忠ならんと欲すれば孝ならず・・・と頼山陽(井上真央)
「忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず」とは「日本外史/頼山陽」で父・清盛と後白河法皇の権力闘争の板挟みとなった平重盛が語ったとされる言葉である。
「日本外史」が著されたのは文政十年(1827年)で安政の大獄から遡ること半世紀前である。
天皇に対し武士は忠を尽くすという意味で・・・歴代の武家の盛衰を物語ったこの書は幕末の尊王思想に大きな影響を与えたと言われる。
武士の忠が主君に対するものではなく、天皇に尽くすものであるという思想は・・・身分の低い知識人たちに甘美な夢を与えたのである。
吉田松陰が急に狂を発したのではなく・・・半世紀の積み重ねが・・・一種の天皇崇拝教の拡散と浸透をなさしめ・・・維新から大日本帝国の滅亡へと続いて行く情熱を発火させたのである。
徳川幕府が藩を支配し、藩士は藩主に忠義を尽くすという常識に対し、天皇の前の人民平等の夢が・・・非常識の極みであることは間違いない。
将軍位継承問題の余波である安政の大獄は吉田松陰の命を奪うが・・・頼山陽の三男である頼三樹三郎の命も奪う。
しかし・・・殉教者が出れば・・・宗教的情熱はより激しく燃えあがるものなのだ。
下積みが長かったとはいえ高等遊民であった井伊直弼はその一点を見誤ったと言える。
夢に酔った若者たちは家族のことも国家のことも・・・知ったことではないからである。
ただひたすら・・・自分が特別な人間であろうとするばかりなのだ。
宗教者というものは釈迦にしてもキリストにしても信念のためには家族も王国も躊躇なく捨てるタイプなのだから。
こうして・・・現実主義者は時には夢追い人に打ち砕かれるのだ。
で、『花燃ゆ・第14回』(NHK総合20150405PM8~)脚本・大島里美、演出・末永創を見た。例によってシナリオに沿ったレビューはikasama4様を推奨します。今回は彦根藩主にして安政の大獄の黒幕、徳川幕府大老・井伊直弼の描き下ろしイラスト大公開でお得でございます。吸血鬼ドラキュラの物語に魅せられた頃・・・孤独な革命戦士は反体制に身を投じるために家族を捨て去る決意を迫られる。血を吸って生きるヴァンパイアの如く・・・同志を得ることは・・・仲間に人間をやめることを求めることになる。指導者はその恐ろしさに耐えうる資質を要求されるのですな。そう言う意味では吉田松陰は恐ろしいまでに冷徹でございます。我が身が灰になろうと・・・同志が十字架にかかろうと・・・闇の王国が築ければそれでよしと決意しているわけでございます。まあ・・・庶民にとっては・・・ある意味、大迷惑ですが・・・それが歴史の原動力というものでございますからな。そういう人物を美化するもよし、嘲笑するもよし・・・すべては心のおもむくままに・・・と考えます。井伊直弼も人、吉田松陰もまた人でございますゆえ。
安政五年(1858年)四月、大老に就任した井伊直弼は勅許を得ないまま日米修好通商条約に調印。将軍継嗣者を徳川家茂に定める。七月、徳川慶勝、松平慶永、徳川斉昭・慶篤、そして一橋慶喜に対する隠居謹慎命令が下される。家定は死去し、第14代将軍・徳川家茂が任じられる。一橋慶喜派の重鎮・薩摩藩主・島津斉彬は軍事的上洛(出兵)により、叛旗を翻すことを計画するが急死する。八月、一橋慶喜派の水戸藩などに朝廷は開国策見直しを求める戊午の密勅を下す。徳川家茂派の関白・九条尚忠は辞職。九月、老中筆頭・間部詮勝は京都所司代による一橋慶喜派の鎮圧を開始。梅田雲浜、橋本左内ら尊王主義者や公家の家臣を捕縛して江戸に送致する。吉田松陰は間部詮勝の暗殺を計画し、藩主に意見を具申。発覚を恐れた直目付・長井雅楽は松陰を投獄する。水戸藩では幕府恭順派(諸生党)と反対派(天狗党)の闘争が発生する。幕藩体制の支持者と反体制派の軋轢は各藩を動揺させていくのだった。
文は久坂玄瑞の鬱屈を感じている。
夫婦の契りを結んでから文の感度はあがり、兄・松陰と同様の遠隔感知が可能になっている。
文の精神感応技術は進歩を続けている。
京の小浜藩屋敷に近い望南塾に向かう玄瑞の心の綺を萩城下に居ながら感じるのだ。
・・・攘夷の志を持つ人物は多いが・・・その質が悪いのである。
尊皇ゆえの攘夷であるが・・・公家たちの具体的な方策は・・・結局、武家頼りなのであった。
武家に頼るとなれば・・・結局は幕府に縋ることになる。
その幕府に攘夷の意向がない以上・・・話はそこで止まってしまう。
望南塾の師として・・・梅田雲浜の舌鋒は鋭いが・・・幕府をいくら批判しても・・・状況は変わらないと玄瑞は嘆くようになっていた。
望南塾に集まる有象無象の輩は「攘夷、攘夷」と口にするが・・・結局は京の酒や女に溺れるだけのことだ。
「しばし」
玄瑞の思考が伊藤利助の言葉によって停止する。
文は心の触手を玄瑞を通じて利助に伸ばした。
文が最近、取得した感応術である。
文はそれを中継と名付けていた。
利助の心が飛び込んでくる。
利助は緊張していた。
「どうした・・・利助」
「なにやら・・・不穏の気配がありまする」
玄瑞もようやく・・・前方で騒ぎが起こっていることに気がつく。
望南塾を捕り方が囲んでいる。
「所司代の手のもののようです」
「うむ・・・」
駆け寄ろうとする玄瑞の袖を利助が掴む。
「なりませぬ・・・」
「しかし・・・」
利助は・・・周囲に忍びの気配を感じていた。
望南塾の周囲には結界が張られている。
「飛び込んでも・・・何もできませぬ」
「・・・」
「あれは・・・雲浜先生・・・」
「お縄につかれたか・・・」
利助の視覚を通じて文は・・・梅田雲浜の姿をとらえる。さらに松下村塾の塾生でもあった赤禰武人が捕縛されているのを知った。
「ここは・・・成行きを確かめて・・・長州の仮屋敷に戻り、対策を講じるしかありませぬ」
「だが・・・赤禰が・・・」
「騒ぎを起こさず・・・所司代に手をまわして解き放ちを願い出るしかございません・・・ここで共に捕縛されたのでは・・・それもかないませぬぞ」
利助の先を読んだ思考に・・・玄瑞はようやく追いついた。
(うちの人は・・・融通が利かない)
文はため息をついた。
利助は監視されていることに気付きながら素知らぬ顔で・・・玄瑞を促して来た道を引き返す。
夏の終わりの京の都には公儀隠密が結集していたのだった。
安政の大獄の幕が開く。
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