ダレン・シャン・・・シルク・ド・フリークへようこそ・・・(渡辺謙)
水月から文月へ渡る夜である。
カレンダーは人の作りしフィクションであるが・・・それは神の営みを模倣したものとも言える。
西洋では結婚の女神ユノが六月を指し、東洋では遠距離恋愛の七夕月でもある。
結婚するなら六月・・・単身赴任の七月なんだな。
ムーンストーンは悪霊を払う霊力を持っているわけだが・・・それは魔法ではないのか・・・。
魔法について考える時は・・・原子力が人類に何をもたらしているかを考えるべきなのだろう。
科学は魔法に過ぎないし、科学者は魔法使いに過ぎない。
人間は・・・良かれと思うものだ。
良かれと思って・・・新幹線で焼身自殺をし・・・マスメディアを懲らしめようとする。
その愚かさは悪魔一同爆笑ものである。
恐ろしい世界になりつつあると思う他はない。
戦後の翌年に生まれた口汚い男が国会議員になり、終戦直前に生まれた男が無差別殺人を厭わない。
多くの善良な人々は唖然とするんだな。
ルビーには病を治す力があると信じる人がいる。
うるう秒が来る前に更新しないといけないのだ。
で、『Tナイト・ダレン・シャン(2010年日本公開作品)』(フジテレビ20150701AM2~)原作・ダレン・シャン、脚本・ブライアン・ヘルゲランド、監督・ポール・ワイツを見た。原作ありということを考えると・・・いろいろと問題がある・・・作品だが・・・「シルク・ド・フリーク」の場面は非常にファンタスティックで楽しいわけである。ワーナーが挫折し、ユニバーサルが成し遂げたというのも面白い。そもそも・・・「ダレン・シャン」というタイトルで・・・原作ファン以外には日本ではまるっきりピンと来ないことは確実なのである。「ダレン・シャン/ダレン・シャン」だもんな・・・。
もちろん・・・吸血鬼が登場し・・・そこに人間と同じような善悪の戦いがあることが・・・悪魔にはたまらないわけである。
なんだろう・・・善なる吸血鬼とか・・・正しい悪魔レベルだからな。
もちろん・・・その根底には個性というものを認められない人間への皮肉があるわけである。
自由民主党の党員が自由と言う言葉の意味を知らないのは許せない。
しかし、それも個性なのだ。
つまり、彼は自分で自分の首を絞めていることに気がつかないくらい愚か者か・・・あるいはそういう趣味の人なのである。
信条とか置かれている立場とか義理とか人情とか・・・もろもろあわせて個性なのであり・・・それを人類一人一人が持っているわけである。
それを前提に生き直してもらいたい。
一方で、ヴァンパイア(吸血鬼)は基本的に「人類の血を求めてやまない亜人類」である。
そんなものはいないと言われればそれまでだが・・・ここは吸血鬼は悪魔と同じくらいに現実に存在する前提で記述します。
16歳の少年・ダレン・シャン(クリス・マッソグリア)は優等生である。
何しろ・・・数学でAをとったのだ。
両親は喜び・・・妹のアニー・シャン(モーガン・セイラー)は兄を誇りに思う。
彼は格差社会の勝ち組の入り口にいる。
良い大学、良い仕事、良い家庭・・・それを持つものが良い人間・・・。
しかし・・・ダレンの親友・スティーブ・レナード(ジョシュ・ハッチャーソン)は負け組に片足を突っ込んでいた。父親は不在で・・・母親は酒乱・・・成績は振るわない。
ダレンはスティーブに授業をさぼろうと誘われる。
そんな二人の友人関係をダレンの両親は良く思わない。
友情と家族愛の不一致が・・・ダレンの前に壁となって現れる。
あたかも・・・自民党でなければ人でなし・・・自民党に逆らうものは懲らしめると言い出す馬鹿への道が開きかけているのだった。
ちなみにキッドは憲法九条廃止論者です。
そんな二人の前に「シルク・ド・フリーク」のチラシが舞い降りる。
ダークな世界の神・デズモント・タイニー(マイケル・セルベリス)が二人にちょっかいを出している。悪魔が純粋な子供を鴨にするのは常套手段なのである。
なんのために・・・ただ・・・神をおちょくりたいから・・・。
「シルク・ドゥ・ソレイユ」が「太陽のサーカス」という意味なら・・・「シルク・ド・フリーク」は「おタクのサーカス」・・・ではなくて「奇形のサーカス」なのである。
突然変異で生まれた奇形の人々の見世物興業を主催するのはミスター・トール(渡辺謙)である。彼はやや巨人であったが・・・映画では明らかにされない出生の秘密を持っている。
この世界ではヴァンパイアは・・・突然変異で生まれた奇形の一種とされているので・・・お歴々の方々や・・・悪魔であり吸血鬼という一部の紳士淑女には我慢ならない設定と言える・・・ヴァンパイアの名士・ラーテン・クレプスリー(ジョン・C・ライリー)もショーを支える一員として登場する。
カラフルな毒蜘蛛マダム・オクタとのコラボレーションで・・・ダレンを魅了するのだった。
ダレンは蜘蛛のフリーク(変態的愛好家)だったのである。
一方・・・人間をやめて吸血鬼になりたいと願うスティーブはクレプスリーに吸血鬼化を懇願する。
だが・・・聖なる吸血鬼であるクレプスリーはスティーブの魂に邪悪な影を感じ・・・拒絶するのだった。
しかし・・・それは悪魔タイニーの計画の一部だったのだ。
乱入した健全な市民たちは・・・奇形の人々の人権の擁護を翳して彼らのビジネス・チャンスを奪う。
その混乱の中・・・毒蜘蛛マダム・オクタを盗みだすダレン。
彼は隠れ潜んだロッカーの中で・・・邪悪な吸血鬼(バンパニーズ)のマーロック(レイ・スティーヴンソン)と善良な吸血鬼(バンパイア)の確執を目撃してしまう。
クレプスリーはダレンを追うが・・・悪魔タイニーは彼の逃亡を援助する。
やがて・・・ダレンが学校に毒蜘蛛マダム・オクタを持ちこんだことによって・・・スティーブは瀕死となってしまう。
クレプスリーは解毒剤と引き換えに・・・ダレンをハーフバンパイアとする。
それは吸血鬼の掟「子供を一族にしてはならない」を犯すことになる行為だった。
つまり・・・定着して暮らすには・・・成長しない子供は問題だからである。
だが・・・クレスプリーは「敵」が・・・ダレンを「バンパニーズ」化しようとしていることを察しており・・・究極の選択を迫られていたのだった。
マーロックはダレンを諦め・・・スティープを「バンパニーズ」化する。
二人は・・・善良な吸血鬼と邪悪な吸血鬼として宿命のライバルになってしまったのだった。
まあ・・・当然、壮大な物語が展開するわけだが・・・映画版では・・・とりあえずフィナーレに持ち込む。
「シルク・ド・フリーク」までは見せるのだが・・・後半がやや低調になるのである。
映画のオリジナル・キャラクターである・・・突然変異で尻尾の生えたモンキー・ガールのレベッカ(ジェシカ・カールソン)とダレンが死んだと思っている家族を人質に取られ・・・決戦の場へ赴くダレン。
しかし・・・人間性を失うことを惧れ・・・吸血を拒否するダレンは超人となったスティーブに圧倒されてしまう。
クレスプリーが割り込むが・・・マーロックがスティーブとタッグを組んで・・・邪悪な勝利が目前となる。
そこで・・・レベッカは囁く。
「血を吸うから・・・人間でなくなるわけじゃないわ・・・尻尾があったって私は人間だもの・・・いいのよ・・・私の血を吸いなさい」
ダレンは・・・フリークへの偏見を克服し・・・聖なる吸血鬼として覚醒するのである。
ダレン・クレスプリー組と・スティーブ・マーロック組一本勝負。
ダレンは勝利し・・・マーロックはリトル・ピープル(小人)に変身する。
そして・・・吸血鬼大戦が幕を開けるのだった・・・。
まあ・・・興行的に失敗するあらゆる条件を供えている佳作である。
言いたいことは分かるが・・・この手の作品にそういうメッセージはいらないのである。
関連するキッドのブログ→悪霊病棟
→彼岸島
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