あなたいい人ね(杏)僕の人生は幻想だった(長谷川博己)
このドラマは技巧をこらしている。
このレビューではあえて・・・時系列のシャッフルという構成を解体しているが・・・時にはそれが「面白さ」の大半を破壊することになっていると考える。
しかし、複雑な構成による芸術は・・・たとえば脳機能の低下した人には理解が困難なものである。
なんだかわからないもの・・・になってしまうのだなあ。
今回で言えば「2015年3月15日の結婚式」が全編に散りばめられている。
視聴者の興味は「一体、誰の結婚式なのか」という点に絞られる。
例によって前回の結末である「2月14日」から「3月15日」に至る一ヶ月が語られる展開である。
コンテンポラリー(同時代性)は「わかりやすさ」の重要な点で・・・季節ネタはその常套手段である。
このドラマは少し過去である「去年の年末やクリスマス、正月、バレンタインデー」をあえてチョイスしながら、ホワイトデーを通り越して、最終回に主人公の誕生日をあてている。
今回はドラマの中の季節と現実の季節がフィットしているわけである。
つまり・・・それから七日後の主人公(杏)の誕生日は・・・春のお彼岸の頃なのである。
今回、主人公が落下した時、頭を打った時にヒヤリとする気配があったのは・・・主人公のパートナーが「喝采」を歌ったりするからである。
王道の「月9」と同じように「主人公の死」もまた王道なのだ。
主人公の残された寿命は七日間かもしれないのだ。
さて・・・そういう「終わり」がお茶の間に受け入れられるかどうかは別として・・・。
「彼(長谷川博己)はどうして高等遊民になったのか」という第二の主題の解答がある。
そこで物語は十三年前の21世紀初頭の就職氷河期に遡る。
今回は・・・十三年間の物語でもあるわけだ。
登場人物の回想はそれが嘘か本当かはわからない。
しかし・・・人柄を知るために時間が作り上げた複雑な構造体である「心」を紐解くのはドラマの常套手段でもある。
心が苦手の主人公はそういうものが・・・本当は心から好きなのだ。
この作品に人間ドラマとしての素晴らしい面白さがある由縁である。
で、『デート〜恋とはどんなものかしら〜・第9回』(フジテレビ20150316PM9~)脚本・古沢良太、演出・石川淳一を見た。映画「転校生」で主人公とパートナーが落下すると心が入れ替わる仕掛けをどれほどの人が知っているのかは定かではないが・・・専業主婦が男女雇用機会均等法によって撲滅されていることを正しく理解している人の割合も定かではない。巧(長谷川博己)は就職に失敗したことによって高等遊民化という現実逃避を試みる。労働の対価として報酬を受け取るという生命活動の放棄である。それは一種の徴兵拒否であり、「戦争で兵隊にとられるくらいなら大きくならないでほしい」という母の願いに答えるものでもある。巧はこうして矛盾した合理性を貫くのであるが・・・やがて「喝采」だの「夜明けのスキャット」だの女性ボーカルの歌謡曲を愛するようになる。つまり・・・女になりたいと思い出すのである。だから・・・「転校生」における男女逆転は巧の一つの理想なんだな。
自分に芸術家として大成する見込みがないと考えた巧は就職活動を展開する。
依子(杏)ほどの学歴をもたない巧はここで何度かの挫折を味わい、自信喪失のスパイラルに入って行く。
そのあげくに大手出版社の面接試験で「無能」の烙印を自ら押すのである。
「君の父上は教育評論家の谷口務(平田満)なのか」
「ああ・・・時々、テレビで薄っぺらいコメントをしてる人ね」
「入社した後で父上の本を出版したいなどと言わないでくれ」
「我が社から出る本はもう少しメジャーなので」
「ハハハ」
父親に対する侮辱と嘲笑。
それに愛想笑いで答える巧。
父親が著名人であることは・・・当然、巧の心に反発を感じさせると同時に拠り所にもなっていたはずである。
それを根底から覆す社会の評価。
巧の人格は崩壊し・・・闘志は奪われ・・・巧にとっては社会そのものが恐怖の対象となる。
「自分はこの恐ろしい社会で人として生きていけない」
巧はニートとなった。父親は教育者としての地位と名誉を放棄した。
そして・・・歳月は流れたのである。
2015年2月14日の夜・・・。
「これ・・・」と佳織(国仲涼子)が差し出すチョコレート。
「考えさせてくれ」と逡巡する巧。
「私のことなんか・・・嫌いよね」
「いや・・・むしろ・・・好きだ」
「半端じゃなく好きになってよ」
「努力します」
依子(杏)は鷲尾(中島裕翔)はチョコレートに差し出す。
「私に恋を教えてください」
「喜んで」
「鷲尾さんのデータを教えてください」
「は?」
「鷲尾さんに恋をするためには鷲尾さんのことをより深く知る必要があります」
鷲尾の誕生日の8月9日にピンとくる依子。
「89は好きです。フィボナッチ数列の第11項目の数字であるし、どんな数字であっても各位の2乗を足すと必ず1か89になるんです」
つまり・・・有名芸能人にそっくりということである。・・・どういうことだよ。
ひとりになった依子は・・・巧に電話をかける。
「鷲尾さんとデートすることになりました」
「僕も・・・佳織と」
「考えてみれば破廉恥ですね今日まで谷口さんと交際をして結納まで交わしたというのに明日は別の男性とデートをするこういうのを奔放な男性遍歴というのでしょう私もとんだ尻軽女になったものです」
SJの戯言である。
「僕もとんだスケこましだ」
DTの寝言なのだった。
もちろん・・・結局気になって電話をしてしまう恋愛ドラマの常套手段だが・・・本人たちに自覚はないらしい。
もちろん・・・お互いに片思いをしているという誤解の場合もあります。
しかし・・・誰が誰を好きかなんて本人にも分からないし、恋愛なんて妥協の産物という観点から・・・真相は最終回まで封印されるのが基本なのである。
「お互いに電話をするのはやめよう」
「わかりました」
お互いの本心を本人がわからないかもしれないので・・・お茶の間にもわかるはずないという展開なのだった。
こうして・・・依子と鷲尾、巧と佳織という新たなる組み合わせの「デート」が繰り広げられていく。
しかし・・・巧から「ありのままでデートしろ」とアドバイスをされたにも拘らず、徹夜で「デート対策」をしてしまう依子だった。
小夜子(和久井映見)の亡霊が囁くのである。
「あるがままのあなたが世間に通用したことなんてあったかしら」
「恋」をするためにフェネチルアミンが必要という知識を得た依子は徹夜で同物質を含有するチーズ、ワイン、チョコレートを過食するのだった。
ジャージ姿で待ち合わせ場所に現れた依子をエスコートした鷲尾は・・・そこそこ可愛い女に依子をドレスアップして人力車デートを開始する。
睡眠不足と振動によって多量の吐瀉物をまき散らす依子だった。
一方、横浜ヤンキースタイルではなく、横浜トラお嬢様スタイルで巧を迎えに来た佳織。
映画館でデートするつもりが・・・自宅でDVD鑑賞である。
巧が選択したのはソ連出身の映画監督アンドレイ・タルコフスキーのスウェーデン映画「サクリファイス(生贄)」(1986年)である。
タルコフスキーのデビュー作は「僕の村は戦場だった」である。第二次世界大戦の独ソ戦場で偵察兵となった少年の話だ。少年はドイツに勝つために貴い犠牲となる。同様に「サクリファイス」の主人公は核戦争による破滅から世界を救うために我が身を捧げるのである。
主人公は・・・世捨て人なのだ。
もちろん・・・デートで見る映画としては35点くらいです。
「色彩が素晴らしいだろう」
「・・・確かに」
「よかった・・・じゃ、次はこれを読んでくれ」
「海辺の叙景/つげ義春」(1967年)を推奨する巧だった。
短編だが・・・熱狂的なファンを持つ作品である。
この短編から「雨のクロール/森田童子」(1978年)が生まれ、「君はクロール/渡辺美里」(1986年)、「クロール/東京事変」(2004年)と自由形歌謡史が続いて行くのである。おいっ。
そもそも・・・そういう熱狂的なファンのいる漫画家が漫画を描かないというのが「無能の人」なのである。
「次はゲンセンカン主人だ・・・ギョホギョホでグフグフなんだ」
つまり・・・つげ義春が許されるなら自分も許されると佳織を洗脳しようとする巧なのである。
しかし・・・佳織は・・・。
「こんなのデートじゃねえよ・・・カラオケ行くよ」
「え」
カラオケルームでヤンキー仲間と合流した佳織は巧にEXILEを強要するのだった。
ちなみに「エグザイル」を「エクザイル」と発音する巧は依子の「エクソシスト」というボケをひきだすことに成功する。
これは考えようによっては脚本家がEXILEなんてヤンキーの聴くクソ音楽だと主張しているということです。・・・おいっ。
巧のヤンキー耐性は低く設定されているようですが・・・書棚に「ゴリラーマン」がある以上、それは表面上の問題である。
ついでに「めぞん一刻」で響子と三鷹コーチがゴールインする展開が今の依子と鷲尾ルートであり・・・それはないなと思うのが常道です。・・・おいおいっ。
電話しない約束を反故にして依子に電話する巧。
「どうでした」
「・・・」
「あれほど言ったのに・・・努力してしまったんですね」
「・・・」
「ブルース・リーが言っています・・・考えるな、感じろと」
「指先に囚われては月を見逃すということですね努力しないように努力します」
「・・・」
留美(風吹ジュン)は佳織を気遣う。
「本当に巧でいいの・・・昔はヒーローだったけど今はニートよ」
「私には巧くんが・・・一番、変わっていないきがします」
「そうかしら」
連日、デート攻勢を強める佳織と鷲尾。
徐々にやつれて行く巧と佳織である。
つまり・・・「怪奇恋愛作戦」(テレビ東京)における牡丹灯籠状態である。
しかも「セカンド・ラブ」(テレビ朝日)における肉体交渉抜きなのである。
依子は婚前交渉に供え、トレーニングメニューを筋肉よりもスタイル重視に切り替え、デート用衣装で通勤し、睡眠不足で弁当を作り忘れ、業務でミスを犯すところまで追いつめられる。
巧はEXILEを完全に理解するために研究を重ね、ついには「夏目漱石全集」を研究費のために売り払おうとするのだった。
ついには「残業」や「風邪」を理由に「デート」から逃避する二人。
しかし・・・巧と依子はお互いに電話をしまくっていたのだった。
表面上は「相手のデートの成功」を祈ってのことだったが・・・もちろん、深層心理は・・・。
依子が自分を避けているのではないかと・・・俊雄(松重豊)に相談する鷲尾だった。
俊雄は個人情報の壁を突破して・・・依子の携帯を盗み見る。
谷口さん
谷口さん
谷口さん
鷲尾さん
谷口さん
谷口さん
谷口さん
娘の恋の履歴の恐ろしさを見る父だった。
誤解だか真相発覚だか定かでないまま・・・対策会議が開かれるのだった。
佳織と鷲尾に「ダブルデート大作戦」を発令する島田宗太郎(松尾諭)である。
巧と依子は佳織と鷲尾によってアイス・スケート場におびき出されるのだった。
滑れない二人はリンクの中央でお互いを支え合う。
「隠れてコソコソされるのが一番嫌」
「愛する人の幸せを願うのが本当の愛ですから」
「愛するって・・・誰が」
「巧くんと依子さんに決まってるでしょう」
「僕がこの・・・へんてこな女・・・個性の強い女性と・・・」
「私がなぜ・・・ニート・・・高等遊民と脳内で分泌されるのはフェネチルアミンではあるけれど不快感を伴うノルアドレナリンなのに」
「じゃ・・・どうして・・・デートでつまらなそうにしてるの」
「楽しんでる・・・だけど・・・自分が自分でなくなってしまいそうでこわい」
「不本意なんです・・・デートが楽しくて・・・仕事が手につかないんです」
「なんだ・・・お前ら・・・恋をしているのか」
「え」
巧は佳織に押し倒され、依子は鷲尾に抱かれる。
「結局・・・俺だけが・・・」
退場する宗太郎・・・。
スケート場の人々は二組の変なカップルから必死で視線そらすのだった。
ついに恋をしたと・・・とりあえず信じた依子は鷲尾を結婚式場に案内する。
「巧さんと結婚するつもりでしたが・・・結婚式を挙げてくれますか」
「それは・・・できません・・・男として気持ち悪いので」
もちろん・・・鷲尾がイエスと言わないのは・・・本当の愛を持っていないからである。
依子がしたいと言うのならするべきなのだから。
気をとりなおした依子は・・・キャンセル料を惜しみ・・・留美と務に「結婚式」を奨めるのだった。
巧の罪を滅ぼしたいと願うからである。
もちろん・・・依子にとって巧は一番大切な人だからである。
つまり・・・依子にとって鷲尾は恋のお相手。巧は幸せになってほしい人なのである。
依子は恋をスルーして愛しているのだな。
しかし・・・両親についてはわだかまりのある巧。
DTとしては両親の性交渉を連想させるすべてが痛いからである。
「パパに抱かれるママなんて不潔」なのである。
両親の結婚式から逃走した巧。
捜し出すのが佳織ではなくて依子であることがポイントなんだな。
「これをのりこえなくては・・・」
「・・・」
基本的に恋も愛も脳内における物質のやりとりに過ぎないのである。
すべては脳が壊れるまでの過程に過ぎないのだ。
両親の結婚式に連れ戻された巧はついに「あの日」のことを語りだす。
息子が自分のために傷心したことを悼む務。
「あなたは子育てに失敗なんかしていません・・・巧さんは優しい人になったからです」
依子は務を慰めるのだった。
「また・・・失敗したわね」と小夜子。
「でも・・・恋はしてる」と依子。
「あらあら・・・あなた・・・これが恋だなんて・・・本当に思っているの」
留美の投げあげたブーケは巧と依子がキャッチするのだった。
果たして・・・依子は誰かと結ばれるのか・・・。
それとも・・・誰かの腕の中で短い生涯を終えて母と娘が仲良く亡霊となるのか・・・。
素晴らしいフィナーレは・・・きっと一抹の寂しさとともに訪れるに違いない。
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コメント
お彼岸を迎える頃
このドラマも最終回
お彼岸なところが暗示的なんでしょうか?
ハッピーエンドになってほしいと心から思います
技巧的なこのドラマ
今までの回であえて一番好きな回をあげるとしたら序の結のクリスマスの回のノリが好きです
ドラマが始まる前
デート 恋とはどんなものかしら
この題名のセンスのなさ?に唖然として古沢さんが脚本でなかったら見るのをやめていたかもしれません
それなのに前回あたりから
テレビドラマでここまで題名に内容が一致したものを見たことがない
と舌をまき感動しています
恋に恋をしてる中学生に
本当の恋をおしえてくれてるような丁寧さ
技巧的で丁寧で
心あたたまるラスト
期待したいです
投稿: chiru | 2015年3月18日 (水) 22時19分
期待しちゃいますよねえ。
とにかく、レギュラーに死者・小夜子がいるので
お彼岸デートがあってもいいと思います。
彼岸は彼の岸辺でございますから
彼女がたどり着くのに
問題はないのでございますね。
クリスマスで依子の現実と
巧の幻想が
価値観をクロスさせるのですよね。
親を大切にしているということでは
同じなのに
国家公務員とニートに
立場を違えたこと・・・。
そして・・・依子が
巧に尊敬するべき美点を見出す。
自分にはないものを
巧は持っているのではないかという
疑いでございます。
優しくて弱い巧と
厳しくて強い依子。
お互いのないものねだりの始りです。
今回は巧の優しさを依子が認めたので
次は依子の強さを巧が認めれば
二人は恋の一端を知ることになるでしょう。
女ではない男が女を
男ではない女が男を
求めること。
それが恋というものなのでしょうから。
「恋とはどんなものかしら」は女性的なセリフ。
依子が男性的であってもやはり女性であることの象徴でございます。
少女マンガのタイトルであっても
少年マンガのタイトルではないのですな。
「好きとか言わねえし」が男子の本質ですからな。
もちろん・・・「恋」がしてみたいのは
男も女も無関係。
なぜなら・・・人はみんな恋をするために
生まれてくるのでございます。
投稿: キッド | 2015年3月19日 (木) 01時23分
キッドさん、こんにちは
お彼岸でお忙しいところ、失礼します。
副題の「恋とは~」の元ネタ「フィガロの結婚」からして
初○権を巡るドタバタラブコメですものね。
「自分がどうなってしまうか分からない」との
台詞があったような。
予告からのミスリード(上手い編集)から、
「卒業」ネタもあるかな、と思いながら
見ていたのですが、来週に持ち越しですね。
初期に戻ったような二人の掛け合いもあったけど、
その中で、依子の本音が。「あなた(巧)のために
(ご両親の)結婚式を開くんです」とか、
「女性は誰でもウエディングドレスを着たい」
鷲尾くんを悪く言うつもりは無いのですが、
「本当の愛とは、相手の幸せを願うことだから」って、
面と向かって、わざわざ言うかな、と。
そういう悪気の無い鈍感さも含めて
普通の人なんですよね。
佳織のほうが、一歩引いてしまっているようで
切ないですよね。
(国仲さんといえば、「結婚できない男」で
マンガ喫茶デートしていましたね)
マイフェアレディも可愛かったけど、
(競馬場ならぬサッカー場でのアングルまで一緒)
階段落ち=タイムスリップが浮かんでしまう
ドラマ脳をなんとかしたい、今日この頃です
投稿: mi-nuts | 2015年3月22日 (日) 13時47分
東京では土曜日は曇天でしたが
日曜日は墓参り日和でございました。
最近は彼岸荒れが少ないように感じます。
ケルビーノの歌う「恋はどんなものか」は
やりたい盛りの少年が
「せつなくて苦しくてため息で夜も眠れず
心はホットでクールでまたホット
これが恋ってやつですか
教えてください・・・ご婦人方」
というあらあら・・・坊やねえという歌ですからな。
まさに・・・巧や依子の心と言えましょう。
まあ・・・巧も依子も・・・知識は豊富で
かなりの耳年増なんですけれども。
「卒業」はDVD鑑賞でフリがありますからね。
そういうニュアンスはあるでしょうね。
「マイフェアレディ」もぶっこんできましたし
そもそも・・・初夜権も調教も
男性の禍々しい妄想から発するものですが
このドラマでは
男女逆転が底流に流れているので
佳織が
巧のDTを狙ったり
依子が
巧を調教している趣きがございますよね。
鷲尾くんは
古き良き男ですからな・・・。
そういう男はこのドラマでは
揶揄の対象でしかございませんよねえ。
そもそも・・・教化というものは
独善的で鼻持ちならないものですから。
あなたは神を信じますか?
悪魔にむかってなんてことを・・・でございます。
しかし・・・世の中には
そういう鈍感さを愛す鈍感さも
ありますので
鷲尾くんにもお似合いの相手がいるのでございましょう。
国仲さんは魔性の女だけど
犬にも負けるタイプというのが
似合うのですなあ。
今回も苦い失恋を味わうことになるかと。
階段落ちをすると心が入れ替わったり
時間を遡上したりするのは
脳にダメージがあるからなんですよね。
その後の出来事は
昏睡状態の夢というのが
実際のところでございます。
まあ・・・懲りすぎのドラマも最終回。
お手並み拝見でございまする。
投稿: キッド | 2015年3月22日 (日) 22時54分