誘惑するものと誘惑されるもの・・・どちらが罪深いのでしょうか(長澤まさみ)
武田信玄が真田昌幸の父・真田幸隆を臣下として・・・砥石城を攻略するのは天文二十年(1551年)のことである。
小笠原氏や村上氏の信濃勢を駆逐し、諏訪氏や木曽氏を臣従させて信濃国をほぼ手中にする。
天文二十二年(1553年)になると信越国境での上杉謙信との川中島の戦いが開始されるのである。
それから天正十年(1582年)までおよそ、三十年の間・・・信濃国は武田家の領土であった。
天文十六年(1547年)生まれの真田昌幸はこの年齢三十六・・・。
信玄から勝頼と代替わりはしたものの・・・ここまでほとんどの人生を・・・武田家の臣下として過ごしてきたわけである。
長兄・信綱、次兄・昌輝が天正三年(1575年)の長篠の戦いで戦死し、真田家の家督を継いでわずか七年・・・父・幸隆の築きあげて来た小県の国衆総代としての地位も盤石のものとは言えない。
謀略の限りを尽くして・・・真田の里と一族を守ること・・・主家である武田家を失った真田昌幸は・・・裏切りを重ね・・・サバイバル・レースに挑む。
最終的には徳川家と豊臣家を天秤にかけ・・・一家を二つにわけるという・・・決断に至るわけだが・・・その凄まじい知略は少なくとも慶長五年(1600年)の関ヶ原の合戦までこれからの真田家十八年間の死闘を支えるのだった。
周囲に北条、上杉、徳川の大名勢力があり、内では旧武田家臣団の勢力争いがある。
真田から沼田まで細長い領地は信濃・上野国境上で一万石たらず・・・動員兵力はおよそ五百。
独立勢力となるには明らかに人員不足なのだ。
この・・・吹けば飛ぶような真田一族の命運は昌幸の双肩にかかっていた。
まさに・・・真田昌幸の戦いは今、始ったのである。
で、『真田丸・第8回』(NHK総合20160228PM8~)脚本・三谷幸喜、演出・田中正を見た。例によってシナリオに沿ったレビューはikasama4様を推奨します。今回は真田昌幸の弟で同母弟とも異母弟もされる怪しさ抜群の真田忍びの一人・真田隠岐守信尹と主人公・真田左衛門佐信繁の哀愁の二枚目という二大イラスト描き下ろしでお得でございます。快調な描き下ろしに感激ですが、あくまでマイペースでお願いします。叔父と甥ですが・・・共に弟ポジションで・・・相通じるところのあった二人ですが・・・今回、大人たちの洗礼を受けて心乱れる源二郎・・・。新府城脱出行で兄・信幸に叱咤されて以来の放心状態に・・・あれから三ヶ月なので・・・まだまだ初々しいのですねえ。このしごかれていく感じが素敵でございます。戦国武将たるものスパルタ教育の果てに生き残ってナンボですからねえ。それにしても春日氏調略の筋立てで・・・高坂弾正の子・信達(昌元)が登場。脚本家は違うけれどなんとなく・・・「風林火山その後で」の香りがいたしますな。攻め弾正の息子・昌幸が・・・逃げ弾正の息子・信達を攻めちゃうのですなあ・・・。虎綱(田中幸太郎)の死(享年52)が早すぎたと言えるのですよね・・・。この後も春日一族にはさらなる徹底的な磔の憂き目が待っているわけですし・・・南無阿弥陀仏・・・合掌。
天正十年(1582年)六月、真田昌幸は沼田城と岩櫃城を奪還。海津(松代)城の春日信達、深志(松本)城の小笠原洞雪斎を臣従させた上杉景勝は北信濃に侵入、長沼城を前進基地とする。昌幸は上杉家に臣従。北条氏直は上野国から碓氷峠を越えて信濃国に侵攻。徳川方の依田信蕃は佐久の小諸城を捨て春日城に撤退。北条方の大道寺政繁が小諸城に撤退。氏直は諏訪高島城の諏訪頼忠、木曽福島城の木曽義昌の所領を安堵する。北条勢は佐久・諏訪のラインを確保し、上杉勢は海津・深志のラインを確保することによって川中島での対決の構図が浮上。徳川家康は酒井忠次、奥平信昌に南信濃に派遣。同時に甲斐国に進出する。七月七日、羽柴秀吉は家康の信濃、甲斐、上野への侵攻を認可。九日、家康は甲府に至る。昌幸は北条家に臣従。十三日、信達の謀反が発覚し景勝が謀殺。越後では柴田勝家と連動した新発田重家が新潟城で反乱を継続中。川中島で対峙した上杉勢と北条勢は北に新発田、南に徳川とそれぞれが挟撃される危機を持つことから講和交渉を開始。七月末に和平が成立し、川中島以北を上杉が領有化。北条勢は転身して対徳川戦を開始。氏直が佐久から、氏邦が秩父から、氏忠が河口湖から甲斐に圧力をかける。北条勢四万、徳川勢一万の対決である。
※北条氏直は父・北条氏政、母・黄梅院(武田信玄の娘)で武田信玄の孫である。
※真田信繁は父・真田昌幸、母・薫(仮名・武田信玄の養女)で武田信玄の義理の孫である。
※つまり・・・武田信玄系ということでは氏直と信繫は同格なのだった。恐ろしいことだ。
上野・沼田城には真田幸隆の弟である矢沢頼綱が配されている。
齢六十を越えているが忍びとして鍛錬した身体は壮健である。
幸隆と共に武田に仕え、合戦を重ねてきたが・・・不敗であった。
嫡男の矢沢頼康は従兄弟にあたる真田昌幸より二歳年下である。
頼康もまた父親譲りの猛将だった。
矢沢親子の守る沼田城には隙がない。
すでに梅雨の終わった関東ではうだるような熱気が周囲に満ちている。
夜半を過ぎても熱が去る気配はない。
寝所の暗闇の中で・・・頼綱は目を開く。
殺気を感じたのである。
「頼康・・・」と頼綱は息子の名を呼んだ。
「控えております」
「わかるか・・・」
「誘いをかけているようですな・・・」
「ふふふ・・・おそらく・・・風魔の透破じゃろう」
「城下に忍びこんだようでございます」
「面白い・・・ちと遊んでやるか・・・」
「父上が出るまでもありますまい」
「さようか・・・受けて立たねばなめられるからのう」
「拙者におまかせくだされ」
忍者としての修練を積んだものには神通力が宿る。
矢沢父子は共に気合の達人であった。
常に戦場に生きて来た二人は・・・戦いそのものに喜びを感じる。
城主という立場を忘れて戦に惹かれる父を押さえて頼康は屋敷から飛び出す。
一瞬で黒の忍び装束を整えた頼康は城門を飛び越え・・・殺気の発した方角に進む。
城下の寺の屋根に人影があった。
「お前か」
叫んだと同時に頼康は気を打った。
人影はゆらりと身をかわし、地に向かって飛ぶ。
その手から風車と呼ばれる風魔の手裏剣が放たれた。
回転する手裏剣を頼康は長さ一尺ほどの鉄製の棍棒で撃ち落とす。
地上に降りた人影は巨漢である。
「矢沢頼康殿か・・・」
「おうよ」
「それがしは・・・風魔の足柄と申す者・・・お命いただきに参上した」
「ふふふ・・・風魔の三男坊か・・・とれるものならとってみろ」
「たーっ」
足柄は気合を放つ。
一種の念力である「気」は通常のものならば防御のしようがない。
鎧を貫き、心臓に達すれば、息の根を止めることもできる。
気合いの術者たちは・・・時には飛ぶ鳥も落とすのである。
しかし・・・修練によって達人の域に入った頼康は足柄の気合いを棍棒で打ち払う。
次の瞬間には頼康は足柄と打ちあいの距離に入っていた。
「おりゃ」
頼康の棍棒が足柄の頭上を襲う。
足柄の道具は鉄の小槌だった。
頼康の棍棒を下からはじきかえす。
しかし、その時には頼康の左手が足柄の首に突き刺さっている。
手槍の一撃である。
首の血管をつまみだして頼康が飛び下がると・・・足柄はすでに絶命している。
夜目の利く頼康は足柄がまだ顔に幼さを残しているのを見てとった。
「腕に溺れて・・・墓穴を掘ったな・・・」
超人的な技を持つものは・・・たやすく過信の罠に陥る。
上には上がいるという自明の理を忘れるのである。
「十年早いわ」
呟いた時には頼康の姿は闇に消えていた。
頼康の下忍たちが闇の中から現れ死体の始末にかかる。
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