地方自治体の関係にも似たところがあるが、反政府的でも沖縄県がおとりつぶしになったりはしないわけである。なにより身分制度が固定化され、職業選択の自由もあまりない。しかし・・・人材の登用にはある程度、流動性があったわけである。それは妊娠出産という自然現象に左右される。継承されるべき血統を保護するための養子縁組により、身分の変更が起きうる。同時に遺伝が必ずしも親の能力を継承しないことも身分制度の固定化に影を落す。下級武士の杉家から天才を認められて中級武士の吉田家の養子となった松陰や、罪人の子でありながら小田島家の養子となった伊之助は縁組によって階級差を克服したということになる。松陰が凡夫なら養子の貰い手がない場合もあった。その場合、松陰は厄介叔父として兄の家で飼い殺しになるのである。なにしろ・・・家禄は常にギリギリで下級武士には分家などの余裕はない。そういう仕組みの世の中で自分の自由意志で養子先のお家をつぶしてしまう松陰がどれほど変人だったかということに御留意いただきたい。そして・・・そういう奇人を慕うものが上流武士からも現れるということの不思議さも・・・。
文は二歳年下の弟・敏三郎の心も読める。
聾唖者である敏三郎は無音の世界に生きている。
そのために常人とは違う鮮やかな色彩の世界に生きていた。
敏三郎の視覚記憶は正確無比である。
能弁な兄と違い、敏三郎は無音の世界で独特の観察力を磨いていた。
姉が自分の心を読むことができることを敏三郎は幼少の頃から理解している。
すでに忍びとしてのしごきを受けている敏三郎の行動範囲は広い。
様々な場所に出入りする敏三郎の目を通して文は市中の様子を知ることができるのである。
「清国の商人の話では天竺で反乱が起きているそうです」
松下村塾では松浦亀太郎が独自の情報網による風聞を披露していた。
文は亀太郎が幕府の草のものであることを知っている。
敏三郎には筆談で亀太郎の跡をつけまわすことを禁じている。
うかつに触れれば命を奪われるからである。
「天竺のことはインドと言うのでございますな」
最下層の足軽の子である伊藤利助が口を挟む。
語学に才覚を持つ利助は独学で蘭語、英語を嗜んでいた。
文は利助が藩の目付け忍び(密偵)であることを知っていた。
伊藤家は目付け百姓としての任を解かれ、城下に戻っていた。
利助が松下村塾に密偵として送り込まれたのはその直後である。
敏三郎には筆談で利助の跡をつけまわすことも禁じている。
うかつに触れれば命を奪われるからである。
利助は高杉晋作のお気に入りである。
洋学の苦手な晋作は原書を利助に研究させているのである。
ある程度、利助に翻訳させると天才として内容が理解できる晋作だった。
その思考の飛躍力は文に眩暈を感じさせる。
文は敏三郎が晋作の供をすることを許していた。
高杉家の屋敷の豪華な暮らし向きを敏三郎が観察し、それを覗き見るのが文は好きだった。
高杉家の幼女たちはみな美しい着物を着ていた。
その様子に見とれる敏三郎を文は面白くも感じる。
文にもそろそろ・・・嫁ぐ季節が近付いていた。
身分が違いすぎるので高杉家に嫁ぐことはない。
おそらく・・・久坂家だろうと文は考える。
兄が時々、自分の縁組について考えることを知っているからである。
子供の時代が終わるのだ・・・夏の終わりを感じると文は胸が騒ぐのを感じる。
去りゆく季節を惜しむ気持よりもときめきが勝る。
文はまだ十五だから。
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