男ならお槍担いでお中間となって付いて行きたや下関(井上真央)
総力戦というものはあらゆるものが戦力であるということだ。
吉田松陰が描き、行くところまで行った近代戦争の結末は大日本帝国滅亡の時であった。
東は太平洋、西はアジア大陸・・・帝国はついに地球規模と言うべき領土・・・戦線を拡大していた。
そして・・・沖縄では上陸戦、東京では大空襲、広島、長崎と原爆が投下され・・・女子供だろうが容赦なく焼き尽くされて焦土と化す。
それが総力戦だ。
陣地防衛のために労働力として武士の奥方が土塁を築くのは・・・まさにその先駆けと言えるだろう。
男ならお槍担いでお中間となって付いて行きたや下関
国の大事と聞くからは女ながらも武士の妻
まさかの時には締め襷
神功皇后さんの雄々しき姿が鑑じゃないかな
オーシャリシャリ
「維新節」は伝説の戦の女神・神功皇后を手本として・・・女たちも戦力になろうと誓う・・・物騒な音頭である。
文久三年(1863年)五月は・・・昭和二十年(1945年)八月まで続く・・・攘夷八十二年戦争の開戦の年なのだ。
萩の女たちが国防婦人会のプロトタイプであることは言うまでもない。
「出て行け」・・・愚か者たちの叫びはいつも同じなのである。
それは・・・相手が「クロフネ」だろうが「米軍基地」だろうが一緒ですから・・・。
そして・・・歴史は繰り返すよねえ・・・。
で、『花燃ゆ・第22回』(NHK総合20150531PM8~)脚本・大島里美、演出・安達もじりを見た。例によってシナリオに沿ったレビューはikasama4様を推奨します。今回は松門四天王奇兵隊傘下屠勇隊長で池田屋事件の戦死者・吉田稔麿の妹で婿養子を迎え吉田家を継ぐ吉田ふさの描き下ろしイラスト大公開でお得でございます。奇兵隊創設、八月十八日の政変、四国連合艦隊の攻撃・・・とすでに歴史的事実は明瞭ですが・・・それを誰もがわかるように見せてくれる大河ドラマの使命感のようなものは・・・まったく感じられないと言ってもよろしいでしょうねえ。男たちが痛い目にあった事実は駆け足で通り抜け・・・その時、女たちは着飾ってお祭り騒ぎで萩に土塁を構築した・・・そこか・・・そこ・・・ものすごく大切ですか・・・と誰もが言いたいかもしれない今日この頃・・・。まあ・・・井上真央、檀ふみ、優香、久保田磨希、黒島結菜、小島藤子、宮崎香蓮、芳本美代子、若村麻由美、銀粉蝶まで・・・凄いキャスティングなのでなんとか出番を作らなければいけないわけですが・・・完全に本末転倒じゃないでしょうかねえ・・・。まあ・・・キッドはこのメンバーが見られればある程度・・・許容しちゃいますけれど・・・。甘ちゃんかっ。目の保養優先かっ。今回のサブタイトル「妻と奇兵隊」はなんとなく小説「麦と兵隊/火野葦平」(1938年)を思わせますな・・・。徐州徐州と人馬は進むのですねえ。
文久三年(1863年)五月十一日、米国商船ペンブローク号に下関砲台と長州軍艦が砲撃、ペンプローグ号は退避した。二十日、攘夷派の姉小路公知(右近衛権少将)が暗殺される。二十三日、仏国通報艦キャンシャン号に長州軍艦が発砲。交渉のために発進した搭載ボートにも銃撃を加え、仏国水兵などが死傷する。二十六日、蘭国軍艦メデューサ号に発砲、船体を損傷させ蘭国乗員など数名が戦死。六月一日、米国軍艦ワイオミング号が商戦砲撃に対する報復攻撃のために急襲。長州軍艦・壬戊丸、庚申丸、癸亥丸は撃破される。双方に死傷者は発生したが長州海軍は壊滅し、射程外からの砲撃で沿岸砲台も多数破壊される。五日、仏国軍艦・セミラミス号、タンクレード号は海峡封鎖のための長州の沿岸砲台を粉砕。壇ノ浦などに仏国陸戦隊が上陸し、砲台周辺を占拠、近隣の村落に放火した。長州武士は陸戦を挑むが砲撃と銃撃の近代戦的運用に対応できず、撃退される。七日、長州赤間関にて高杉晋作は奇兵隊を結成する。豪商・白石正一郎は会計方に登用され後に長州藩士となる。長州藩は敵襲に供え挙国一致体制に移行し、徴兵制を開始したのである。一部郷村では一揆が発生し、一部士族と民衆の間には軋轢も深まっていた。第十四代将軍徳川家茂は最初の上洛を終え江戸に帰還。京都守護職・松平容保は京の治安活動を本格的に開始。壬生浪士組はその意を受け不逞浪士の取り締まりに取り組む。尊皇攘夷派と公武合体派の軋轢が深まる京に長州藩における攘夷派公卿・三条実美の連絡役として敗戦の将・久坂玄瑞は召喚される。長州・薩摩・会津三藩による主導権争奪戦が開始されたのである。
文は下関にやってきた高杉晋作を夫・久坂玄瑞の目を通じて見ていた。
坊主頭は無造作に伸びかけて散切り頭というべきカタチになっている。
その容姿は武士らしくなく・・・文はおかしくもありおそろしくもあった。
「奇兵隊・・・じゃと」
玄瑞は唖然とした。
「なんじゃ・・・それは」
「兵はこれ奇なりじゃ」
「・・・孫子か・・・」
学問的素養の範疇に玄瑞は安堵する。
(晋作らしい)(素朴な)(まさに奇抜)(しかし)(なにをしでかす気か)
玄瑞の心はめまぐるしく回転する。
「兵を募るのよ・・・」
「募る・・・」
「藩内の人間を全員、兵とする」
「なに・・・全員を武士とするというのか」
「いや・・・武士など無用の長物じゃ」
「なんだと・・・」
「下関の敗因を考えろ・・・」
「・・・」
「確かに・・・武器の差はおおきいだろう・・・しかし・・・問題はそこではない」
「そこではないだと・・・」
「武士とは本来、戦で相手を殺すものだ・・・そのためにこちらが殺されるのを覚悟せねばならぬ」
「・・・」
「しかし・・・戦のない世が続き過ぎたのだ・・・敵の砲撃を受けた時・・・武士たちはどうした」
「・・・それは・・・」
「恐怖で逃げ出したのだ・・・百姓、町人たちは呆れてその姿を見ているぞ」
「・・・」
「浜から山まで武具を投げ出して一目散じゃ・・・それはもはや武士とは言えまい」
「・・・しかし・・・烏合の衆とて同じだろう」
「違うぞ・・・奇兵隊に集うのは武士ではなく・・・兵士じゃ・・・松陰先生の言う西洋式軍隊における歩兵じゃな・・・」
「歩兵・・・」
「良いか・・・武士一人を戦闘に参加させるために足軽や中間小物の類が何人いるか考えてみろ」
「・・・」
「軽率のものでも十人だ」
「・・・」
「身分の高いものなら何十人もが一人のために奉仕することになる」
「それが・・・兵法というものだろう」
「アホらしい・・・その一人一人に銃を持たせて戦わせる・・・あっという間に兵力は十倍じゃ・・・」
「それでは・・・武士の面目は・・・」
「武士などいらぬ・・・西洋の敵との戦には・・・武士など何の役にも立たない・・・」
「お前・・・それを方々の前で口にする気か・・・」
「・・・言わぬさ・・・医者坊主から武士に成り上がったお前にだから言うのさ・・・生まれついての武士である俺が・・・それが・・・どんなに恐ろしいことか・・・一番わかってる」
「・・・」
「お前は・・・京に行け・・・姉小路様が暗殺され・・・何やら雲行きが怪しいようじゃ・・・攘夷派同志が仲間割れしている場合ではないからな・・・」
「お前は・・・」
「俺はお前の留守の間に・・・長州藩をぶっこわす・・・」
「藩を・・・」
文は感じた。
玄瑞の心で揺れる・・・羨望と・・・尊敬・・・そして・・・友への寄せる思いを・・・。
「用心しろよ・・・」
「お前もな」
文は見た。高杉晋作の蒼白な顔に浮かんだ微笑みを・・・。
文久三年の熱い夏が迫っていた。
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コメント
どうもキッドさんお久しぶりです、お久しぶりすぎて忘れられてるかもしれませんが(汗)やはりこの大河文さんを主役にしたことに無理が出てきちゃった感じですね。文さんが主役なので久坂さんや高杉さんがいろいろやっている間もどうしても文さんを出張らせなくちゃならないし。まあ久坂さんは久坂さんで現代の感覚だと確実にテロリストなのであまり詳細に書けないのでしょうか。当時の感覚を知らないとやはり久坂さんは現代人には単細胞な過激派テロリストに見えちゃうんですかね。高杉さんも久坂さんほど過激じゃないですけど、好戦的な性格ですからね、最近の大河ではもう平和を愛する人しか主人公になれないのかしら(;^ω^)
そういえば長井雅楽ももう切腹させられてるんでしたっけ?たしか久坂さんの一派に陥れられたとかいう史実だったような、そういう主人公サイドの黒い行動はなるべく書かない方向なのかしら。でも生麦事件はさすがに書かないとまずいですよね。
投稿: 出雲 | 2015年6月 2日 (火) 01時45分
~~☀~~出雲様、いらっしゃいませ~~☀~~
作家というものは認識力が必要な職業です。
しかし、認識というのは厄介なもので
本当の認識があるのかどうかもわからない。
たとえば歴史認識。
そもそも歴史をノンフィクションと考えるか
フィクションと考えるか
そこから食い違う。
国家という制度において
歴史認識が食い違うのは
そもそも正しい歴史そのものがないから・・・。
・・・という認識も万国共通とは言えませんし。
今回はそもそも三人の脚本家が
書いている・・・。
そういう意味では主人公のキャラクターそのものが
どこか平坦になってくる下地があります。
お互いに齟齬が生じないように
のっぺりしてくるのですな。
幕末の女としては
吉田松陰の妹で久坂玄瑞の妻・・・。
しかも明治維新後も長生きして
姉婿と再婚・・・。
数奇な人生を送っていますが・・・。
歴史というカテゴリーには無関係と認識することもできます。
「歴史なんてどうでもいい」という姿勢は
あってもいいのですが
だったら・・・大河ドラマでなくてもよかったんじゃないか・・・と思うのですな。
何故なら・・・「歴史」という壮大なフィクションを
借りて・・・成立している枠だと思うので・・・。
そもそも・・・テロリストとは何か。
本当にテロリズムは間違っているのか。
そういうお茶の間の認識力への「揺らぎ」こそ・・・
幕末長州ものの真髄でございます。
そして・・・その本質は
弱肉強食の論理と平和共存の理念の
葛藤にあるはずです。
久坂は政治というものの妖しさ。
高杉は軍事というものの恐ろしさ。
それを体現している歴史上の人物。
二人の共通項があるとすれば
それは・・・四民平等への希求だったのではないかと
キッドは考えます。
自由・平等・平和・・・。
これを否定する人は人でなしの時代・・・。
作家たちはみんな不自由でございます。
しかし。おそらく・・・平等を激しく主張する人が
平和的でなかったり
不自由だったりすることは表現できるでしょう。
その点が意志統一できていないのだなあと愚考しています。
歴史的事実とされるものを
取捨選択するのも重要な案件。
キャスティングから言っても
長井雅楽の切腹の省略は・・・おそらくうっかりミスですな。
生麦事件の省略は「薩摩」のしたことだからという判断ミスと思われます。
まあ・・・何がミスってやつなんだと言われれば
ミス以外ミスじゃないの・・・と歌う他ありませんけれど・・・。
投稿: キッド | 2015年6月 2日 (火) 08時28分